中小企業の「シン人材確保戦略」を考える

第108回

「モームリ」家宅捜索から考える退職代行の法的リスクと実務対応~

一般社団法人パーソナル雇用普及協会  萩原 京二

 

はじめに


2025年10月、退職代行サービスの大手である「モームリ」を運営する株式会社アルバトロスに対し、警視庁が弁護士法違反(非弁行為)の疑いで家宅捜索を実施しました。このニュースは多くの中小企業経営者にとって衝撃であり、退職代行ビジネスの法的リスクについて改めて認識するきっかけとなっています。

本コラムでは、この事件を起点として、退職代行の実態と企業が取るべき対応について、法的視点と実務的視点の両面から解説します。



1.弁護士法違反とは何が問題だったのか?


今回の捜査のポイントは「非弁行為」、すなわち弁護士資格を持たない者が報酬を得る目的で法律行為を行ったり、法律事務に関与したことにあります。

退職代行「モームリ」は、依頼者である労働者の代わりに勤務先企業に退職の意思を伝えるサービスですが、警察は運営会社が退職希望者を提携弁護士に有償で斡旋し、違法に手数料を受け取っていた疑いを持っています。

弁護士法第72条では、法律事務を弁護士以外が有償で取り扱うことや、弁護士に対して違法な手数料を支払うことは禁止されています。つまり、「モームリ」は退職意思伝達を超え、法律に抵触する行為をしていた可能性があるのです。

非弁行為は利用者だけでなく、企業側にとっても法的リスクを伴います。企業が違法行為を黙認したり、違反業者と交渉することで、トラブルの拡大や責任追及につながる恐れがあるため注意が必要です。特に中小企業では法務部門が整備されていないケースも多く、知らず知らずのうちにリスクを抱え込んでしまう可能性があります。



2.そもそも退職代行とは何か?


退職代行サービスは、労働者本人が直接職場とやり取りせず、依頼者の代わりに退職の意思を伝えるサービスとして発展しました。心理的なハードルの高さから、特に若者を中心に利用が増加し、2023年頃から急激に普及しています。人数としては年間2万人超が利用するとされ、入社直後に利用するケースも珍しくありません。

退職代行サービスは、運営主体によって大きく3つのタイプに分類されます。

第一に「弁護士による退職代行」があります。これは弁護士が直接対応するため、労働条件の交渉や未払い賃金の請求、パワハラ問題への対処など、法律行為を含む包括的な対応が可能です。費用は5万円から10万円程度と高額ですが、法的リスクはゼロで、企業側も正当な交渉相手として対応せざるを得ません。

第二に「労働組合による退職代行」があります。労働組合には団体交渉権が認められているため、一定の交渉行為が可能です。費用は2万円から3万円程度で、弁護士ほど高額ではありませんが、法的根拠を持って企業と交渉できる点が特徴です。

第三に「一般企業による退職代行」があります。これが最も多く、費用も1万円から3万円程度と手頃ですが、法律上は「退職の意思を伝える」ことしかできません。交渉行為に踏み込めば非弁行為となり、今回の「モームリ」事件のような法的リスクを抱えることになります。

退職代行は、「労働者の意向を企業に通知」する点に限れば違法ではありませんが、「労働条件の交渉や有給取得調整、退職日調整」など法的手続きに踏み込むと非弁行為に該当し、刑事罰の対象となり得る業界のグレーゾーンです。こうした法制度の曖昧さがトラブルの温床となっています。



3.なぜ退職代行会社が増えているのか?


退職代行の利用増加には働き方や社会構造の変化が大きく関係しています。

まず、終身雇用制が崩れ、キャリアの自由度が増大した結果、「退職=失敗」ではなく、早期転職が当たり前の転職前提社会が定着しました。特にZ世代(1990年代後半から2000年代初頭生まれ)は、職場での対立を避ける傾向が強く、上司と直接話すことの心理的負担が非常に大きいのです。

次に、パワハラや長時間労働など劣悪な職場環境が根強く、一刻も早く辞めたい、あるいは争いたくないと思う従業員が多いことも背景にあります。厚生労働省の調査によれば、パワハラの相談件数は年々増加傾向にあり、特に中小企業では相談窓口が整備されていないケースも多く見られます。

