中小企業の「シン人材確保戦略」を考える

第85回

労働安全衛生法の改正と熱中症対策 〜中小企業経営者が知っておくべき新たな義務と実務対応〜

一般社団法人パーソナル雇用普及協会  萩原 京二

 

1.はじめに

近年、職場における熱中症の発生が増加傾向にあります。厚生労働省の統計によると、職場での熱中症による死傷者数は2015年の464人から2024年には1,195人へと大幅に増加し、毎年30人前後が命を落としています。特に注目すべきは、死亡事例の多くが「初期症状の放置、対応の遅れ」によるものだという点です。

こうした状況を受け、熱中症対策を強化するため、労働安全衛生規則(以下、「安衛則」)が改正され、令和7年(2025年)6月1日から、事業者に対して熱中症対策が罰則付きで義務化されることになりました。本コラムでは、中小企業の経営者の皆様に向けて、この改正内容と実務対応について解説します。


2.熱中症とはどのような症状か

熱中症とは、高温多湿な環境下で体内の水分と塩分のバランスが崩れたり、体内の調整機能が破綻したりすることで発症する障害の総称です。症状は以下のように軽度から重度まで幅広く、重症化すると命に関わります。

・軽度:めまい、立ちくらみ、大量の発汗、筋肉の硬直

・中程度:頭痛、嘔吐、倦怠感、虚脱感

・重度:意識障害、けいれん発作、高体温(40℃以上)

職場での熱中症は、強い日射しを受ける屋外作業だけでなく、高温多湿な屋内環境でも発生します。特に注意が必要なのは、身体がまだ暑さに慣れていない6月頃や作業開始当初の時期です。統計によると、熱中症の発生は6月から増加し始め、7〜8月にピークを迎え、9月にもなお発生しています。


3.改正の内容—何が義務化されるのか

<現行法の規制>

現行の労働安全衛生法(以下、「安衛法」)においても、事業者は高温等による健康障害を防止するため必要な措置を講じることが求められています(安衛法22条2号)。具体的には、多量の発汗を伴う作業場での塩及び飲料水の備付け(安衛則617条)や、暑熱の屋内作業場での温湿度調節の措置(安衛則606条)などが義務付けられています。


<今回の改正で新たに義務化される措置>

今回の改正では、これまでの規制に加え、以下の3つの措置が新たに事業者に義務付けられます:

(1)報告体制の整備

熱中症の自覚症状を有する場合や、他の者が熱中症の疑いを発見した場合に、その旨を報告できる体制を整備すること(安衛則612条の2第1項)

(2)実施手順の作成

熱中症の症状の悪化を防止するために必要な措置(作業からの離脱、身体の冷却、医師の診察または処置など)の内容とその実施に関する手順を作業場ごとに定めること(安衛則612条の2第2項)

(3)関係者への周知

上記1および2について、作業に従事する者に周知すること(安衛則612条の2第1項および第2項)

これらの措置を怠った場合、行為者および法人に対して刑事罰が科される可能性があります(安衛法119条1号:6カ月以下の懲役または50万円以下の罰金、122条:両罰規定で法人には50万円以下の罰金)。


<対象となる人>

この改正による熱中症対策の義務は、労働者だけでなく、同一の作業場で働く労働者以外の者(個人事業主、派遣労働者、アルバイト、実習生など)も対象となります。建設アスベスト訴訟に関する最高裁判決を受け、安衛法に基づく保護対象が労働者以外の者にも拡大されたことを踏まえた措置です。


<対象となる作業>

今回の改正における「熱中症による健康障害を生ずるおそれのある作業」とは、具体的には以下の条件を満たす作業が該当します:

・環境条件:WBGT28度以上または気温31度以上の環境下で行われる作業

・作業時間:連続1時間以上または1日4時間を超えて実施が見込まれる作業

WBGTとは「Wet-Bulb Globe Temperature(湿球黒球温度)」の略で、暑さ指数とも呼ばれます。気温だけでなく、湿度、風速、輻射(放射)熱を考慮した指標です。

熱中症が多発している業種は、建設業(20%)、製造業(19%)、運送業(14%)、警備業(11%)、商業(10%)、清掃・と畜業(6%)などです。屋外作業環境だけでなく、冷房設備のない工場や倉庫、高熱を発する機械がある作業場などの屋内環境も注意が必要です。


4.実務対応—具体的に何をすべきか

(1) 報告体制の整備

熱中症の疑いがある場合に迅速に報告できる体制を整備しましょう。


報告先の決定:

・現場管理者(作業長、班長、店長など)

・衛生管理者、安全衛生推進者

・安全衛生担当部署

・総務・人事部門の担当者


報告方法の明確化:

・電話番号(固定電話、携帯電話)

・無線やトランシーバー

・メール、社内チャットツール


既存の緊急連絡網を活用し、熱中症の報告についても組み込むことで、新たな負担を最小限に抑えることができます。また、最寄りの救急病院・診療所の情報や救急安心センター事業(#7119)の案内も整備しておきましょう。


