中小企業の「シン人材確保戦略」を考える

第138回

AIスキルを『等級』にした住友商事——その先に中小企業が考えるべきこと

一般社団法人パーソナル雇用普及協会  萩原京二

 

はじめに


2026年5月、ある新聞記事が経営者の間で静かに話題になりました。総合商社の住友商事が、国内外の全社員およそ5,000人を対象に、AIを使いこなす力を「等級」として格付けする制度を始めるというものです。報道によれば、研修を受けた履歴や、ITパスポートをはじめとする30以上の資格、そして実際の業務でAIをどのように活用したかという実績を点数化し、その合計点で社員を6段階に分けるそうです。しかもこの等級は、たんなる勉強の証明書ではなく、社員をどの部署に配置するか、どのプロジェクトのメンバーに選ぶかといった、実際の人事判断にも使われるとされています。

この話を聞いて、「うちのような会社には関係のない、大企業の人事の話だ」と感じた方も多いかもしれません。けれども私は、これはむしろ中小企業の経営者こそ立ち止まって考えるべき、時代の転換点を示すニュースだと受け止めています。なぜなら、ここで起きているのは、「AIを使えること」が、もはや個人の趣味や、得意・不得意で済まされる問題ではなくなり、企業が正式に測り、評価する対象になった、ということだからです。一人の大企業が始めたというより、これから多くの企業が向き合うことになるテーマの、最初の一歩だと考えたほうがよいでしょう。

そして、この記事を入口に、ぜひ一歩先まで考えていただきたいのです。住友商事が踏み出したのは、あくまで「社員のAIスキルを測り、人の配置に活かす」という段階です。けれども、本当に会社の成長に結びつくのは、その先にある「成果を出した人に、どう報いるか」という設計です。今回はこの「先」の部分、つまりAIの普及にともなって、私たち中小企業の賃金制度や人事制度をどう見直していくべきかを、できるだけ平易にお話ししたいと思います。



AIは「使えない人を補う道具」が存在しないスキルです


ここで少し、これまで会社が社員のスキルをどう扱ってきたかを振り返ってみたいと思います。たとえば英語です。長いあいだ、英語が話せることはビジネスパーソンにとって大きな武器とされてきました。けれども正直なところ、英語は「あったほうがいい」スキルでした。話せない社員がいても、話せる社員が代わりに対応すればよかったですし、いまでは翻訳ソフトの精度も上がり、苦手な人をある程度は道具で補うことができます。

ところがAIは、少し性質が違います。AIそのものが、いわば賢い道具です。問題は、その道具を使いこなせない人を補ってくれる、さらに別の道具が存在しないということです。英語ができない人を翻訳ソフトが助けてくれたように、AIを使えない人を助けてくれる便利な何かは、いまのところありません。結局のところ、AIを使えるかどうかは、その人自身が向き合うしかない。だからこそ住友商事は、これを「あれば望ましいスキル」ではなく、「全社員が身につけるべき標準装備」として位置づけ、制度として測りにかかったのだと思います。報道でも、基礎的な等級については、いずれ国内社員に取得を求めていく方針が伝えられています。

つまり、AIを使えるかどうかは、これからの社員の評価において、避けて通れない項目になっていくということです。これは大企業に限った話ではありません。むしろ人員に余裕のない中小企業ほど、一人ひとりがAIをどれだけ使えるかが、会社全体の力に直結します。



「測ること」と「報いること」は別の問題です


ただ、私がこのニュースで本当に注目したのは、制度のすばらしさそのものよりも、その「先」にある論点です。

住友商事の制度は、AIスキルを等級として見える化し、人の配置にまで活かすという点で、たしかに踏み込んでいます。しかし、報道されている範囲で見るかぎり、この等級が社員の給料や賞与に直接結びつくとは、はっきりとは語られていないようです。つまり、「誰がAIを使えるか」を測り、「どこに配置するか」までは決める。けれども、「AIを使って成果を出した人に、どう報いるか」という報酬の話は、まだ正面からは扱われていないように見えるのです。

「測ること」と「報いること」は、まったく別の問題です。社員の力を正しく測れたとしても、その力を発揮して成果を出した人にきちんと報いる仕組みがなければ、人はやがて努力をしなくなります。むしろ、ここからが経営者にとっての本当の出番だと私は考えています。大企業が「測る」段階に踏み出したいま、中小企業が次に問うべきは、「成果を出した人に、どう報いるか」なのです。



