中小企業の「シン人材確保戦略」を考える

第120回

退職願と退職届は違うのか?経営者が知っておくべき退職の法的構造とは?

一般社団法人パーソナル雇用普及協会  萩原 京二

 

はじめに:SNSに溢れる「退職の常識」は、ほとんどが嘘である


「退職願と退職届は全く違うものです!」「退職願は撤回できるけど、退職届は撤回できません!」「退職願には会社の承諾が必要ですが、退職届は一方的な通告です!」

SNSを開けば、こうした「解説」が連日のように流れてきます。まるで確立された法律知識であるかのように、自信満々に語られています。

しかし、経営者の皆さまにまずお伝えしたいのは、これらの「常識」は法的な根拠を持たない都市伝説に過ぎないという事実です。

法律の条文のどこを探しても、「退職願」と「退職届」という言葉は出てきません。就業規則でこれらの用語を定義している会社もありますが、それは各社が独自に決めた社内ルールであって、法的な効力を持つものではありません。

本当に重要なのは、書類のタイトルではありません。経営者が理解すべきは、退職という現象の法的な構造です。そして、その構造を理解すれば、一つの冷徹な結論に辿り着きます。それは、「本気で辞めたいと思っている人間には、会社側に打つ手はない」という現実です。

本コラムでは、SNSの都市伝説から離れ、法律という確かな根拠に基づいて退職の本質を整理します。そして、去っていく社員を追いかけることの無意味さと、本当に経営者が注力すべき「辞めたくない会社づくり」の重要性をお伝えします。



1.「退職願」と「退職届」の違いは、法律に存在しない


多くの人が当然のように語る「退職願と退職届の違い」ですが、実はこれ、法律のどこにも定義されていません。


<法律が定めているのは「退職の構造」だけ>

民法や労働基準法など、労働関係の法律を隅から隅まで読んでも、「退職願」「退職届」という用語は一切出てきません。法律が規定しているのは、退職という事象がどういう法的プロセスで成立するかという構造だけです。

書類のタイトルが「願」なのか「届」なのかは、法律にとってはどうでもいいことなのです。重要なのは、その書類の内容が「合意退職の申し込み」なのか「辞職の通告」なのか、という実質的な意味です。


<書類のタイトルではなく「内容」が全て>

たとえば、書類のタイトルが「退職願」であっても、本文に「○月○日をもって退職いたします」と断定的に書かれていれば、それは法的には「辞職の意思表示」と解釈される可能性が高くなります。逆に、タイトルが「退職届」であっても、本文が「退職させていただきたく存じます」という相談口調であれば、「合意退職の申し込み」と解釈される余地があります。

つまり、SNSで語られているような「タイトルで決まる」という単純な話ではないのです。裁判になれば、裁判所は書類のタイトルではなく、記載された文章の内容、前後の経緯、当事者間のやり取りなど、すべての状況を総合的に判断します。



2.本当に理解すべきは「合意退職」と「辞職」の違い

書類のタイトルという表面的な話ではなく、経営者が本質的に理解すべきは、退職という現象の法的な構造です。退職には大きく分けて2つのパターンがあります。


(1)合意退職:双方の合意で契約を終わらせる

これは、労働者が「退職したいのですが」と会社に申し込みをし、会社が「それでは、その方向で調整しましょう」と承諾することで成立する退職です。契約の解除について、双方が合意するという形です。

<特徴>

・労働者からの「申し込み」と会社からの「承諾」の両方が必要

・承諾前であれば、労働者が撤回することも可能

・退職日や引き継ぎ期間など、条件を交渉する余地がある

・円満退職の理想形

一般に「退職願」と呼ばれる書類は、この合意退職を求める申し込みとして機能することが多いと言えます。しかし繰り返しますが、タイトルが決め手ではありません。


(2)辞職:労働者が一方的に契約を終わらせる

一方、辞職は労働者の一方的な意思表示によって成立します。会社の承諾や許可は、法的には不要です。これは民法第627条に基づく労働者の権利です。

【民法627条1項】

当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。この場合において、雇用は、解約の申入れの日から二週間を経過することによって終了する。