さらにSNSや動画メディアなどで退職代行の成功体験が広まり、「退職もスマートに解決したい」という社会的認識も高まっています。特にYouTubeやTikTokでは退職代行の利用体験談が多く投稿され、若年層の間で「普通の選択肢」として認識されるようになりました。

また、コロナ禍を経てリモートワークが普及した結果、職場での人間関係が希薄化し、直接対面でのコミュニケーションに不慣れな若手社員が増加したことも一因です。対面での退職交渉に対する心理的ハードルは、以前よりも高くなっていると考えられます。

こうした点が業者増加の追い風となり、2025年現在、全国で100社以上の退職代行事業者が活動していると言われています。参入障壁が低く、ウェブサイトと電話対応さえあれば始められることから、今後もさらなる増加が予想されます。



4.退職代行ビジネスに潜む問題点


退職代行が利用者にとって便利な一方で、企業経営者が知っておくべき問題点も数多くあります。


<非弁行為のリスク>

退職代行業者の中には、法律行為にあたる交渉や条件調整を行う「非弁行為」をしているケースが以前から指摘され、今回の「モームリ」事件は典型例と言えます。

具体的には、有給休暇の取得交渉、退職日の調整、未払い残業代の請求、退職金の交渉、損害賠償請求への対応など、これらはすべて法律行為に該当し、弁護士または労働組合でなければ行えません。しかし、一般企業による退職代行業者の中には、利用者の要望に応えるためにこれらの領域に踏み込んでしまうケースが少なくありません。

企業はこれら違法業者と関わることで法的責任を問われるリスクがあるため、業者との関係構築は慎重かつ法律に即した対応が必要です。特に、違法業者と交渉を行った結果、後から合意内容が無効とされたり、企業側が損害賠償を請求されたりするリスクもあります。


<企業側の実務リスク>

急な退職代行利用による「連絡の一方通行化」は、引継ぎ不足や業務混乱を招きます。特に中小企業では一人の従業員が複数の業務を担当していることが多く、突然の退職は事業継続に直接的な影響を及ぼします。

残された社員への負担増加や士気低下、採用コスト増加など損失は無視できません。退職代行を利用されると、多くの場合、退職希望者は翌日から出社しなくなるため、業務の引継ぎはほとんど行われません。その結果、プロジェクトの遅延、顧客対応の質の低下、他の従業員の過重労働といった連鎖的な問題が発生します。

さらに、社員が退職代行を使った事実は企業の評判に影響し、採用活動にマイナスとなる可能性もあります。求人サイトの口コミや転職エージェントを通じて「退職代行を使わないと辞められない会社」という評判が広まれば、優秀な人材の確保が困難になります。

また、退職代行業者の中には、企業に対して高圧的な態度を取ったり、法的根拠のない要求を突きつけたりするケースもあります。こうした対応に慣れていない中小企業の経営者は、不必要な譲歩をしてしまったり、逆に感情的に対立してしまったりすることがあります。


<利用者本人のキャリアリスク>

退職代行の常態化により、社会人としての対話力や問題解決能力の育成機会が失われることも懸念されています。将来的には転職活動での評価低下につながるリスクもあります。

特に若手社員が早期に退職代行を利用すると、困難な状況での交渉力やコミュニケーション能力を養う機会を逃すことになります。これらのスキルは社会人として不可欠であり、長期的なキャリア形成において大きなハンディキャップとなる可能性があります。



5.企業としての対応策


中小企業経営者が退職代行に対応するにあたって、次の点が重要です。


<退職の意思表示は「本人確認」を徹底すること>

退職届や意思表示は可能な限り本人に直接確認し、口頭や電話でも真意を確認しましょう。退職代行からの連絡のみで手続きを進めることは、後のトラブルの元になります。

具体的には、退職代行業者から連絡があった場合、まず「本人の意思確認をさせていただきたい」と伝え、本人に直接連絡を取る努力をすることが重要です。メール、電話、書面など複数の手段で接触を試み、記録に残すようにしましょう。

ただし、本人が明確に「会社との直接のやり取りを拒否している」場合は、無理に接触を試みることがハラスメントと見なされるリスクもあります。このバランス感覚が難しいところですが、原則として「一度は本人確認を試みた」という記録を残すことが重要です。


