中小企業の「シン人材確保戦略」を考える

第100回

増加する「賃金不払い」監督指導から学ぶ、中小企業が取るべき対策

一般社団法人パーソナル雇用普及協会  萩原 京二

 

はじめに ―「賃金不払い」は他人事ではない

「うちは小さな会社だから、そんな大きな問題は起きないだろう」――そう思ってはいないでしょうか。

しかし、厚生労働省が発表した最新の監督指導結果を見れば、賃金不払いは決して珍しい出来事ではなく、むしろ身近に潜んでいるリスクであることがわかります。特別に悪質な事業者だけの話ではありません。日々の労務管理の中でのちょっとした見落としや、慣行として続いてきたやり方が、結果的に「法律違反」として指摘されるケースは少なくないのです。

経営者として避けたいのは、「知らなかった」「そんなつもりはなかった」という理由で会社の信用を大きく失ってしまうこと。だからこそ、最新の監督指導結果を正しく理解し、自社の労務管理を点検することが欠かせません。



1.2024年に急増した「賃金不払い」監督指導

厚生労働省によると、2024年に全国の労働基準監督署が取り扱った賃金不払い事案は 22,354件 にのぼりました。前年より1,005件も増えており、確実に増加傾向にあります。

対象となった労働者は 185,197人。人数で見ても3,000人以上が前年より増加しています。さらに金額を合計すると、実に 172億円超。前年と比べて 70億円以上 も多くなっており、数字だけを見てもその深刻さが伝わります。

もちろんすべてが解決しなかったわけではなく、労基署の指導を受けて支払いが行われた件数は21,495件、割合にして96%に上ります。労働者ベースでも約98%が最終的に賃金を受け取ることができました。しかし、裏を返せば、残る4%は未払いのまま放置されたことになります。その理由には、倒産や経営者の行方不明といったケースも含まれます。つまり「支払いたくても払えなかった」という現実があるのです。


<どの業種で起きやすいのか?>

では、どのような業種で不払いが多く発生しているのでしょうか。件数ベースで見ると、次のような順位になります。

• 商業(20%)

• 製造業(19%)

• 保健衛生業(15%)

• 接客娯楽業(13%)

• 建設業(10%)

つまり、「小売・卸」「ものづくり」「介護・医療」「飲食・ホテル」「建設」といった、中小企業が数多く存在する業界で特に目立っています。

「うちは特殊な業界だから大丈夫」とは言えません。むしろ人手不足が続き、長時間労働や人件費のコントロールが難しい業界ほどリスクが高いと考えられます。

さらに金額ベースで見ると、運輸交通業が全体の41%を占めてトップでした。ドライバー不足が深刻化する中で、時間外労働の扱い方が大きな課題になっていることが読み取れます。


<「未払い」の背景にあるもの>

賃金不払いという言葉を聞くと、意図的に賃金を払わない「悪質な会社」をイメージしがちです。しかし実際には、そうしたケースは一部にすぎません。多くの場合は、次のような「思い込み」や「慣行」が原因となっています。

• 「この手当は残業代の計算に含めなくてもいいだろう」といった誤解

• タイムカードでは残業しているのに、申告制に頼ってしまい、実際の労働時間が正しくカウントされていない

• 就業前の着替えや業務後の清掃などを「業務に含まない」と処理してしまっている

• 経営が苦しく、支払日を過ぎても「いずれ払うつもり」で後回しにしている

これらはいずれも、経営者の立場からすれば「故意ではない」と感じられるかもしれません。けれども労働基準法の世界では、「払わなかった事実」が最優先に問われます。「悪意がなかった」では済まされないのです。


<数字から読み取れる警鐘>

今回の統計から浮かび上がるのは、賃金不払いが決して減っていないどころか、むしろ増えているという現実です。少子高齢化と人手不足で人材確保が難しい時代に、労働者の賃金トラブルが広がることは、企業にとって大きな痛手です。

また、監督署の指導によって解決できたとしても、その過程で労使関係が悪化したり、企業の信用が傷ついたりする可能性は否定できません。さらに悪質と判断されれば、刑事事件として送検され、企業名が公表されることもあります。そうなれば、取引先や金融機関、求職者からの信頼は一気に失われます。

だからこそ、経営者にとって賃金不払いの問題は「法令順守」の枠を超えた、経営リスクそのものだと認識する必要があります。



2.なぜ「不払い」が発生してしまうのか?

