中小企業の「シン人材確保戦略」を考える

第113回

「社長、転勤なら辞めます」が3割を超える現実 ~人手不足倒産を回避する「脱・転勤」の経営戦略~

一般社団法人パーソナル雇用普及協会  萩原 京二

 

1.はじめに:なぜ今、「転勤」が最大の経営リスクになるのか


<ある日突然、エース社員から手渡される「退職願」>

「社長、少しお話があります」

将来を期待し、経験を積ませるために地方拠点への転勤を打診した翌日、エース社員からこう切り出された経験はないでしょうか。経営者としては「栄転」のつもりで出した辞令が、社員にとっては「退職」の引き金になる――。昨今、このようなケースが中小企業の現場で頻発しています。

かつて、転勤辞令はサラリーマンにとって「出世の登竜門」であり、会社への忠誠心を示す機会でもありました。しかし、その常識は今、音を立てて崩れ去ろうとしています。


<社員の3人に1人が辞令を拒む時代>

この変化を裏付ける衝撃的なデータがあります。

人材サービス大手のエン・ジャパン株式会社が運営する人事担当者向け情報サイト『人事のミカタ』が、2025年11月に発表した「転勤に関する企業の実態調査」です。

この調査は、実際に現場で働く企業の人事担当者228名を対象に行われました。「直近3年間で、転勤辞令に対する社員の反応はどうだったか」という問いに対し、寄せられた回答は驚くべきものでした。

「配慮要望(条件付きの相談)」があった:43%

「拒否」された:24%

「退職」された:11%

なんと、「拒否」と「退職」を合わせると35%に達します。つまり、転勤を命じられた社員の3人に1人以上が、会社の方針に従えない、あるいは従わずに会社を去る決断をしているのです。

さらに、「配慮要望」を含めると、全体の約8割近くにおいて、辞令がスムーズに受け入れられていない実態が浮かび上がります。

現場の人事担当者からは、次のような悲痛な声も上がっています。

「今の職場を離れたくないからと、総合職から一般職への変更を申し出られた」(サービス関連企業)

「採用難のエリアもあり、やむを得ない事情はあるが、共働きが当たり前の世の中で転勤制度を設けていること自体が時代遅れではないか」(不動産・建設関連企業)

現場の管理職や人事担当者は、すでに「今のままでは限界だ」と気づいています。これを「社員のわがまま」と切り捨てるか、それとも「構造的な変化」と捉えて対策を講じるか。その判断の違いが、企業の10年後の生存率を大きく左右することになるでしょう。

本コラムでは、この調査結果で明らかになった「転勤を阻む家庭の壁」を紐解き、中小企業がいかにして「転勤に頼らない組織」、あるいは「納得感のある配置転換」を実現すべきか、その具体策を提言します。



2.論点①:データで見る「転勤の壁」 ~社員は何を守ろうとしているのか~


<「配慮要望」に潜む社員の悲鳴>

前述の調査では、転勤辞令に対し「配慮要望」を出した社員が43%に上りました。「配慮要望」とは、例えば「時期をずらしてほしい」「単身赴任ではなく家族帯同の補助が欲しい」といった、条件付きの相談を指します。

拒否や退職と合わせると、実に8割近くの社員が、辞令を即座には受け入れられない状況にあることが推測されます。

なぜ、これほどまでに転勤が嫌がられるようになったのでしょうか。同調査で「社員から伝えられた理由」を集計したところ、現代の社員の家庭環境が「ギリギリのバランス」で成立していることが浮き彫りになりました。

そこには、三大要因とも言える「介護」「就学」「共働き」の壁が存在します。


<第一の壁:家族の介護・看護>

転勤を拒む理由として最も多かったのが、46%を占める「家族の介護・看護」です。

晩婚化と高齢化の進行により、かつては管理職世代(50代以上)の課題であった介護問題が、いまや中堅社員(30代・40代)にも重くのしかかっています。親の介護が必要な状況で、遠隔地への転勤を命じられれば、社員は「離職」を選ばざるを得ません。これはキャリアの問題ではなく、生活維持の問題だからです。


<第二の壁:子どもの就学・教育環境>

次いで多かったのが「子どもの就学」(41%)です。

「単身赴任すればいいではないか」という理屈は、もはや通用しにくくなっています。共働き世帯において、パートナー一人に育児のすべてを押し付ける「ワンオペ育児」は限界を迎えています。また、男性の育児参加が当たり前となった現在、父親自身が「子供の成長をそばで見守りたい」「転校によって子供の教育環境を変えたくない」と考えるのは自然な流れです。


<第三の壁:配偶者の勤務>

そして見逃せないのが、36%が挙げた「配偶者の勤務」です。

専業主婦世帯が主流だった昭和・平成初期とは異なり、現在は共働き世帯が専業主婦世帯の倍以上存在します。一方の転勤についていくために配偶者が仕事を辞めれば、世帯年収は激減します。住宅ローンや教育費を考えたとき、転勤を受け入れることは「経済的な合理性」を欠く行為となってしまうのです。