<特徴>

・会社の承諾は不要

・意思表示が会社に到達した時点でカウントダウン開始

・2週間後には自動的に退職が成立

・会社に拒否権はない

一般に「退職届」と呼ばれる書類は、この辞職の意思表示として機能することが多いのですが、やはりタイトルだけで決まるわけではありません。

ここで経営者が理解すべき核心は、「本気で辞めたいと思っている労働者は、いつでも辞職という手段を取れる」という事実です。どんなに会社が「認めない」と言っても、法律が労働者に与えた権利を止めることはできません。



3.会社に「拒否権」はない――これが現実

「退職届を受け取らなければ、退職は成立しないはずだ」「就業規則に3ヶ月前の申告が必要と書いてあるから、2週間後の退職なんて認められない」――こうした考えは、すべて法的には誤りです。


<「受理しない」という行為に意味はない>

辞職の意思表示は、会社に「到達」した時点で効力を発生します。書類を受け取ろうが受け取るまいが、郵送されて届いた時点、あるいは本人が会社内で書類を置いていった時点で、法的には「到達した」と認定される可能性が高いのです。

受け取りを拒否された労働者が次に取る行動は明確です。


内容証明郵便を送る:

郵便局が「いつ、どんな内容を送ったか」を証明してくれるため、会社が受け取りを拒否しても、到達の事実が証明されます。


退職代行サービスを利用する:

第三者である代行業者が間に入り、淡々と法的手続きを進めます。


いずれの場合も、最終的には会社側が折れるしかありません。抵抗すればするほど、労働基準監督署への申告や訴訟といった、より面倒な事態を招くだけです。


<就業規則の「3ヶ月ルール」は民法に勝てない>

「うちの就業規則には、退職の3ヶ月前に申告することと書いてある」――これは多くの会社の就業規則に記載されています。しかし、民法627条の「2週間」というルールの前では、この規定はほとんど意味を持ちません。

就業規則で3ヶ月と定めることは可能ですが、それはあくまで「会社からのお願い」や「円満退職のための協力要請」としての意味しかありません。労働者が本気で辞める意思を固め、民法上の2週間ルールを主張すれば、会社はそれを法的に拒むことができないのです。

「ルール違反だ!」と怒鳴っても、法律という上位のルールが労働者の側にあるという事実は変わりません。



4.本気で辞めたい人間には、打つ手がない


ここで、経営者の皆さまに直視していただきたい現実があります。それは、「本気で辞めたいと決意した人間に対して、会社側に有効な手段はほとんどない」という冷徹な事実です。


<引き止めの限界>

合意退職の段階、つまり「退職を考えているのですが」と相談してきた段階であれば、まだ話し合いの余地があります。待遇改善や配置転換、職場環境の見直しなどによって、翻意させることができるかもしれません。

しかし、相手が辞職という手段を選んだ場合、つまり「○月○日に退職します」と通告してきた場合、もはや交渉の余地はありません。法律が認めた権利の行使を、会社は止めることができないのです。


<無理な引き止めが招く最悪のシナリオ>

それでも無理に引き止めようとすると、何が起きるでしょうか。


未払残業代の請求:

本来ならうやむやになっていたかもしれない残業代の問題が、「報復」として表面化します。弁護士を雇われ、過去2年分(場合によっては3年分)の未払残業代を請求されます。


労働基準監督署への申告:

退職を妨害されたとして、労基署に駆け込まれます。調査が入り、他の労務管理上の問題まで芋づる式に発覚する危険性があります。


パワハラ訴訟:

引き止めの際の言動が「パワーハラスメント」として訴えられます。慰謝料請求や、場合によっては会社の評判を大きく傷つける事態に発展します。


SNSでの悪評拡散:

不満を抱えた退職者が、口コミサイトやSNSで会社の悪評を書き込みます。採用活動にも深刻な影響が出ます。


つまり、辞める人間を深追いすることは、リスクしかないのです。


<「去る者追わず」が最も合理的な判断>

結論として、本気で辞めると決めた人間は追いかけない。これが経営者として最も合理的な判断です。

感情的には「裏切られた」「恩知らずだ」と思うかもしれません。しかし、限られた経営リソース(時間、お金、精神的エネルギー)を、去っていく人間のために消耗させることに、何の意味があるでしょうか。そのリソースは、今いる大切な社員と、会社の未来のために使うべきです。



