第68回
夫が残した言葉を胸に…パティシエを経て食生活改善ヘルシー料理研究家へ
サポートプラス社会保険労務士事務所 長橋 知世
このコラムは、どん底を経験した女性がなぜ起業に至ったか、そして今何のために、どんな思いで働いているのかを、サポートプラス社会保険労務士事務所の代表を務める長橋知世がインタビューしていきます。
今回のゲストは、食生活改善ヘルシー料理研究家 望月京子さん(もちづききょうこ)さんです。
お仕事について教えてください
食生活改善プログラマーとして活動しています。
20年に及ぶパティシエ人生において、本物志向を貫いています。
最愛の夫を亡くし、絶望から目を背けるかのように洋菓子店を開業し“命をかけて”働くこと10年。
更年期の時期と重なり、ボロボロになった心と身体を回復させたのは、自分と丁寧に向き合った上での食事改善でした。
苦しい経験をしたからこそ、クライアントさんの苦しみを理解し、支えることができる。
人生100年を想定した、それぞれの体に合わせた食生活改善のプログラムを提供しています。
どのような思いで洋菓子店を開業したのですか?
夫は、電線やケーブルを製造する機械の設計に携わる優秀なエンジニアで、私はそんな夫を心から尊敬していました。
夫に感化され、私は36歳の時にお菓子の制作・販売、お教室を始めます。
夫の口ぐせは、「俺はやることはやった!だからお前も、お前にしかできない仕事をしろ!」
夫に見守られながら高みを目指すのが好きで、叱咤されながら奮闘しました。
その夫が、49歳の若さで突然息を引き取った当時、私は48歳。二人の息子は、19歳と17歳でした。
残された私たちの心は、喪失感で破裂寸前でした。
彼はまだまだ生きたかったと思うのです。
だから、“夫の命”と思って、夫から言われたこと「私にしかできない仕事」をやろう!
私は、起業を決意しました。
言ってしまえば、喪失感をごまかすためにハードなことをしたんです。そうでもないと、自分を生かすことができなかったから…。
「世の中の人のために、おいしい物をつくろう!」
私自身と“夫”を世の中に生かそうと、命をかけた決断で、2010年に日立市の自宅に洋菓子店をオープンしました。
洋菓子店は順調でしたか?
自宅の庭に10坪の工房を建ててオープンした店は、5年目からは長男も参画し路面店へも進出、スタッフは16名を抱えるまでに。
日立製作所の10事業所をはじめ、郵便局、茨城空港、茨城県庁、茨城マルシェなど、大手企業や茨城の主要機関との取引もあり、『街の洋菓子屋さん』として親しんでいただきました。
開業から6~7年目に材料費の高騰や人件費の負担が増し、経営が厳しくなりました。息子の人生をダメにしたのではないかと思う時期もありました。
けれども試行錯誤の末、日立の町のシンボル『大煙突』にちなんだフィナンシェのスティックケーキ『ひたち大煙突』を開発。半年で2万5千個を売り上げるヒット商品となりました。
「日立を代表する土産物を!」という私の想いが町にしっかり届き、全力で駆け抜けた達成感のある10年間でした。
食生活改善に取り組むきっかけは?
いかに地元に還元するかを考え走り切った10年目の2020年、お店の事業譲渡を決意しました。
多忙とストレスから自律神経が乱れ、自分をコントロールするのが難しいと感じる場面もあったのです。
その頃、『健やかに生きる』の著書で、いくつもの癌を克服した松宮隆先生のメソッドに出会いました。酵素や土壌菌を取り入れたり、断食をしたり、伴走してもらいながら食事改善に取り組んだ結果、当時増えてしまった体重を落とせたと同時に、メンタルが格段に安定しました。
「自分が整っていないと周りを満たすことができない。」という大切なことに気がつきます。
私の苦しい経験を活かして、苦労をされている皆さんにサポートを届けたいと思うようになりました。
今後目指していることは?
