駒井研司が聞く プロの自己管理術

第21回

念願の英国勤務から突然呼び戻し 秘書参謀 星久人さん(2)

駒井 研司 2014年3月10日
 

 「海外で仕事をしたい」。強い思いでソニーに入社した星久人さん。紆余(うよ)曲折を経て、入社9年目でとうとう英国勤務を勝ち取った。

 --英国での生活は

 「とにかく楽しかった。生産計画の責任者として工場長とともにヨーロッパ中に出張し、20インチ5000台、27インチ3000台とテレビの注文を取ってくる。工場では部材の仕入れから製造、出荷まで幅広く関わりました。2週間の夏休みはマイカーでドーバー海峡を渡り、家族でフランスやイタリアを旅行。ゴルフも週に3回ほど。赴任から5年、30代後半になる頃には脂が乗り切っていました」

 --仕事もプライベートも、とても充実していましたね

 「ところが突然、人事担当常務から呼び出しがありました。当時ソニー会長だった盛田昭夫さんが経団連などで活動を始めるので手伝いをするようにと。全く思ってもみなかった話です。このまま英国で仕事を続けたい、今は帰る気はないと断りました。その後も数週間、日本から何度も『どうなんだ』という電話が。『今ちょうど大事な仕事があり…』などと言って何とか断り続けました。そのうち連絡がなくなり、ほっとしていたのですが、半年経ったある日『来週後任が行くから』と突然の連絡。工場長だった中村末広さんが『創業者の身近で仕事ができる貴重な機会』と背中を押してくれ、観念して東京に戻りました」

 --盛田さんの活動とは

 「当時ソニーは業界ではベンチャー扱いでした。例えば電子機械工業会(現・電子情報技術産業協会)という団体では“大手”として日立製作所、三菱電機、東芝、松下電器産業、NECの5社で会長を回していた。そこで初めて盛田さんが会長を務めることになったんです。また盛田さんは、その後に経団連でも活動していくことを考えていました。日米経済摩擦が大きな問題となった時期で、自動車や農産物と並んでテレビ、VTR、半導体も中心課題でした。盛田さんは通産省の要請を受け、日米の大手メーカーの橋渡しとして活躍。国際的経営者の面目躍如でした。盛田さんはどんなときも必ず誰かを同席させます。私も、さまざまな会議や会談に同席しました。『こんなところに自分がいていいのだろうか?』と思うこともたびたびでした」(つづく)


【プロフィル】星久人 ほし・ひさと 東大法卒。元ソニー特別理事・秘書役。盛田昭夫氏の補佐役となり、以後ソニーの歴代トップを支えた。ベネッセホールディングス特別顧問。67歳。東京都出身。

2014年3月10日「フジサンケイビジネスアイ」掲載
 
 

プロフィール

株式会社ネオレックス
CEO 駒井研司

こまい・けんじ 自己管理のためのiPhoneアプリ「MyStats」(マイスタッツ)発案者。

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