■とことん〝自分らしく〟生きる
野田一夫さんは、新進学者としてP・ドラッカーの経営論を日本に紹介し、産業界に“経営学ブーム”を巻き起こした後、米マサチューセッツ工科大学(MIT)に招かれて研究生活を送ったが、帰国するや、学業の合間に名だたる企業でコンサルタントとして実体験を重ねた。定年を待たずに立教大学を去った野田さんは、多摩大学、宮城大学、事業構想大学院大学などユニークな大学の創設を次々に主導して初代学長を歴任しつつ、日本の大学改革を率先して進めた。85歳を超えた今も、都心の個人事務所を拠点に精力的な活動を続ける野田さんから、話を聞いた。
--自己管理とは
「…考えたこともないが、ただ、日本の航空界の先駆者で、零戦開発の責任者までした父を心から敬愛して育ったから、その父の『大きくなっても、どんな時でも、ノダカズオらしく生きるんだぞ!』という言葉だけは、忘れたことがない。『父を超える航空技師になること』が少年以来の夢だったが、旧制高校時代、敗戦後の占領政策で日本の航空機の製造・保有が禁止され、僕は無念にも文系に転じ、人生は180度変った」
--結果として、大学教授として成功されましたね
「なるように、なっただけだ。東京大学で社会学科に進んだものの、その貧相な学風に失望した僕は、当時戦後復興期の日本で最もたくましく感じた“企業”を研究しようと経営学の門を叩いた。再びだが、大学教授の空論に反論しつづけて、彼らから距離を置かれたが、その僕を『面白い奴だ』と評価してくれた一教授の勧めで、全く思いがけず、大学に残ることになってしまった。想定外の人生だったが、とことん“自分らしく”生きたという満足感はある」
--“自分らしく”とは?
「周囲を気にせず、どんなときも自分の価値判断で言動すること。ただし、間違いに気づいたら、潔く謝る。そうした過ちを何度も経験してこそ、多くの人々を納得させ得る、その人独自の価値判断が固まっていくのだと、僕は信ずる」(次回につづく)
【プロフィル】野田一夫 のだ・かずお 経営学者。東大、立教大、MITなどを経て、多摩大など3大学の初代学長を歴任。現在、財団法人日本総合研究所会長。大学改革の推進者として知られる。