夫の魂の言葉である「私にしかできない仕事をすること」です。
苦しい経験をした私だからクライアントさんの苦しみを分かってあげられます。
食事改善メソッドや、スーパーヘルシーフード、罪悪感なく食べられるお菓子のレシピ考案などを通じて、シングルマザーの方や更年期で悩む中高年の女性をサポートしたいと考えています。
また、洋菓子店時代に、“洋菓子の手法”で作るもうひとつのヒット商品「円満かすていら」の特別なレシピを、新たな担い手に引き継ぎたいと思っています。
本物を、丁寧な指導で届けること。これも私にしかできない仕事なのです。
【食生活改善プログラマー 望月京子さんのプロフィール 】
静岡県出身。結婚を機に茨城県日立市に移住。
ケーキ店勤務と東京での勉強を両立し、地元でのお菓子教室も開設する。
2010年『パティスリーましぇり』をオープン。2015年1月法人化。
同年7月、移転し新店舗をオープン。
2020年還暦を機に事業譲渡。
自身の鬱克服と減量成功の経験を活かし、食生活改善プログラムを作成提供。
おからこんにゃくを使った料理やスイーツの開発、料理教室講座を開催している。
今回インタビューした望月京子さんのことをもっと知りたい方は、こちら女性起業家デジタルBookをご覧ください
食生活改善ヘルシー料理研究家 望月京子さん
プロフィール
【インタビュアー】
サポートプラス社会保険労務士事務所
セカンドキャリアの女性コミュニティ「ララ・コンシェルジュ」
アラフィフ女性に特化した人材紹介「ララ・ワーク」
代表 長橋 知世
静岡県立沼津東高校卒
立教大学社会学部観光学科卒
一般企業、商業高校の教員として勤務したのち、出産を機に退職し家庭に入る。
2児の子育てが終わってから、社会保険労務士資格を取得。
2018年に横浜で社労士事務所の開業に至る。
40代50代女性がもっと社会で活躍すべきと、セカンドキャリアの女性コミュニティを立ち上げ、一年でメンバー100名とする。
主婦はキャリアだと認められる社会を目指し、アラフィフ女性に特化した人材紹介業を立ち上げ、企業とのマッチングを進めている。
Webサイト:サポートプラス社会保険労務士事務所
セカンドキャリアの女性コミュニティ「ララ・コンシェルジュ」
主婦の就職支援「ララワーク」
セカンドキャリアの女性コミュニティ「ララ・コンシェルジュ」とは、人生経験を積み、さまざまなキャリアを経験した女性の第二の人生を応援していくコミュニティです。
ビジネスセミナーや食事会、交流会など、プライベートを楽しみながらビジネスをひろげていくための機会を提供しています。
自己成長できる場、仲間づくり、協業できる環境であり、女性の新しい生き方を承認し、これから社会に踏み出す女性にエールを送りたいと思っています。
◆ララ・コンシェルジュについてはこちらから
・HP
・女性起業家デジタルbook
・ポットキャスト:え?わたしも働ける?人生薔薇色ラジオ
・YouTube:「ララ・コンシェルジュ」チャンネル
・インスタグラム :ララ・コンシェルジュ
・Facebook:ララ・コンシェルジュ
・公式ライン:ララ・コンシェルジュ
主婦はキャリア!
ララワークは、40代からの女性の再就職を応援します。
その方に合った就職先を一緒に探し、就職後もフォローアップします。
子育てがひと段落した主婦の方が、当たり前に活躍する社会を目指します!
◆ララワークについてはこちらから
・HP:主婦の就職支援「ララワーク」
女性の採用「ララワーク」
・公式ライン:主婦の就職支援「ララワーク」
- 第68回 夫が残した言葉を胸に…パティシエを経て食生活改善ヘルシー料理研究家へ
- 第67回 専業主婦からオリジナル化粧品を開発、ツヤ肌作りスペシャリストへ
- 第66回 結婚出産、復帰後の葛藤…弁護士として、そんなことに悩まなくてよい世の中をつくりたい
- 第65回 ひとりの女性として自信になるような写真を届けたい…
- 第64回 いつまでも挑戦はできる…50才を過ぎてから行政書士受験、そして開業
- 第63回 青年海外協力隊でフィリピンへ…ご縁が繋ぐ陶芸人生
- 第62回 料理を通して子供の生きる力を育てます!ママパパは一緒に喜んでくれるだけでいい!
- 第61回 心身不調のどん底を経験、義母の声かけでアナウンサーへ…
- 第60回 書くことに追われた経験から、WEBライター集団の会社経営へ
- 第59回 会社を退社しテレビ局のアナウンサーに!話し方が変われば、見える世界がかわる!
- 第58回 フラメンコに注力した人生…40歳で出産を経て臓活ヨガインストラクターへ
- 第57回 CAとしてまた教官としての経験を経て、「人財の価値」を上げる研修講師へ
- 第56回 すぐ辞めるつもりで就職して10年…、経験したスキルを活かして独立へ
- 第55回 理不尽に失われた犬の命…犬とそのご家族が幸せになってほしい
- 第54回 CAから転職…シニアライフプランコンサルタントとして人生に寄り添いたい…
- 第53回 商社勤務からカラーコンサルタントとして独立、ブランディング会社を起業…
- 第52回 一瞬でなくなった300万円…私と同じ思いはしてほしくない
- 第51回 離婚、借金、3人の子育て…がむしゃらに働き、たどり着いた究極のイヤーエステ
- 第50回 幼児教室を開校して30年、子供たちの“ひらめき”を育てます!