賃金不払いが生じる背景には、経営者の「意図的な不払い」だけでなく、制度理解や運用の誤りが大きく影響しています。実際に監督署が指摘した典型的なケースをいくつかご紹介しましょう。どれも決して珍しいものではなく、多くの中小企業が陥りがちな落とし穴です。


<原因その1:労働時間の誤った把握>

ある社会福祉施設では、タイムカードで出退勤を管理している一方で、残業代の支払いは労働者の自己申告に基づいて行っていました。結果として、実際には2時間近く残業しているのに、申告は1時間だけというケースが複数発生。監督署の調査で発覚し、未払い分を遡って支払うよう是正されました。

この例からわかるのは、「自己申告制=労働時間管理の放棄」になってしまう危険性です。タイムカードなど客観的な記録がある以上、それを無視して申告に頼る運用はトラブルの温床になります。


<原因その2:割増賃金の計算ミス>

割増賃金を計算する際に、基礎に含めるべき手当を除外してしまうケースも目立ちます。たとえば、職能手当や精勤手当などを「これは残業代の基礎には含まれない」と誤解し、計算から外していたというものです。

労働基準法では、割増賃金の基礎から除外できるのは「家族手当・通勤手当・別居手当・子女教育手当・住宅手当・臨時の賃金・一か月を超える期間ごとに支払う賃金」の7種類のみとされています。つまり、それ以外は原則としてすべて計算に含める必要があります。

「知らなかった」「昔からそうしていた」では済まされず、差額を遡って支払うことになり、会社の資金繰りに大きな負担を与えかねません。


<原因その3:業務前後の作業時間を除外>

別の事例では、倉庫業の事業場で、始業前の清掃作業が労働時間として扱われていませんでした。清掃を終えてからICカードを打刻するルールになっていたため、システム上は「勤務時間外」として記録されていたのです。

しかし、使用者の指示によって行われた清掃である以上、それはれっきとした労働時間です。監督署からの是正勧告により、過去分も含めて残業代を再計算し、差額を支払うことになりました。

このように「ちょっとした作業だから」「全員がやっていることだから」といった慣行が、結果的に不払いの原因となることがあります。


<原因その4:資金繰り難からの未払い>

中には、定期賃金そのものを支払えないケースもあります。ある事業場では、労働者60名に対して2か月分、合計2,500万円以上の給与を所定日に支払わず、そのまま放置した結果、監督署から書類送検されました。

資金繰りが厳しいと「来月まとめて払えばいい」と考えてしまうことがあります。しかし、法律上は「所定の支払日に全額を支払う」ことが大原則です。これを怠れば、労働基準法だけでなく最低賃金法違反にあたる場合もあり、刑事事件化するリスクがあります。



3.送検事例から学ぶべきこと

さらに注意すべきは、「是正勧告を受けても改善せず、虚偽の報告までしていた」というケースです。ある事業主は、残業代を一切払っていないのに「支払った」と虚偽の報告を行い、その結果、労基署が捜査に着手。最終的には書類送検に至りました。

この事例が示すのは、「発覚後の対応が命取りになる」ということです。たとえ過去に誤りがあっても、誠実に是正すれば刑事事件にまで発展することは多くありません。しかし、虚偽報告や放置といった対応を取れば、経営者自身が法的責任を問われ、企業名も公表されることになります。


<「慣行」が一番のリスクになる>

ここで紹介した事例の共通点は、いずれも「悪意を持って労働者をだました」というよりは、「昔からのやり方」や「思い込み」が原因となっていることです。

• 残業代の基礎に含める手当を勘違いしていた

• 自己申告制に甘えてしまった

• 清掃や着替えを労働時間と認識していなかった

• 一時的な資金難を「すぐ解決する」と軽く考えた

こうした「慣行」こそが、最大のリスクです。会社としては「そんなつもりはなかった」のに、結果として監督署からは厳しく指摘され、追加支払いや送検という大きな代償を払うことになります。


<「不払い」を防ぐために、今すぐできる点検ポイント>

賃金不払いの多くは、ちょっとした勘違いや運用の甘さから発生しています。裏を返せば、基本に立ち返って仕組みを整えれば、未然に防ぐことができるのです。ここでは、中小企業の経営者が押さえておくべき実践的なチェックポイントをご紹介します。

(1)労働時間を正確に記録できているか?

始業・終業の打刻は徹底されていますか。自己申告に頼っていないでしょうか。清掃や準備作業なども「指示によって行う以上は労働時間」として記録する必要があります。

(2)割増賃金の計算方法は正しいか?

職能手当や精勤手当を除外していませんか。割増賃金の基礎から除外できるのは、法律で決められた7種類の手当のみです。それ以外はすべて含めて計算する必要があります。

(3)所定の支払日に必ず全額を支払っているか?

