第2回
ギンポを味わいながら秀吉の野望を思う
イノベーションズアイ編集局 編集アドバイザー 鶴田 東洋彦
朝鮮出兵の出城、名護屋城のすぐ先で
豊臣秀吉の朝鮮出兵の出城となった佐賀県、唐津市郊外の名護屋城跡。活イカ料理と朝市で有名な呼子町の先にあるこの城跡を過ぎて、車で10分ほど走ったあたりに波戸漁港がある。波止岬の先端に近い、時の流れが止まったような小さな漁港。玄界灘に面した波止の上にはカモメが飛び、心底、長閑(のどか)と表現できるような風景が広がる。
そろそろ日差しがまぶしい初夏の頃。波止の脇に車を止めて足元をのぞくと、メジナやメバル、真鯛の仔魚だろうか、たくさんの魚が泳ぎ回るのが見える。そして、少し離れた場所には、まだ生まれて間もない何匹ものアオリイカが波間に漂うように浮かぶ。早速、車に戻って、胴付きと天秤の仕掛けの二本の竿を用意、係船杭(ロープで船を固定するための杭)に腰かけて糸を垂らしてみた。
するとすぐに、当たりが。掌の大きさにも満たないメジナ(地元ではクロ)が元気よく上がってきた。その後、胴付きにも投げ竿にも次々と当たりが来るものの、釣れてくるのはメジナやメバルの仔魚やエサ取りのベラばかり。背びれや腹びれに毒を持って、刺されると強烈に痛いハオコゼの襲来に辟易して、場所を波止から岩場に移動、仕掛けをブラクリに変えてみる。
ドジョウのような姿のギンポが入れ食い状態に
赤く塗られたブラクリの重りをそっと岩の間の穴に落とす。と間もなく強い引き。カサゴ(地元ではアラカブ)の大物かと期待して竿を上げると、その先にはドジョウのような姿の大きなギンポ(写真の魚)が。その後も、見たこともないような20センチ以上ある大きなものも含めて、ギンポが入れ食い状態に。ということで、写真にあるように、調子に乗ってたくさん釣り上げてしまった。
ところでこのギンポという魚。その見た目の悪さから捨てる人も多い典型的な雑魚。外道の代表格で、地元でも「なんだ、ウミドジョウか」と馬鹿にされているが、実はとんでもなく美味しい。ギンポという名前は漢字で「銀宝」と書くが、天ぷらのタネとして最高に美味しいということで、江戸時代にこの名前が付いたとか。釣り以外では手に入らないせいか、今では入荷した時に限って「時価」で食べさせる天ぷら屋、特に高級店が多いようだ。
そんな思いもあって、帰宅してさっそく捌く。透き通るような真っ白い身。天ぷらや素揚げにして塩をふって食べると、まさに江戸っ子たちが「銀の宝」と名付けたのが納得できる美味しさだ。大げさではなく、天ぷら屋が「時価」というのもうなずける。引き締まった身に、適度に脂がのってビールと一緒にいくらでもいける。
揚げても煮ても食味は最高、店では「時価」で
食べきれない分は筒切りにして、濃いめの醤油と砂糖、みりんで煮詰めて冷蔵庫に。これもまた、醤油の味が身に染みて何とも言えず美味しい。これぞ酒の肴と自画自賛したいほどだ。ギンポは岩場や捨て石があるようなガレ場で比較的簡単に釣れる魚だが、20センチ以上の“大物”となると、めったに針にかかってこない。ただ、小ぶりのギンポでも唐揚げなどは絶品。釣る機会があれば、是非、味わって欲しい雑魚の代表格だ。
さんざん、ギンポをはじめ雑魚釣りを堪能、ビールと一緒に味わいながら思い浮かべたのは、帰宅中に眺めた夕暮れの名護屋城の石垣跡と、そこから朝鮮半島そして明の攻略を目論んだ秀吉の胸中である。名護屋城は5重天守を中心に17万平方メートルにわたり築かれた、当時の日本最大規模の城で、朝鮮出兵に備えて徳川家康、伊達政宗、前田利家といった全国150を超える大名が周囲に陣屋を構えていた。最盛期には20万人もの人が暮らしていたというから驚く。
秀吉が天下を統一したのは、明智光秀(惟任日向守)が決起した織田信長への裏切り、「本能寺の変」が契機とされるが、最近の研究では、天下布武(統一)を成し遂げた信長の思いが大陸進出、明の国攻略に向いているのを光秀が諫め、やむなく本能寺に至ったというのが真実らしい。結局、秀吉は信長も抱いたその野望を抑えきれずに名護屋城を構築してここから朝鮮に出兵、「文禄・慶長の役」で朝鮮・明の連合軍に惨敗し、約5万人もの兵を失い撤退した。
廃城跡で改めて思いを巡らせた秀吉の欲望
出兵の理由は諸説あるが、豊臣家滅亡のきっかけともなったこの場所を目の当たりにして思いに至ったのは、頂点に立つ人間の欲望は果てしないという現実だ。経済記者時代を振り返ると、上り詰め、背伸びしすぎた企業そしてトップが、破綻する現実を何度か目の当たりにしてきた。
朝鮮出兵、大陸侵攻が失敗に終わり、秀吉の死後に名護屋城は廃城となり、廃材などは唐津城の構築などに使われたという。石垣だけが当時の名残をとどめるこの場所は、大陸支配を夢見た秀吉の、あるいは諸大名の欲望の象徴かもしれない。教訓めいた言い方になるが、多くのギンポや雑魚たちが満足感を与えてくれたこの波戸岬、名護屋城という場所の栄枯と盛衰から、企業トップが学ぶべきことは多々あるように、改めて実感させられた。
プロフィール
イノベーションズアイ編集局
編集アドバイザー
鶴田 東洋彦
山梨県甲府市出身。1979年3月立教大学卒業。
産経新聞社編集局経済本部長、編集長、取締役西部代表、常務取締役を歴任。サンケイ総合印刷社長、日本工業新聞(フジサンケイビジネスアイ)社長、産経新聞社コンプライアンス・アドバイザーを経て2024年7月よりイノベーションズアイ編集局編集アドバイザー。立教大学、國學院大學などで「メディア論」「企業の危機管理論」などを講義、講演。現在は主に企業を対象に講演活動を行う。ウイーン国際音楽文化協会理事、山梨県観光大使などを務める。趣味はフライ・フィッシング、音楽鑑賞など。
著書は「天然ガス新時代~機関エネルギーへ浮上~」(にっかん書房)「K字型経済攻略法」(共著・プレジデント社)「コロナに勝つ経営」(共著・産経出版社)「記者会見の方法」(FCG総合研究所)など多数。
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