中小企業の「シン人材確保戦略」を考える

第90回

離職率を改善するためのエンゲージメント調査 ~中小企業経営者に贈る「人づくり」の新たな指針~

一般社団法人パーソナル雇用普及協会  萩原 京二

 

1. はじめに:なぜ今、エンゲージメント調査が不可欠なのか

中小企業の経営者にとって、人材の確保と定着は最大の課題の一つです。 少子高齢化による労働力不足が深刻化する中、優秀な人材を獲得し、長期間にわたって組織に定着させることは、企業の存続と成長を左右する重要な要素となっています。

厚生労働省の調査によると、中小企業の離職率は大企業と比較して高い傾向にあり、特に入社3年以内の若手社員の離職率は30%を超える業界も珍しくありません。離職率が高いことによる具体的な影響として、採用・教育コストの増大があります。新しい人材を採用するために必要な費用は、一人当たり数十万円から百万円以上に及ぶことも少なくありません。さらに、業務の継続性や顧客対応の質の低下により、企業の信頼性や競争力にも悪影響を及ぼします。

最も深刻なのは、離職者の増加が現場の負担を増やし、残った従業員のモチベーション低下や過重労働を招き、さらなる離職を引き起こすという「負の連鎖」です。この悪循環に陥った企業では、組織の安定性が失われ、長期的な事業計画の実行が困難になります。

こうした状況を打破するためには、表面的な待遇改善や一時的なモチベーション向上策だけでは限界があります。従業員が「この会社で働き続けたい」「会社の成長に貢献したい」と心から思えるような組織文化と環境を構築することが不可欠です。

そのための最も効果的なツールが「エンゲージメント調査」です。 エンゲージメント調査は、従業員の会社への愛着や貢献意欲を客観的に測定し、組織の課題を明確に把握することで、離職防止や生産性向上、組織風土の改善に直結する施策を立案できる画期的な手法として、世界的に注目を集めています。



2. 従業員満足度・モチベーション・エンゲージメントの本質的な違い

従業員満足度(ES)、モチベーション、エンゲージメントは、どれも組織の健全性を示す重要な指標ですが、その本質的な意味や組織への影響には明確な違いがあります。

従業員満足度(ES)は、従業員が職場や仕事、待遇、人間関係などの労働環境に対してどれだけ満足しているかを示す指標です。給与や福利厚生、職場の物理的環境、上司との関係、仕事の内容や量など、職務を取り巻く環境全般に対する満足感を測定します。ESが高い状態では、従業員の不満やストレスが少なくなり、職場の雰囲気が良好に保たれる傾向があります。しかし、満足度が高いからといって、必ずしも高い業績や積極的な貢献行動に直結するとは限りません。

モチベーションは、従業員が仕事に対してどれだけ意欲ややる気を持っているかを表す心理的なエネルギーです。個人の目標達成欲求や自己実現欲求、承認欲求などが満たされることで高まり、モチベーションが高いほど生産性や創造性、学習意欲が向上します。ただし、モチベーションは変動性があり、高いモチベーションを持つ従業員でも、それが必ずしも会社への帰属意識や長期的な定着意識に直結しないという特徴があります。

エンゲージメントは、従業員が会社に対してどれだけ感情的なつながりを持ち、積極的に貢献しようとする意欲を持っているかを示します。これは単なる満足ややる気を超えた、より深い心理的な結びつきを意味します。エンゲージメントが高い従業員は、「会社のために積極的に行動したい」「会社の成功が自分の成功でもある」という強い思いを持っています。

国内外の多くの調査研究によると、エンゲージメントスコアが高い企業ほど離職率が低く、業績も良好であることが明確に確認されています。 特に、ギャラップ社の調査では、エンゲージメントが高い企業は低い企業と比較して、離職率が最大40%低く、生産性が最大21%高いという結果が報告されています。



3. エンゲージメント調査の戦略的導入と実践的活用方法

エンゲージメント調査は、従業員の会社への愛着や貢献意欲を科学的に測定し、組織の潜在的な課題を明確に把握するための戦略的ツールです。 中小企業でも、適切な手順を踏むことで効果的に導入することができます。


・調査目的の戦略的な明確化

まず、調査を実施する目的を経営戦略と連動して明確に設定することが重要です。「離職率を現在の25%から1年以内に15%まで低下させる」「若手社員の定着率を向上させる」「部署間のコミュニケーションを改善する」など、具体的で測定可能な目標を設定しましょう。