<退職代行との「交渉は行わない」こと>

退職代行業者が条件交渉や有給付与など法的な業務に踏み込んできた場合は、応じず弁護士や労働組合に委ねるよう伝えましょう。対応を誤ると非弁行為に加担するリスクになります。

退職代行業者から連絡があった際は、まず「貴社は弁護士事務所ですか、それとも労働組合ですか」と確認することが有効です。一般企業である場合は、「退職の意思表示は承りましたが、条件交渉等については弁護士または労働組合を通じてお願いします」と明確に伝えましょう。

この対応により、企業側は非弁行為に加担するリスクを回避でき、同時に違法業者の活動を牽制することにもつながります。


<退職届受理後の「取り消し」は慎重に対応する>

退職届を正式に受け付けた後に撤回を求められた場合、原則として撤回は認められません。しかし事情によっては例外もあるため、経営者は冷静に判断し、法律専門家に相談の上対応を検討することが望ましいです。

民法上、退職の意思表示は「使用者に到達した時点」で効力を生じ、一方的に撤回することはできないとされています。ただし、錯誤や詐欺、強迫などの事情がある場合は例外的に取り消しが認められることもあります。

退職代行を利用した後に本人が「やはり辞めたくない」と言ってきた場合、企業としては以下の点を検討する必要があります。従業員との関係性、業務への影響、他の従業員への影響、法的リスクなどです。安易に撤回を認めることは、他の従業員への示しがつかない一方で、強硬に拒否することで労働紛争に発展する可能性もあります。このような難しい判断が求められる場合こそ、専門家の助言が不可欠です。


<法的リスク対応として顧問弁護士や労働局と連携を>

非弁行為の疑いがあるケースやトラブルに直面した際は、速やかに法律専門家に相談し適切な処理を行うことが企業リスク軽減に繋がります。

中小企業では顧問弁護士を持たないケースも多いですが、退職代行問題に限らず、労務管理全般において法的リスクは増大しています。月額数万円の顧問契約でも、いざという時の相談窓口があることは大きな安心材料となります。

また、都道府県の労働局や労働基準監督署は、無料で労務相談に応じてくれます。退職代行業者への対応に困った場合、これらの公的機関に相談することも有効な選択肢です。


<予防策としての職場環境改善>

退職代行の利用を減らす最も効果的な方法は、従業員が「直接退職を申し出られる職場環境」を作ることです。

具体的には、定期的な面談制度の導入、相談しやすい雰囲気づくり、パワハラ・セクハラの防止、適切な労働時間管理、公正な評価制度などが挙げられます。特に中小企業では、経営者と従業員の距離が近い分、日常的なコミュニケーションを通じて不満や悩みを早期にキャッチすることが可能です。

また、退職希望者に対して「引き止め」を強く行うことは逆効果です。退職の申し出に対して過度に引き止めたり、感情的に対応したりすることが、かえって退職代行の利用を促す要因となります。退職は労働者の権利であることを認識し、円満な退職を支援する姿勢を持つことが、結果的に企業の評判を守ることにつながります。



6.退職代行対応の実務フロー


実際に退職代行業者から連絡があった場合、企業はどのように対応すべきでしょうか。ここでは、初動から最終対応までの実務フローを整理します。


<ステップ1:初回連絡時の対応>

退職代行業者から電話やメールで連絡があった場合、まず冷静に情報を収集します。業者名、担当者名、連絡先、退職希望者の氏名、退職希望日などを記録し、「内容を確認して折り返します」と伝えましょう。この時点で即答したり、感情的に反応したりすることは避けるべきです。


<ステップ2:業者の属性確認>

業者が弁護士事務所、労働組合、一般企業のいずれであるかを確認します。弁護士であれば弁護士登録番号、労働組合であれば組合名と所在地を確認し、実在性を検証することが重要です。一般企業の場合は、交渉権限がないことを前提に対応します。


<ステップ3:本人確認の試み>

退職希望者本人に対して、メールや書面で意思確認を試みます。ただし、本人が明確に拒否している場合は、過度な接触を避けましょう。この段階での記録は、後のトラブル防止に重要な証拠となります。


