今回は、無添加せっけんなどの製造販売を行う、シャボン玉石けん(北九州市若松区)を取り上げる。先日、同社の森田隼人社長を取材し、工場を見学した。
今でこそ無添加せっけんのパイオニアとして知る人ぞ知る企業となっているが、創業当時の主力製品は合成洗剤だった。先代社長の森田光德氏が1960年代後半に合成洗剤を製造販売し、売り上げも伸び続けていた。しかし、光德氏は合成洗剤によって、赤い湿疹に悩まされるようになった。
一種の職業病と半ばあきらめていたところに転機が訪れる。71年、国鉄(現JR)門司鉄道管理局から「機関車を合成洗剤で洗うとさびが早くでる」という理由から無添加粉せっけんの注文が舞い込んだ。
試行錯誤の末、当時の日本工業規格(JIS)の基準を上回る高純度せっけんを開発。試しに使ってみると、赤い湿疹が全くでなくなった。その時、光德氏は湿疹の原因が自社の主力商品にあったことを知り、「身体に悪いと分かった商品を売るわけにはいかない」と74年、合成洗剤から無添加せっけんに切り替えることを決意した。
しかし、当時はまだまだ無添加せっけんに対する需要は少なく、それまで月8000万円あった売り上げは約80万円に落ち込み、100人近くいた社員も一時5人にまで激減した。下がり続ける売り上げに不安を感じて社員は口々に「無添加せっけんの需要はない。合成洗剤に戻しましょう」と訴え続けた。
それでも「自分が怖くて使えない洗剤は売れない」と、苦境の中でも信念を曲げずに無添加せっけん専業を貫き、92年に黒字転換を果たした。実にこの間17年間の赤字が続いた。
業績回復の最大のきっかけが光德氏が執筆した『自然流「せっけん」読本』という本。せっけんの素晴らしさと合成洗剤との違い、光德氏自身の思いを伝え、無添加せっけんへの理解が徐々に広がった。これまでの出版部数は10万部を超える。
出版翌年の92年には湾岸戦争の報道で油まみれの水鳥が紹介され、消費者の環境意識が高まったことも追い風になった。
「何事も成し遂げるには、好きでなければ長続きしない。それを信じて、なおかつ楽しむことが大切だ」と光德氏は常に口にしていた。この考えは今も、社員の共通認識として大切にされている。
同社は2010年に創業100周年を、14年には無添加せっけんへの切り替えから40周年を迎えた。
「健康な体ときれいな水を守る」ことを理念に掲げ、化学物質や合成添加物を一切含まない安心・安全なせっけんを、ブレることなくいまも消費者に届け続けている。
<執筆>
アタックス研究員・坂本洋介
2017年1月18日フジサンケイビジネスアイ掲載