駒井研司が聞く プロの自己管理術

第20回

今大きいかより、将来性 秘書参謀 星久人さん(1)

駒井 研司 2014年3月3日
 

 ソニーの歴代トップ、盛田昭夫、大賀典雄、出井伸之、安藤国威の各氏が対外的活動を行った際、補佐役を22年にわたって務めた星久人さん。担当となった経緯や、仕事に対する考え方を聞いた。

 --なぜ、ソニーを選んだのですか

 「海外志向がものすごく強かったから。当時はまだ海外展開する企業は非常に少なく、選択肢は商社か銀行しかなかった。そこにホンダとソニーが現れました。『今大きいかよりも、将来性』と考え、ソニーを選択しました。とはいえ当時すでに“世界のソニー”。世界初のトリニトロン方式のカラーテレビを発売、日本企業として初めてニューヨーク証券取引所に上場、という頃です。ただ、理系の新卒は100人ほどいましたが、文系の同期は15人でした」

 --就職は1969年ですね

 「そう。ちょうど安田講堂に機動隊が突入した年で、混乱で卒業は6月末になった。でもソニーは柔軟で、4月に予定通り入社し、卒業まで午前中は出社し、午後は大学に通いました」

 --入社後の配属は

 「最初の配属は勤労部。労使交渉や労働裁判の対応をする部署でした。海外とは全く関係なく一番行きたくないところ。がっかりしました。それでも一生懸命仕事に取り組み、5年でチャンスが訪れました。米国、英国に続き、ドイツに第3の海外工場が建設されることになり、その人事労務担当に選ばれたんです。準備プロジェクトが発足し、その一員として工場建設に向けたさまざまな準備に取り組みながら、猛然とドイツ語を勉強しました。ところが1年経っていよいよという時期にオイルショックになった。欧州は大混乱に陥り、ドイツでTVを生産しても十分な需要がないと結論が出ました。当時欧州課長で、プロジェクト責任者だった出井さんが部屋にきて『星君、悪いけど解散だ』と言われたことを良く覚えています。こうしてやっとつかみかけた海外行きのチャンスは目前で消えました。その3年後、新設の海外トレーニー(研修員)試験を受けて合格。念願の米国勤務が内定したところに突然、英国の工場への赴任が決まりました。入社から9年、32歳のとき。妻と幼い子供を連れて渡英しました」(つづく)


【プロフィル】星久人 ほし・ひさと 東大法卒。元ソニー特別理事・秘書役。盛田昭夫氏の補佐役となり、以後ソニーの歴代トップを支えた。ベネッセホールディングス特別顧問。67歳。東京都出身。

2014年3月3日「フジサンケイビジネスアイ」掲載
 
 

プロフィール

株式会社ネオレックス
CEO 駒井研司

こまい・けんじ 自己管理のためのiPhoneアプリ「MyStats」(マイスタッツ)発案者。

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