・調査方法の選択と設計

調査方法には複数の選択肢があります。外部の専門業者に依頼する方法では、豊富な経験と専門知識を活用でき、他社との比較分析も可能です。一方、社内でアンケートを作成する方法では、コストを抑えながら自社の特性に合わせた調査設計が可能です。近年注目されているのは、クラウド型のエンゲージメント調査ツールで、事前に設計された信頼性の高い質問項目を使用でき、自動集計・分析機能により、専門知識がなくても本格的な調査を実施できます。


・パルスサーベイの戦略的活用

従来の年1回の大規模調査に加えて、パルスサーベイと呼ばれる短期間・高頻度の調査手法も非常に効果的です。5〜10問程度の簡潔な質問を月1回または四半期に1回実施することで、従業員のリアルタイムな声を継続的に把握でき、問題の早期発見と迅速な対応が可能になります。


・eNPS(従業員推奨スコア)の効果的な活用

エンゲージメント調査では、eNPS(Employee Net Promoter Score)という指標が広く活用されています。「あなたは、この会社を友人や知人に働く場所として推奨しますか?」という質問に対して、0〜10の11段階で回答してもらい、推奨者の割合から批判者の割合を差し引いて算出するシンプルな指標です。従業員の会社に対する総合的な評価を一つの数値で表現でき、時系列での変化や部署間の比較が容易になります。



4. 調査結果の分析と実効性の高い改善策の立案

エンゲージメント調査の真価は、調査結果を深く分析し、実効性の高い改善策を立案・実行することにあります。


・多角的な結果分析とインサイトの抽出

調査結果の分析では、部署別、年代別、勤続年数別、役職別などのセグメント分析を行うことで、組織内のどの層にどのような課題があるのかを具体的に把握できます。例えば、全社平均のエンゲージメントスコアが平均的であっても、営業部門では高く、製造部門では低いという傾向が見られる場合、部門固有の課題が存在する可能性があります。


・現場参加型の改善策立案プロセス

調査結果を基にした改善策の立案では、経営陣だけでなく現場のリーダーや従業員も参加するプロセスを構築することが重要です。部署別の改善検討会議を開催し、調査結果を共有した上で、「なぜこのような結果になったのか」「どのような改善策が効果的か」といった議論を行います。このプロセスを通じて、従業員の当事者意識が高まり、改善策の実行力も向上します。


・段階的な改善計画の策定

調査で明らかになった課題をすべて同時に解決しようとすると、かえって効果が薄れてしまう可能性があります。影響度と実現可能性を考慮して、改善策に優先順位をつけ、段階的に実行する計画を策定することが重要です。短期的に実現可能で効果が見えやすい「クイックウィン」な改善策から着手し、成功体験を積み重ねながら、より困難で時間のかかる構造的な改善に取り組むというアプローチが効果的です。



5. エンゲージメント調査導入による具体的効果と成功事例

エンゲージメント調査を戦略的に導入・活用した企業では、離職率の劇的な低下や生産性の大幅な向上、組織風土の根本的な改善など、経営に直結する顕著な効果が数多く報告されています。


<製造業A社:システマティックな改善による離職率30%削減>

従業員120名の中小製造業A社では、年間離職率が30%を超える深刻な状況に直面していました。エンゲージメント調査の結果、特に入社2〜3年目の若手社員のエンゲージメントが著しく低く、その主な要因が「キャリアパスの不明確さ」「技術習得支援の不足」「先輩社員とのコミュニケーション不足」であることが判明しました。

同社では、個人別キャリア開発計画の策定と定期的な面談制度を導入、技術習得を支援するメンター制度を確立、部門を超えた交流を促進するための定期的な懇親会や勉強会を開催しました。これらの取り組みの結果、2年後には年間離職率が10%まで低下し、生産性も15%向上するという効果を得られました。


<サービス業B社:コミュニケーション改善による生産性向上>

従業員80名のサービス業B社では、エンゲージメント調査により「部門間の情報共有不足」「上司との距離感」「チームワークの不足」が主要な問題として浮き彫りになりました。管理職向けのコミュニケーションスキル研修を実施し、週1回の部門横断ミーティングと月1回の全社員参加の情報共有会を導入、上司と部下の1on1ミーティングを定期的に実施した結果、業務効率が20%向上し、顧客満足度も大幅に向上しました。