- 第49回 40歳で不動産会社を設立!お客様の人生を豊かにしたい!
- 第48回 夫の転勤で中国に…養生茶療師へ
- 第47回 自由奔放なペルー人との結婚、そして離婚… だから今の私がある!
- 第46回 ガン闘病の娘の思いを引き継いで笑顔を届けるサロンを開設...
- 第45回 夫の失踪…自由なんだからやりたいことをやろうと東洋医学の道へ
- 第44回 ボウエンセラピストは日本で14人…足りないんです…
- 第43回 顔面神経麻痺の経験から表情筋トレーナーへ…
- 第42回 不妊治療、離婚…みんなが笑顔で囲める食卓を目指し料理研究家へ
- 第41回 100歳までハイヒールでエレガントに美しく!
- 第40回 女性が自由に生きるためには、精神的に・経済的に賢く自立してほしい…
- 第39回 サバゲーの実力が目にとまり、トレーナーに…
- 第38回 40代・50代の女性をサポートしたい…結婚相談所開業
- 第37回 あなたらしい「素敵さ」の瞬間を、私が切り撮って伝えたい
- 第36回 昔飼っていた犬や猫に導かれ、どうぶつ心理療法士に…
- 第35回 若い方がいい…ではなく、私は私のままでいい! アラフィフ女性へコンパスノート術
- 第34回 ヒプノセラピーで多くの方を癒したい
- 第33回 苦しんでいる人に寄り添いたい、トラウマケア専門家へ…
- 第32回 薬剤師として今をより良く生きる「棺桶ワーク」を広めたい!
- 第31回 都会から田舎への移住、そしてシステム開発会社を起業...
- 第30回 楽しみながら自分をいかせる道、相続専門税理士へ…
- 第29回 子供のアトピーからたどり着いた風水鑑定士
- 第28回 現看護師として食生活と身体の関係を伝えていきたい
- 第27回 何もかも上手くいかない人生…筆跡鑑定が変えてくれた
- 第26回 育児だけじゃなくて仕事がしたい…リサイクルブティック経営へ
- 第25回 嗅覚反応分析で、もっと自分らしく、キラキラ輝く素敵な笑顔に…
- 第24回 実家は三代続く真珠屋、家業に全く興味がなかった…
- 第23回 働く人がイキイキと自分らしい人生を…キャリアコンサルタントへ
- 第22回 狭山市にママコミュニティ「さやマンセ」を立ち上げ、ママたちを元気に!
- 第21回 ナレーターとして出会うべき声とご縁を繋いでいきたい!
- 第20回 日体大なのに体操嫌い…短所をウリに変え人気体操インストラクターへ
- 第19回 すっぴんでルート営業をしていた私がエステシャンに…
- 第18回 着物は人のために着る…それは日本のおもてなしの心
- 第17回 定年と母の介護をきっかけに建物管理会社からエステサロンオーナーに…
- 第16回 離婚を決意した時、子供のために定年のない職業が必要だった…
- 第15回 子供の時から数字が大好き!そして経理のプロに…
- 第14回 30代後半で日本語教師に…アジアの学生の夢に寄り添いたい!
- 第13回 夫の永眠、コロナを経て、WEB制作の道へ…
- 第12回 どんな素敵なことを考えているのだろう…それを聴いてあげたい
- 第11回 ママたちの才能が埋もれること、それがもったいなくてしょうがない…
- 第10回 主婦からリハビリメイクの講師へ…
- 第9回 36才、アロマセラピストへの人生の決断
- 第8回 両親を亡くした時の後悔…生前整理アドバイザーへ…
- 第7回 1人のスーパースターをつくるより、10人のスターをつくりたい…
- 第6回 母から受け継ぎ、子育てから学んだ「家元」としての在り方…
- 第5回 専業主婦から、まさかの社会復帰…
- 第4回 結婚相手で人生がこんなに変わりました…
- 第3回 社会を造る建設業から想いを表現するカメラマンへ…
- 第2回 『やりたくないコト』を探して行政書士の勉強を始めました…
- 第1回 意地から始まった弁護士試験の挑戦だった…