そもそも「AIで成果を出す」とは、どういうことでしょうか


報酬の話に入る前に、ひとつ整理しておきたいことがあります。それは、「AIで成果を出す」とは、いったい何を指すのか、ということです。

ここを誤解すると、制度の設計を間違えます。多くの方は、「AIを速く、上手に使える人」を思い浮かべるかもしれません。たしかに、文章を書く、資料をまとめる、調べ物をするといった作業を、AIを使ってサッと終わらせられる社員は頼もしいものです。けれども、それだけでは会社の成果には直結しません。なぜなら、それは「その人個人の作業が速くなった」だけだからです。本人が休んだり辞めたりすれば、その速さは会社から消えてしまいます。

本当に価値があるのは、AIを使って、組織の仕事そのものを「仕組み」に変えてしまう人です。たとえば、毎月誰かが何時間もかけて手作業でやっていた集計やチェックの作業を、AIを組み込んだ手順にして、誰がやっても同じ品質で短時間に終わるようにする。あるいは、ベテラン社員の頭の中にしかなかった判断のコツを、AIに任せられる形に整理して、新人でも一定のレベルで対応できるようにする。こうした働きは、その人個人の作業を速くするのではなく、組織全体の仕事のやり方を底上げします。一人の天才が速く動くのではなく、平凡な人でもうまく回るようにする。これこそが、AI時代に最も価値のある成果です。

少し具体的に思い描いてみましょう。たとえば、ある会社で、顧客からの問い合わせメールへの返信を、長年ベテランの事務担当者が一手に引き受けていたとします。彼女は商品知識も豊富で、文面も丁寧で、お客様の評判もよい。けれども、彼女が休むと返信が滞り、彼女が辞めたら会社は途方に暮れる。これが「個人技」に頼った状態です。ここで、別の若手社員が、彼女の過去の返信文をAIに覚えさせ、よくある問い合わせには返信の下書きが自動で作られる仕組みを整えたとします。すると、ベテランでなくても、その下書きに少し手を入れるだけで、ほぼ同じ品質の返信ができるようになります。会社は特定の一人に依存しなくなり、対応のスピードも上がる。これが「仕組みづくり」です。

このとき、評価されるべきはどちらでしょうか。もちろん、長年の知識を蓄えてきたベテランの貢献は尊いものです。けれども、その知識を会社の財産として誰でも使える形に変えた若手の働きもまた、別の角度から大いに評価されるべきです。従来の評価制度では、こうした「仕組みを作った人」の貢献は、なぜか目に見えにくく、見過ごされがちでした。本人が「自分の仕事を楽にしただけ」と謙遜しているうちに、会社にとっては何百時間もの節約になっていた、ということが、実際によく起こります。

言いかえれば、「個人技」よりも「仕組みづくり」です。そして、この区別こそが、これからの賃金・人事制度を考えるうえでの土台になります。



いまの制度のままでは、「効率化した人ほど損をする」


ここで、多くの会社が抱えている、根の深い問題に触れなければなりません。

仮に、ある社員が自発的にAIを学び、自分の部署の面倒な事務作業を、月に何十時間分も削減する仕組みを作り上げたとします。すばらしい貢献です。ところが、いまの多くの会社の評価制度では、この社員はどう扱われるでしょうか。たいていの場合、「君は仕事が早く終わるようになったね」と言われて、空いた時間に別の仕事を追加で任されるのが関の山です。給料が上がるわけでも、特別な評価をされるわけでもありません。

これでは、どうなるでしょうか。頑張って業務を効率化した社員ほど、結果として損をすることになります。仕事を早く終わらせたら、その分だけ多く働かされる。それなら、わざわざ工夫などせず、これまでどおりのやり方で、適度に時間をかけて働いていたほうが得だ——社員がそう考えるのは、ある意味で当然です。こうして、せっかく芽生えた現場の工夫やAI活用への意欲は、あっという間に冷え切ってしまいます。

経営者が「うちもAIを活用して生産性を上げよう」と号令をかけても、現場が動かない理由の多くは、ここにあります。やる気がないのではありません。頑張っても報われない仕組みのままだから、頑張らないほうが合理的になってしまっているのです。だからこそ、AIの普及にあわせて、賃金制度と人事制度そのものを見直す必要があるのです。道具を入れるだけでは、人は動きません。報いる仕組みを整えて、はじめて人は動きます。



解決のカギは、「二つのものさし」で評価することです


では、どう設計すればよいのでしょうか。ここで私がおすすめしたいのは、評価のものさしを一本に絞らず、二つに分けて考えるという発想です。

一つめのものさしは、これまでどおりの「本業の成果」です。営業なら売上や顧客対応、製造なら品質や納期、事務なら正確さやスピードといった、その人が担当する仕事そのものの達成度です。これは従来どおり、基本給の昇給や通常の賞与に反映させます。ここを変える必要はありません。