6. 助成金の戦略的活用と最大化のポイント

中小企業がエンゲージメント調査を導入する際、経済的負担を軽減するために、「人材確保等支援助成金」の活用は極めて有効です。


・人材確保等支援助成金(雇用管理制度・雇用環境整備助成コース)の詳細

令和7年4月1日より受付が再開された人材確保等支援助成金(雇用管理制度・雇用環境整備助成コース)は、雇用管理制度や職場環境の整備を通じて、従業員の働きがいや定着率向上を目指す事業主を支援する制度です。エンゲージメント調査は、「職場活性化制度」の中の「従業員調査(エンゲージメントサーベイ)」として明確に対象となっており、20万円(賃金要件を満たす場合は25万円)の定額助成が受けられます。


・具体的な助成内容と金額

職場活性化制度として、メンター制度、従業員調査(エンゲージメントサーベイ)、1on1ミーティングのいずれかの施策を新たに導入した場合、導入数に関わらず一律で20万円(賃金要件を満たす場合は25万円)が助成されます。この制度は、エンゲージメント調査の設計・実施費用、外部専門業者への委託費用、調査結果の分析・報告書作成費用などが対象となります。


・助成金申請の戦略的プロセス

助成金を効果的に活用するためには、計画的な申請プロセスが重要です。まず、「雇用管理制度等整備計画」を策定し、労働局の認定を受ける必要があります。この計画書には、エンゲージメント調査の目的、実施方法、期待される効果、改善策の内容を具体的かつ詳細に記載します。計画の策定にあたっては、計画を提出する前1年間の離職率よりも、原則として1%ポイント以上に離職率を低下させるといった具体的で測定可能な目標を設定することが重要です。



7. まとめ:持続的な組織成長を実現するエンゲージメント経営

エンゲージメント調査は、一時的な課題解決の手段ではなく、持続的な組織成長を実現するための経営戦略の中核として位置づけるべきです。 調査を継続的に実施し、その結果を経営判断に活かすことで、強靭で成長力のある組織を構築できます。


・中小企業の競争優位性の源泉

中小企業は、大企業と比較して資金力や知名度では劣るかもしれませんが、機動力や柔軟性、経営者と従業員の距離の近さという独自の強みを持っています。エンゲージメント経営は、これらの強みを最大限に活かす経営手法でもあります。

経営者が従業員一人ひとりと直接コミュニケーションを取り、個人の成長と会社の発展を両立させるキャリアパスを提示することで、大企業では実現困難な深いエンゲージメントを構築できます。


・実践への第一歩

エンゲージメント調査の導入を検討している経営者の皆様へ、まずは小さな一歩から始めることをお勧めします。特定の部署や年代層を対象とした試行的な調査から始め、その効果を実感してから本格的な導入を進めることも有効なアプローチです。重要なのは、調査を実施することではなく、調査結果を真摯に受け止め、従業員のために行動を起こすことです。小さな改善でも、それが従業員に伝われば、組織の雰囲気は確実に変わり始めます。


・最後に、中小企業の経営者の皆様へのメッセージ

「人こそ最大の経営資源」という言葉は、決して美辞麗句ではありません。激化する人材獲得競争の中で、優秀な人材を獲得し、長期間にわたって組織に定着させることができる企業だけが、持続的な成長を実現できるのです。

エンゲージメント調査を通じて、従業員一人ひとりの働きがいと成長意欲を高め、全員が同じ方向を向いて努力する強い組織を構築しましょう。そして、助成金などの制度も積極的に活用し、経済的負担を最小限に抑えながら、効果的な「人づくり」を実現してください。

変化の激しい時代だからこそ、人材の力が企業の未来を決定します。エンゲージメント調査という科学的なアプローチを活用し、従業員と共に成長する企業を目指して、今こそ「人づくり」の新たな一歩を踏み出していただきたいと思います。


 

プロフィール

一般社団法人パーソナル雇用普及協会
代表理事 萩原 京二

1963年、東京生まれ。早稲田大学法学部卒。株式会社東芝(1986年4月~1995年9月)、ソニー生命保険株式会社(1995年10月~1999年5月)への勤務を経て、1998年社労士として開業。顧問先を1件も持たず、職員を雇わずに、たった1人で年商1億円を稼ぐカリスマ社労士になる。そのノウハウを体系化して「社労士事務所の経営コンサルタント」へと転身。現在では、200事務所を擁する会員制度(コミュニティー)を運営し、会員事務所を介して約4000社の中小企業の経営支援を行っている。2023年7月、一般社団法人パーソナル雇用普及協会を設立し、代表理事に就任。「ニッポンの働き方を変える」を合言葉に、個人のライフスタイルに合わせて自由な働き方ができる「パーソナル雇用制度」の普及活動に取り組んでいる。


Webサイト:一般社団法人パーソナル雇用普及協会

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