「資金繰りが苦しいから少し待ってもらおう」という考えは、重大な違反になります。遅延や一部未払いは、信頼を一瞬で失う要因です。

(4)就業規則・労働契約は現状に合っているか?

労働条件通知書や36協定を整備していても、実態に合っていなければ意味がありません。働き方改革関連法や社会保険の拡大適用など、法改正の影響も踏まえて見直すことが必要です。

(5)管理職の理解は十分か?

経営者だけでなく、現場の管理職も労働時間管理について正しく理解している必要があります。「これくらい大丈夫だろう」という甘い判断が、大きなトラブルの原因となることがあります。



4.監督署調査への対応で注意すべきこと

万が一、労働基準監督署から調査が入った場合の対応も重要です。ここで誤った対応を取ると、問題がさらに深刻化する可能性があります。


<絶対に避けるべき対応>

• 事実を隠蔽する

• 虚偽の報告をする

• 問題を放置する

• 証拠隠滅を図る


<推奨される対応>

• 事実を正直に報告する

• 速やかに是正措置を取る

• 再発防止策を具体的に示す

• 必要に応じて専門家の助言を求める

誠実な対応を心がけることで、問題の早期解決につながり、企業への信頼回復も早まります。



5.経営者ができる「前向きな投資」としての労務管理

「コンプライアンス」と聞くと、どうしても「守らなければならない義務」という重苦しい響きがあります。しかし視点を変えれば、労務管理の徹底は人材確保と定着につながる「前向きな投資」とも言えます。

• 適正な残業代を支払う → 労働者の不満を抑え、離職率を下げられる

• 労働時間を正しく管理する → 長時間労働を防ぎ、生産性を高められる

• 法令に沿った労働契約 → 採用活動で「安心して働ける会社」としてアピールできる

結果として、「人が集まる会社」「人が辞めない会社」という経営基盤を作ることができます。

人手不足が深刻な現在、適切な労務管理は他社との差別化要因にもなります。「この会社なら安心して働ける」と思ってもらえれば、優秀な人材の確保にもつながるでしょう。


<社労士など外部専門家との連携を>

中小企業にとって、すべてを自力で管理するのは難しいものです。特に労働時間や賃金計算は細かいルールが多く、ちょっとした判断ミスが大きなトラブルにつながります。

こうしたときに頼りになるのが、社会保険労務士などの外部専門家です。労務管理体制のチェックや就業規則の改定、労働時間管理システムの導入など、経営者の「見落とし」を補ってくれます。

「問題が起きてから相談する」のではなく、「問題が起きないように予防する」ために専門家を活用する。これが経営リスクを最小化する最も効果的な方法です。

月数万円の顧問料を「コスト」と考えるか、数百万円の未払い賃金や信用失墜を防ぐ「保険」と考えるか。経営者としての判断が問われます。



まとめ ― 信用を守るのは経営者の責任

今回の統計が示すように、賃金不払いは年々増加傾向にあります。業種や規模にかかわらず、どの企業にも起こり得る問題です。

不払いが発覚すれば、監督署からの是正勧告だけでなく、送検や企業名の公表といった厳しい対応に直結します。それは会社の信用を揺るがし、人材採用や資金調達にも大きな悪影響を与えるでしょう。

しかし同時に、日頃から労務管理を徹底していれば、未払いは確実に防ぐことができます。そして、それは単に法令を守るためだけでなく、従業員との信頼関係を深め、企業の成長を支える基盤づくりにもつながります。

経営者にとっての労務管理とは、「義務」ではなく「戦略」――。

この認識を持ち、今一度、自社の賃金支払いと労働時間管理を点検してみてはいかがでしょうか。


 

プロフィール

一般社団法人パーソナル雇用普及協会
代表理事 萩原 京二

1963年、東京生まれ。早稲田大学法学部卒。株式会社東芝(1986年4月~1995年9月)、ソニー生命保険株式会社(1995年10月~1999年5月)への勤務を経て、1998年社労士として開業。顧問先を1件も持たず、職員を雇わずに、たった1人で年商1億円を稼ぐカリスマ社労士になる。そのノウハウを体系化して「社労士事務所の経営コンサルタント」へと転身。現在では、200事務所を擁する会員制度(コミュニティー)を運営し、会員事務所を介して約4000社の中小企業の経営支援を行っている。2023年7月、一般社団法人パーソナル雇用普及協会を設立し、代表理事に就任。「ニッポンの働き方を変える」を合言葉に、個人のライフスタイルに合わせて自由な働き方ができる「パーソナル雇用制度」の普及活動に取り組んでいる。


Webサイト:一般社団法人パーソナル雇用普及協会

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