5.退職代行が流行る本当の理由――それは会社側の無知


退職代行サービスが急速に広がっている背景には、実は会社側の法律知識の不足があります。


<退職代行は「法律の代弁者」に過ぎない>

退職代行業者は、何か特別な魔法を使っているわけではありません。彼らがやっているのは、民法627条という誰でも使える法律の権利を、労働者の代わりに淡々と行使しているだけです。

「本日より退職の意思表示をします。2週間後が退職日ですが、有給休暇を消化するため本日が最終出勤です」――このロジックに、法的な穴はありません。有給休暇の取得は労働者の権利であり、会社が拒否することは基本的にできないからです。


<経営者が感情的になると、業者の思うツボ>

経営者が「本人と直接話したい」「代行なんて認めない」と感情的に反応すればするほど、業者は「ほら、だから本人は直接話したくないのです。精神的苦痛を受けています」と圧力を強めます。そして最終的には、労働基準監督署への申告や訴訟をちらつかせ、会社側を屈服させます。


<退職代行を呼び寄せないために>

退職代行サービスが必要とされるのは、「普通に退職の意思を伝えても、会社が認めてくれない」という不安や経験があるからです。もし経営者が、退職の法的構造を正しく理解し、本気で辞めたい人間には冷静に対応するという姿勢を持っていれば、労働者はわざわざお金を払って代行業者を雇う必要はありません。退職代行の流行は、ある意味で、経営者側の無知と感情的対応が生み出した「人災」なのです。



6.本当に大切なのは「辞めたくない会社」をつくること

ここまで、退職の法的構造と、辞める人間を追いかけることの無意味さを説明してきました。では、経営者は何をすべきなのでしょうか。


<出口の管理ではなく、入口と中身の充実を>

退職対応に神経をすり減らすよりも、はるかに重要なのは、「そもそも社員が辞めたくなるような会社にしない」ことです。いくら法律知識を身につけ、スムーズな退職対応ができるようになったとしても、優秀な人材がどんどん辞めていく会社に未来はありません。本当の勝負は、出口の管理ではなく、入口(採用)と中身(労働環境・企業文化)の充実にあるのです。


<社員が辞めたくない会社とは>

公正な評価と適切な報酬:

頑張りが正当に評価され、それが給与や待遇に反映される仕組み。


成長の機会:

スキルアップやキャリア形成の支援、挑戦できる環境。


働きやすい職場:

過度な残業がなく、有給休暇を取りやすい文化。パワハラやセクハラのない健全な人間関係。


経営の透明性と信頼:

経営者が誠実で、会社の方向性が明確。社員の声に耳を傾ける姿勢。


働く意義:

自分の仕事が社会や顧客に貢献していると実感できること。


これらが揃っている会社では、そもそも退職者が少なく、仮に退職する人がいても、「次のステップに進むため」といったポジティブな理由であることが多いものです。


<「去り際」が未来を決める>

そして、仮に社員が退職することになった場合、その「去り際」の対応が、会社の未来を大きく左右します。

退職者を感情的に責めたり、嫌がらせをしたりする経営者の姿を見た残存社員は、「自分が辞める時も同じ目に遭うのか」と不安を感じます。これは、社員のロイヤリティを確実に下げます。

逆に、去る人を尊重し、感謝の言葉とともに送り出す姿を見せれば、「この会社は人を大切にしている」という信頼が生まれます。そして、退職者が社外で会社の良い評判を広めてくれたり、将来的に良い人材を紹介してくれたりすることさえあります。

