常識的に考えれば、いいものは高く、二流品・三流品は安くて当然である。なぜならば、いいものは、いい原材料を使用しているし、開発から製造販売まで、大変な手間暇をかけ作っているので、当然高くなる。
逆に、二流品や三流品は、一級品と比較すれば、当然、安価な原材料を使用するし、細部にこだわり、手間暇かけて作ることなどはできるはずもなく、大量生産・大量販売となり、当然、値段は安くなる。
しかしながら、産業界はもとより、多くの生活者も、この原理原則を無視した価値評価や経営が横行している。つまり、いいものを安く売れとか、いいものを安く作れ、といった言動である。
こうした相反する課題を同時に、かつ正直に解決する方法はない。それは誰が考えても、原材料をごまかすか、生産者や販売者など、誰かを犠牲にするしかない。つまり、異常な低単価で発注したり、仕入れ先や協力企業に理不尽な取引を強要したりといった具合だ。まともな人件費を支払わない経営も同じだ。
こうした取引や経営を続けていたら、やがて袋小路に陥ることは、目に見えている。近年の業種を問わず、進行している廃業の異常な増加は、まさに経済の原理原則を無視した経営を行っているからである。
それもそのはず、筆者がかねて提唱しているように、「誰かの犠牲の上に成り立つ経営は欺瞞(ぎまん)」だからである。
こうした中「いいものは高くて当然」という、この経済の原理原則を貫いている企業が、今の時代、注目されている。それもそのはず、これら企業は取引先から競争見積もりにさらされることも、また値引きを要求されることもなく、ゆっくりではあるが、着実に成長発展しているからである。
筆者が、先日訪問した兵庫県甲陽園のお菓子のツマガリさんや、東京銀座のファクトリエさんも、そうした企業である。
ツマガリを訪問した折、食べたショートケーキは、1個770円だったが、その原料へのこだわりと、添加物・防腐剤を一切使用していないお菓子作りの姿勢と味は、これまで食べてきたお菓子の中でも絶品であった。正直、1個1000円でも買いたいお菓子であった。
また、ファクトリエに訪問した折は、靴下を購入したが、価格は両足で2000円であった。しかしながら、靴下は履き心地も良く、加えて、靴下には「永久保証」と高らかに張ってあり、もしも穴が開いたりしたら、何年後でも新品と取り換えるという。3足で1000円とお得に見える靴下もあるが、長い目で見れば2000円の靴下の方がはるかに安い。
<執筆>
経営学者・元法政大学大学院教授、人を大切にする経営学会会長・坂本光司
2019年フジサンケイビジネスアイ掲載