<人事担当者すら「自分が当事者なら辞める」と答える矛盾>

あるサービス関連企業の人事担当者は、具体的なエピソードとして「とある職員と一緒に仕事をするのが嫌だと拒否された」という事例も挙げています。これは極端な例に見えるかもしれませんが、社員にとって「どこで、誰と働くか」という環境要因が、会社への帰属意識よりも優先順位が高くなっていることの証左とも言えます。

また、流通・小売業界の人事担当者がアンケートに対し、「転勤辞令が出たら退職を検討するのは、自身に置き換えても自然なことだと感じる」と回答している点は非常に示唆的です。採用する側ですら「自分が当事者なら辞めるかもしれない」と感じている制度を維持し続けることの矛盾に、経営者は気づかなければなりません。



3.論点②:「昭和型キャリアパス」の機能不全


<「入社時の約束」は絶対か?>

多くの経営者や人事担当者が抱く不満として、アンケートの自由回答欄には次のような声も寄せられています。

「入社前から転勤があることは分かっていたはずなのに、その理由で退職されたのではたまらない」(サービス関連)

「転勤がない職種と給料差があることも理解して入社しているはず。いざその時が来ると退職というのは、給料泥棒と言っても過言ではない」(商社)

心情的には、この主張は正論です。契約は契約であり、権利を享受しながら義務を果たさない姿勢は許容しがたいものでしょう。

しかし、ビジネスの観点から見れば、この正論を振りかざすことは「負け戦」でしかありません。

入社時には独身で身軽だった社員も、数年経てば結婚し、子供が生まれ、親が老います。「入社時の約束だから守れ」と迫っても、社員は「それなら辞めます」というカードを切るだけです。その結果、教育コストをかけて育てた中堅社員が流出し、会社には誰も残らないという最悪の事態を招きます。


<業界による格差と人材流出の加速>

さらに深刻なのが、業界間での「転勤格差」です。

今回の調査で「転勤制度の有無」を聞いたところ、IT・インターネット関連企業の62%が「転勤なし」と回答しています。一方で、流通・小売関連や商社は7割以上が「転勤あり」としています。

この格差は、優秀な若手人材の流出に直結します。IT企業の人事担当者は次のように述べています。

「新入社員に内定受諾理由を聞くと、半数は理由のひとつに『転勤が無い』を挙げる」(IT・インターネット関連)

もはや「転勤なし」は単なる福利厚生ではなく、最強の「採用差別化ポイント」となっています。若手人材は、給与の額面だけでなく「居住地を選べる自由」を重要な資産と捉えています。この現実に目を向けず、旧来型の配置転換に固執すれば、御社は採用市場での競争力を失い続けることになります。


<営業職(フィールドセールス)の悲劇>

特に矛盾を抱えているのが営業職です。調査結果によると、転勤の頻度が高い職種のトップは「営業職(フィールドセールス)」(55%)でした。

営業とは本来、顧客との信頼関係を築き上げることが最大の武器となる職種です。しかし、会社の都合による定期的な転勤は、その信頼関係をリセットさせてしまいます。「属人化を防ぐ」「癒着を防ぐ」という意図はあるにせよ、それによって売上の柱であるベテラン社員が退職してしまっては、まさに本末転倒です。



4.論点③:転勤に代わる「穴埋め」戦略 ~人を動かさずに事業を回す~

では、地方拠点や店舗を持つ中小企業は、どのように事業を回していけばよいのでしょうか。

あるメーカーの人事担当者は、「このまま転勤をしたくないという方が増えていくと、運営が困難になるのでは」と危惧しています。これは多くの経営者に共通する不安でしょう。

ここで必要なのは、「嫌がる社員をどう説得するか」という精神論ではなく、「人を動かさずに事業を回す」ための構造改革です。


<解決策A:現地採用の強化と権限委譲>

これまでの転勤の多くは、「本社から信頼できる人間を送り込む」という統治モデルに基づいていました。しかし、これからは「現地で採用し、現地でリーダーを育てる」モデルへの転換が不可欠です。

もちろん、地方での採用難易度は高いでしょう。しかし、転勤者にかかるコスト(引越費用、社宅費、手当、帰省旅費など)をすべて採用費や現地の給与に上乗せすれば、優秀な人材を獲得できる可能性は高まります。

また、現地採用社員が育つためには、本社からの遠隔操作ではなく、思い切った「権限委譲」が必要です。「任せる勇気」を持つことが、結果として本社の負担を減らすことにつながります。


<解決策B:テクノロジーによる「リモート駐在」>

不動産や建設、小売など「現場」が必須の業種であっても、すべての業務を現地で行う必要があるかを見直す余地があります。

例えば、管理部門の業務やインサイドセールス(内勤営業)、設計業務などは、東京の本社にいながら地方支店の業務をカバーすることが可能です。物理的な人の移動を極小化し、情報の移動でカバーする。これこそが、中小企業が取り組むべき真のDX(デジタルトランスフォーメーション)の一形態と言えます。