退職対応は、実は残った社員に対する最高の教育機会なのです。



7.経営者が今すぐ実践すべき3つのこと


最後に、本稿の内容を踏まえて、経営者が今日から実践すべきことを3つにまとめます。


① 退職の法的構造を正しく理解する

・退職には「合意退職」と「辞職」の2つがある

・「辞職」には会社の承諾は不要で、拒否できない

・就業規則よりも民法が優先され、基本は2週間で成立

・書類のタイトル(願・届)は本質的な問題ではない

この知識があるだけで、無用な感情的対立を避けることができます。


② 本気で辞める人間は追いかけない

・辞職の意思表示をされた時点で、法的に打つ手はほとんどない

・無理な引き止めは、未払残業代請求や訴訟などのリスクを高めるだけ

・限られた経営リソースは、今いる社員と会社の未来に投入する

「去る者追わず」は、諦めではなく戦略的な経営判断です。


③ 「辞めたくない会社」づくりに全力を注ぐ

・公正な評価、適切な報酬、成長機会、働きやすい環境を整える

・経営の透明性を高め、社員の声に耳を傾ける

・退職者への対応を通じて、残存社員への信頼を築く

出口の管理に悩むのではなく、入口と中身の充実にエネルギーを使う。これこそが、持続可能な経営の本質です。



おわりに:SNSの都市伝説から卒業し、本質に向き合おう


「退職願と退職届の違い」をめぐるSNSの議論は、法的な根拠を欠いた都市伝説に過ぎません。本当に重要なのは、退職という現象の法的構造を理解し、本気で辞めたい人間には打つ手がないという現実を受け入れることです。

去っていく人間を感情的に追いかけても、得られるものは何もありません。それどころか、未払残業代の請求、労基署への申告、パワハラ訴訟、SNSでの悪評拡散といった、深刻なリスクを招くだけです。

経営者として本当に注力すべきは、社員が「辞めたくない」と思える魅力的な会社をつくることです。公正な評価、適切な報酬、成長の機会、働きやすい環境、そして誠実な経営。これらが揃っている会社では、退職対応に悩むこと自体が稀になります。

SNSの喧騒から一歩離れ、法律という確かな土台の上に立ち、本質的な経営課題に向き合いましょう。それが、持続可能で魅力的な会社をつくる、唯一の道なのです。



【付録】経営者のための「退職対応の実践チェックリスト」


□ 退職の申し出を受けたら

・冷静さを保つ:感情的にならず、深呼吸してから対応する

・内容を確認する:合意退職の相談なのか、辞職の通告なのかを見極める

・話を聞く:まだ相談段階なら、本音を引き出す対話を試みる


□ 合意退職(相談)の場合

・改善の余地を探る:待遇、配置、環境など、改善できることはないか検討

・条件交渉する:退職日、引き継ぎ期間などを双方が納得できる形で調整

・無理強いしない:相手の意思が固い場合は、潔く受け入れる


□ 辞職(通告)の場合

・法的期限を確認:2週間後がいつか、有給残日数はどれくらいか把握

・事務的に処理:感情を排除し、手続きに集中する

・リスクを点検:未払残業代や労務管理上の問題はないか確認

・追わない決断:去る人間には深入りせず、損切りする


□ すべての退職に共通

・感謝を伝える:これまでの貢献に対して、誠意ある言葉をかける

・円満な別れを演出:残存社員が見ていることを意識し、尊重ある対応を

・振り返る:なぜ辞めることになったのか、会社に改善点はないか内省する


このチェックリストを実践するだけで、退職トラブルの大半は防げます。そして何より、会社の信頼と魅力を高めることにつながるのです。


 

プロフィール

一般社団法人パーソナル雇用普及協会
代表理事 萩原 京二

1963年、東京生まれ。早稲田大学法学部卒。株式会社東芝(1986年4月~1995年9月)、ソニー生命保険株式会社(1995年10月~1999年5月)への勤務を経て、1998年社労士として開業。顧問先を1件も持たず、職員を雇わずに、たった1人で年商1億円を稼ぐカリスマ社労士になる。そのノウハウを体系化して「社労士事務所の経営コンサルタント」へと転身。現在では、200事務所を擁する会員制度(コミュニティー)を運営し、会員事務所を介して約4000社の中小企業の経営支援を行っている。2023年7月、一般社団法人パーソナル雇用普及協会を設立し、代表理事に就任。「ニッポンの働き方を変える」を合言葉に、個人のライフスタイルに合わせて自由な働き方ができる「パーソナル雇用制度」の普及活動に取り組んでいる。


Webサイト:一般社団法人パーソナル雇用普及協会

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