二つめのものさしが、新しく加える「AIを活用した組織への貢献」です。さきほど述べたように、AIを使って自部署の作業時間を削減したり、属人化していた仕事を誰でも回せる仕組みに変えたりした貢献を、本業とは切り離して、別枠で評価するのです。こちらは、毎月決まった額の手当として支給したり、賞与のときに特別枠として上乗せしたりする形が考えられます。

この「二本のものさし」には、大きな利点があります。それは、社内の秩序を壊さずに、新しい挑戦を後押しできるという点です。たとえば、AIは正直あまり得意ではないけれど、本業ではずば抜けた成績を出しているベテラン社員がいたとします。一本のものさしで「これからはAIだ」とやってしまうと、こうした人の評価が不当に下がり、不満が噴き出します。けれども二本に分ければ、本業の成果はこれまでどおり正当に評価したうえで、AIによる貢献は別枠の話として扱えます。AIが苦手な人を守りながら、AIで仕組みを作る人を称える。この両立ができるのです。

逆に、本業の成績は平均的でも、AIを使って部署全体の事務作業を大幅に減らす仕組みを作り上げた「縁の下の力持ち」がいたとします。従来の評価では目立たず埋もれてしまうこうした人材を、二つめのものさしで堂々と高く評価できる。会社にとって本当に貴重な「仕組みづくりの名人」を、きちんと処遇できるようになるのです。



「成果をどう見極めるのか」という心配について


ここまで読んで、「考え方はわかったが、AIの貢献をどう見極めればいいのか。営業の数字のように、はっきりした基準がないではないか」と感じられた方もいるでしょう。これはもっともな疑問です。

結論から言えば、最初から完璧な物差しを作ろうとしなくて大丈夫です。むしろ、いちばんわかりやすいのは「時間」です。その社員の工夫によって、これまで何時間かかっていた作業が、何時間に減ったのか。月に何時間分の手間が浮いたのか。これは現場の社員に申告してもらい、上司が「たしかにそうだ」と確認すれば、十分に判断できます。厳密な計測でなくてもかまいません。「以前は二人がかりで丸一日かかっていた月末の集計が、いまは一人で半日で終わるようになった」——この程度の、現場の実感に基づく説明で十分なのです。

そしてもう一つ、見るべき大切な点があります。それは「その仕組みが、本人以外でも使えるか」ということです。本人だけが使える便利な裏ワザは、評価としては控えめでよいでしょう。けれども、他の社員にも手順を共有し、チームの誰もが使える状態にまで整えたのなら、これは高く評価すべきです。なぜなら、それこそが会社の財産になる「仕組み」だからです。「どれだけ時間を減らしたか」と「どれだけ多くの人が使えるか」。この二つを目安にすれば、特別な専門知識がなくても、経営者は十分に正しい判断ができます。

ただし、一点だけ注意があります。それは、安全のルールを同時に決めておくことです。社員が自由にAIを使えるようになると、つい便利さのあまり、会社の機密情報やお客様の情報を、社外のAIサービスに気軽に入力してしまう人が出てきます。これは情報漏れの大きなリスクです。ですから、「どの情報はAIに入れてよいか、どの情報はだめか」という最低限のルールだけは、制度づくりとあわせて必ず定めておいてください。報いる仕組みと、守るルール。この二つは、いつも一対で考える必要があります。



求められる人材像が変わります——「個人の能力」から「仕組みを作る力」へ


ここまでお読みいただくと、AI時代に会社が求める人材像が、これまでとは少しずつ変わってくることが見えてくると思います。

これまで、優秀な社員といえば、個人の処理能力が高い人を指すことが多かったはずです。仕事が速い、知識が豊富、判断が的確——もちろん、こうした力はこれからも大切です。けれども、AIがその個人の処理能力の多くを肩代わりしてくれるようになると、人にしか生み出せない価値の重心が移っていきます。それが、「AIを使って、組織全体がうまく回る仕組みを作る力」です。

自分一人が速く動くのではなく、AIをうまく組み込んで、チーム全体、会社全体の生産性を引き上げる。誰か特定の人に頼らなくても仕事が回る状態を作る。こうした「仕組みを設計する力」を持った社員こそが、これからの会社の財産になります。そして、こうした人材を見つけ、正しく報いることができるかどうかが、経営者の腕の見せどころになります。