5.論点④:不公平感を生まない「制度設計」

そうは言っても、新規出店や工場の立ち上げなど、どうしてもベテラン社員の現地派遣が必要なケースはなくなりません。

その際、最も注意すべきは「不公平感」の解消です。

あるサービス関連企業の人事担当者はこう述べています。

「転勤する方としない方での処遇も、できる限り不公平感がないようにすべき」

転勤に応じる社員が「貧乏くじを引いた」「家庭を犠牲にしただけ損をした」と感じる組織であってはなりません。また、転勤を拒否した社員が「ゴネたもん勝ち」になるような甘い運用も、組織の規律を腐らせます。


<現代版・転勤パッケージの提案>

「辞令一本」で無条件に従わせるのではなく、転勤を一種の「契約(オファー)」として捉え直し、明確なメリットを提示する必要があります。

(1)金銭的報酬の明確化

従来のような数万円程度の「赴任手当」では、今の社員は動きません。基本給ベースでの明確な差をつける(例:全国転勤型は地域限定型の1.2倍~1.5倍の年収設定など)、あるいは転勤期間中の特別ボーナスを支給するなど、経済的なインセンティブを強力にする必要があります。

(2)キャリアパスの確約

「転勤=幹部候補」というコース設定をより明確にし、転勤経験者が将来的にどのようなポストに就けるのかを可視化します。「この苦労は将来報われる」という確信がなければ、家族を説得することはできません。

(3)現代ニーズに即した生活支援

単なる社宅の提供にとどまらず、アンケートで寄せられた「生の声」を反映した、柔軟な規定への改定が求められます。

・パートナー支援: 配偶者が退職せざるを得ない場合のキャリア支援金や、再就職サポート。

・育児支援: 転居先での保育園探しのコンシェルジュ契約や、ベビーシッター費用の補助。

・柔軟な規定: アンケートの自由回答では、「同棲している恋人と結婚予定なので、単身向けではなく2人入居用の物件を探してほしい」「ペット可の社宅を選定してほしい」といった切実な要望が寄せられています。「法律上の配偶者のみ帯同可」「ペット不可」といった昭和時代の規定を固辞するのではなく、事実婚やパートナーとの同居、ペットとの共生といった多様なライフスタイルを認める柔軟な運用が、社員の定着率を左右します。



6.おわりに:経営者の決断が会社の未来を決める


<「わがまま」ではなく「適応」である>

今回ご紹介したアンケート結果や現場の人事担当者の悲痛な叫びは、決して「最近の社員の質が落ちた」ことを示すものではありません。これは、社会構造の変化に対し、働き手が「適応」しようとしているシグナルなのです。

「家族を犠牲にして会社に尽くす」という価値観は、もはや過去の遺産です。その事実を認め、受け入れることから、新しい組織づくりは始まります。


<「転勤なし」を最強の武器にする>

「転勤制度を廃止・縮小する」ことは、経営の「逃げ」ではありません。むしろ、現代において最強の「採用戦略」となり得ます。

実際に、IT企業だけでなく、地方の中小メーカーでも「転勤なし」「完全地域密着」を掲げることで、大手企業から優秀なエンジニアや営業マンを引き抜くことに成功している事例が増えています。

自社のビジネスモデルを根本から見直し、人を無理に動かさなくても利益が出る仕組みを作る。あるいは、現地で人が育つ土壌を作る。これこそが、これからの経営者に求められる真の仕事ではないでしょうか。

あなたの会社は、社員に「仕事か、家族か」の二者択一を迫っていませんか?

その問いを今一度見直し、社員が安心して長く働ける環境を整えることこそが、人手不足時代を勝ち抜き、10年後も生き残る企業の条件となるはずです。


 

プロフィール

一般社団法人パーソナル雇用普及協会
代表理事 萩原 京二

1963年、東京生まれ。早稲田大学法学部卒。株式会社東芝(1986年4月~1995年9月)、ソニー生命保険株式会社(1995年10月~1999年5月)への勤務を経て、1998年社労士として開業。顧問先を1件も持たず、職員を雇わずに、たった1人で年商1億円を稼ぐカリスマ社労士になる。そのノウハウを体系化して「社労士事務所の経営コンサルタント」へと転身。現在では、200事務所を擁する会員制度(コミュニティー)を運営し、会員事務所を介して約4000社の中小企業の経営支援を行っている。2023年7月、一般社団法人パーソナル雇用普及協会を設立し、代表理事に就任。「ニッポンの働き方を変える」を合言葉に、個人のライフスタイルに合わせて自由な働き方ができる「パーソナル雇用制度」の普及活動に取り組んでいる。


Webサイト:一般社団法人パーソナル雇用普及協会

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