<ステップ4:社内での情報共有と対応方針決定>

人事担当者、直属の上司、経営層で情報を共有し、対応方針を決定します。必要に応じて顧問弁護士や社会保険労務士に相談し、法的リスクを確認しましょう。特に、未払い賃金や有給休暇の残日数など、労働条件に関する事実関係を正確に把握することが重要です。


<ステップ5:正式な退職手続き>

退職の意思表示が確認できた場合、通常の退職手続きを進めます。退職届の受理、社会保険の手続き、離職票の発行、貸与品の返却、最終給与の計算などを粛々と行います。この際、業者との不必要な交渉は避け、法令に基づいた対応を徹底します。


<ステップ6:事後の振り返りと改善>

退職代行が利用された背景を分析し、職場環境の改善につなげます。なぜその従業員が直接退職を申し出られなかったのか、同様のケースを防ぐために何ができるかを検討することが、長期的な企業価値向上につながります。



7.業界団体の動きと今後の展望


退職代行業界の健全化に向けて、いくつかの業界団体が自主規制の動きを見せています。退職代行業協会などは、適正な運営基準を設け、加盟事業者に対して法令順守を求めています。

しかし、業界全体としての統一基準は存在せず、今後は法整備が進む可能性もあります。特に非弁行為の明確な線引きや、退職代行業者の登録制度の導入などが議論されることが予想されます。

企業経営者としては、こうした法改正の動向にも注意を払い、常に最新の情報に基づいた対応を心がけることが重要です。労務管理に関するセミナーへの参加や、専門誌の購読なども有効な情報収集手段となります。



まとめ

2025年に生じた退職代行「モームリ」家宅捜索事件は、退職代行サービスの法的グレーゾーンを鮮明にし、中小企業経営者にとって重大な警鐘となりました。

退職代行は労働者の心理的負担を軽減する便利なサービスですが、法律リスクや企業負担という負の側面も含んでいます。特に非弁行為の問題は、利用者だけでなく企業側にも法的リスクをもたらす可能性があり、慎重な対応が求められます。

経営者は本人確認と法律順守を基盤に徹底的な対応体制を構築し、労務環境の改善にも取り組むことが今後の企業経営の安定につながります。退職代行への対応は、単なる労務管理の問題ではなく、企業文化や経営姿勢が問われる重要な経営課題と言えるでしょう。

今後、退職代行サービスはさらに一般化していくと予想されます。その中で企業が取るべき姿勢は、退職代行を敵視するのではなく、それが利用される背景を理解し、従業員が安心して働ける環境を整備することです。同時に、法的リスクを適切に管理し、違法業者への毅然とした対応を取ることも必要です。

中小企業にとって、人材は最も重要な経営資源です。退職代行という新しい現象に直面した今こそ、働きやすい職場環境の構築と、法的リスクへの備えの両面から、人事労務管理を見直す好機と捉えるべきでしょう。

本コラムが中小企業の経営者にとって退職代行問題の理解と対応の参考となれば幸いです。退職代行という新しい社会現象に対して、法的知識と実務的対応力を持って臨むことが、これからの時代の経営者に求められています。適切な知識と準備があれば、退職代行への対応は決して恐れるべきものではなく、むしろ企業の労務管理体制を強化する契機となるはずです。


 

プロフィール

一般社団法人パーソナル雇用普及協会
代表理事 萩原 京二

1963年、東京生まれ。早稲田大学法学部卒。株式会社東芝(1986年4月~1995年9月)、ソニー生命保険株式会社(1995年10月~1999年5月)への勤務を経て、1998年社労士として開業。顧問先を1件も持たず、職員を雇わずに、たった1人で年商1億円を稼ぐカリスマ社労士になる。そのノウハウを体系化して「社労士事務所の経営コンサルタント」へと転身。現在では、200事務所を擁する会員制度(コミュニティー)を運営し、会員事務所を介して約4000社の中小企業の経営支援を行っている。2023年7月、一般社団法人パーソナル雇用普及協会を設立し、代表理事に就任。「ニッポンの働き方を変える」を合言葉に、個人のライフスタイルに合わせて自由な働き方ができる「パーソナル雇用制度」の普及活動に取り組んでいる。


Webサイト:一般社団法人パーソナル雇用普及協会

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