これは、中小企業にとってむしろ朗報です。大企業のように分厚い人員を抱えていなくても、一人の「仕組みづくりの名人」がいれば、会社全体の生産性を大きく変えられる時代になったということだからです。



中小企業こそ、身軽に動けます


「とはいえ、住友商事のような立派な等級制度を作るのは、うちには無理だ」——そう感じられたかもしれません。ですが、ご安心ください。中小企業に必要なのは、あんな大がかりな仕組みではありません。むしろ、組織が小さく、経営者の判断ですぐに制度を動かせる中小企業のほうが、はるかに身軽に始められます。

たとえば、最初の一歩は、手当を一つ新設するだけでも構いません。「業務改善手当」でも「AI活用手当」でも、名前は何でもよいのです。AIを使って部署の仕事を仕組み化し、明確に時間やコストを削減した社員に、毎月いくらかを支給する。あるいは、賞与を決めるときの評価項目に、「AIを活用して組織にどれだけ貢献したか」という一行を加える。これだけでも、社員へのメッセージは明確に伝わります。「この会社は、効率化の工夫をきちんと見ていて、報いてくれる」と。

たとえば、こんな始め方が考えられます。まずは、全社員に「AIを使って、自分やチームの仕事をどう楽にできそうか、アイデアを出してほしい」と呼びかけてみる。出てきたアイデアのうち、効果のありそうなものを実際に試してもらう。そして、実際に時間やコストの削減につながった社員を、四半期に一度でも社内で表彰し、ささやかでも手当や一時金で報いる。最初はこの程度の、ゆるやかな運用で十分です。大切なのは、完璧な制度を作ることではなく、「工夫した人が報われる」という事実を、社員の目に見える形で示すことです。一人でも報われた社員が出れば、「自分もやってみよう」という空気が、自然と社内に広がっていきます。

ここで大切なのは、賃上げの順番です。いま、多くの中小企業が、「他社が上げているから」「人が採れない、辞められると困るから」という理由で、利益の裏付けのないまま、やむを得ず給料を上げています。これは、会社の体力を確実に削っていく、苦しい賃上げです。

これに対して、私がお伝えしたいのは、まったく逆の順番です。まずAIを活用して、社内の無駄な作業時間と、それに伴うコストを先に減らす。残業が減り、空いた時間でより付加価値の高い仕事ができるようになれば、会社の利益は確実に増えます。そうして生まれた利益という「原資」を、それをもたらしてくれた当事者に、手当という形で還元する。これなら、給料を上げても会社は苦しくなりません。むしろ、給料を上げるほど、会社が健全になっていきます。原資を先に作り、それから分けるという順番こそが、AI時代の健康的な賃上げのかたちです。



おわりに


住友商事のニュースが私たちに教えてくれたのは、「AIを使えるかどうか」が、これからの社員評価の正式な項目になっていく、という事実です。大企業は、まず「誰が使えるか」を測る段階に踏み出しました。

けれども、測るだけでは人は動きません。中小企業の経営者が次に問うべきは、その先にある問いです。すなわち、「AIを使って会社に成果をもたらしてくれた人に、どう報いるか」。この問いに、自社なりの答えを用意できた会社から、AIへの投資が本当の意味で実を結び始めます。

道具を入れるだけでは、人は変わりません。けれども、報いる仕組みを整えれば、人は驚くほど動きます。制度が、人の行動を変えるのです。AIという強力な道具を手にしたいまこそ、自社の賃金制度と人事制度を、一度じっくり見つめ直してみてはいかがでしょうか。

 

プロフィール

一般社団法人パーソナル雇用普及協会
代表理事 萩原 京二

1963年、東京生まれ。早稲田大学法学部卒。株式会社東芝(1986年4月~1995年9月)、ソニー生命保険株式会社(1995年10月~1999年5月)への勤務を経て、1998年社労士として開業。顧問先を1件も持たず、職員を雇わずに、たった1人で年商1億円を稼ぐカリスマ社労士になる。そのノウハウを体系化して「社労士事務所の経営コンサルタント」へと転身。現在では、200事務所を擁する会員制度(コミュニティー)を運営し、会員事務所を介して約4000社の中小企業の経営支援を行っている。2023年7月、一般社団法人パーソナル雇用普及協会を設立し、代表理事に就任。「ニッポンの働き方を変える」を合言葉に、個人のライフスタイルに合わせて自由な働き方ができる「パーソナル雇用制度」の普及活動に取り組んでいる。


Webサイト:一般社団法人パーソナル雇用普及協会

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