(2)実施手順の作成

熱中症の疑いのある者を発見した場合の対応手順を作業場ごとに作成します。


基本的な実施手順の流れ:

a)熱中症のおそれがある者を発見したら、まず意識の確認

b)意識がない場合は直ちに救急車を要請(119番通報)

c)意識がある場合は:

・作業からの離脱(涼しい場所への避難)

・身体の冷却(衣服をゆるめる、首・脇・足の付け根を冷やす)

・水分・塩分の補給(自力で摂取できる場合)

d)経過観察と症状に応じた対応:

・症状が改善すれば作業復帰を検討

・症状が改善しない、または悪化する場合は医療機関へ搬送

実施手順はフローチャート形式で示すと分かりやすいでしょう。


(3)関係者への周知

報告体制と実施手順を、関係するすべての作業者に確実に周知しましょう。


周知の方法:

・文書の配布(マニュアル、ポケットカード)

・メールやイントラネットでの共有

・ポスターや掲示物による「見える化」

・朝礼や安全衛生会議での説明

周知の対象は労働者に限らず、同一の作業場で働くすべての人です。改正省令の施行日は2025年6月1日ですが、6月から熱中症の発生が増加することを考えると、できるだけ早い段階で準備を整え、周知を完了しておくことが望ましいでしょう。


5.企業としてのリスク管理

<法的リスクの高まり>

今回の改正により、熱中症が発生した場合の法的リスクが従来よりも高まります。


<刑事責任のリスク>

 今回の改正では明確な客観的基準が示されており、熱中症による重篤事案が発生した場合に、報告体制の整備などの措置が適切に講じられていなかったときは、刑事事件に発展するリスクが高まります。


<民事上の責任リスク>

 使用者は労働契約上、労働者の安全配慮義務を負っています(労働契約法5条)。過去の裁判例では、WBGT値を測定・把握していなかったことや被災者の体調確認を怠ったことについて安全配慮義務違反があったと判断された事例があります。

熱中症リスクは、気候変動の影響、労働人口の高齢化、健康リスクの増加などにより年々高まっています。今回の改正を契機として、職場での熱中症予防対策を見直すことが重要です。


6.総合的な熱中症予防対策

今回の改正措置を遵守することは最低限の義務ですが、従業員の健康を守るためには、より総合的な熱中症予防対策が重要です。


(1)作業環境管理

・WBGT値や気温の把握と監視

・日除け・簡易テント・遮熱シートの設置

・通風・冷房・除湿設備の設置

・休憩場所の確保と整備


(2)作業管理

・高温時の作業中止や時間短縮

・休憩時間の確保と定期的な取得

・暑熱順化への配慮(7日以上かけて徐々に慣らす)

・定期的な水分・塩分摂取の指導

・服装の工夫(透湿性・通気性の良い作業着)


(3)健康管理

・作業前の健康状態確認

・定期的な声かけと体調チェック

・バディ制(2人1組)による相互確認

・基礎疾患を持つ従業員への配慮


(4)教育・訓練

・熱中症の症状と予防方法の教育

・緊急時の対応訓練

・管理者への教育と責任の明確化

・「無理をしない」風土づくり


7.まとめ—今からできる対策

令和7年(2025年)6月1日の改正省令施行に向けて、以下のステップで準備を進めましょう。


<短期的に取り組むべき対策(1~2カ月以内)>

・職場環境の熱中症リスク評価

・報告体制の整備

・実施手順の作成

・関係者への周知準備


<中長期的に取り組むべき対策>

・設備・物品の準備(WBGT測定器、休憩場所、水分・塩分補給設備)

・管理体制の強化(責任者の選任、教育訓練)

・作業計画の見直し(時間帯変更、作業時間短縮)

・健康管理体制の強化(健診結果活用、個別対応)


熱中症は予防可能な健康障害です。法的義務を果たすことはもちろん、従業員の健康と安全を守るという観点から、万全の対策を講じましょう。また、今回の改正を機に、職場の安全衛生管理体制を見直す良い機会ともなるでしょう。


 

プロフィール

一般社団法人パーソナル雇用普及協会
代表理事 萩原 京二

1963年、東京生まれ。早稲田大学法学部卒。株式会社東芝(1986年4月~1995年9月)、ソニー生命保険株式会社(1995年10月~1999年5月)への勤務を経て、1998年社労士として開業。顧問先を1件も持たず、職員を雇わずに、たった1人で年商1億円を稼ぐカリスマ社労士になる。そのノウハウを体系化して「社労士事務所の経営コンサルタント」へと転身。現在では、200事務所を擁する会員制度(コミュニティー)を運営し、会員事務所を介して約4000社の中小企業の経営支援を行っている。2023年7月、一般社団法人パーソナル雇用普及協会を設立し、代表理事に就任。「ニッポンの働き方を変える」を合言葉に、個人のライフスタイルに合わせて自由な働き方ができる「パーソナル雇用制度」の普及活動に取り組んでいる。


Webサイト:一般社団法人パーソナル雇用普及協会

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