第6回
日産追浜工場見学記
イノベーションズアイ編集局 広報アドバイザー 長野 香
今年5月、神奈川県横須賀市にある日産自動車追浜工場を見学に訪れた。「これが最後のチャンスかもしれないよ」と、友人に誘われたのがきっかけだった。主力車である小型車「ノート」を組み立てる同工場は2027年度末に車両生産を終了するからだ。
一般向け見学は午前9時20分開始、友人と9時に京浜急行追浜駅で待ち合わせた。駅でタクシーを探したところ、案外早く見つかり「さすが、タクシー乗降客が多い地域なのか」などと、妙なところに感心した。
タクシーの運転手に「日産追浜工場まで」と告げると「工場のどこ?工場の敷地は広いから工場のどこなのか教えて」と、想定外の反応。焦りながらスマホであれこれ検索し、なんとか目的地を特定して工場の正門ゲートで降車した。
集合場所となっている建物「ゲストホール」に入ってすぐの場所に、日産の高級車「GT-R」が置かれ「おお!」と思いつつ先に進む。会社の歴史や様々な部品とそれらの解説が整然と展示されていた。
平日ということもあってか、見学者は我々を含めて4人。ホール内の会場で20分ほどの動画を見た後、マイクロバスに乗って専用ふ頭に向かう。専用ふ頭の存在に圧倒されつつ敷地面積約170万平方メートル、東京ドーム36個分という広大な敷地を体感した。
次に、工場内で自動車組立の現場を見学。作業工程ごとに従業員が新たな部品を取り付け、自動車が徐々に組み立てられて行く様子を間近で見ることができる。
追浜工場の歴史は1961年に遡り、新技術や新規取り組みを実現してきたことから、「日産のマザー工場」と呼ばれているそうだ。重い部品を動かすための補助ロボットも取り入れられ、目の前で見事に組み立てられていく様に見入った。一見簡単そうに見える作業だが、実は高い技術が必要なのだという解説を受けた。
黙々と働く従業員の手により一連の作業はスムーズに流れ、電光掲示で示されたその日の生産予定台数と進捗状況に大きな隔たりはなかった。受注生産、つまり発注された台数のみ生産するという解説があったが、工場がフル稼働しているようには見えなかった。
工場内の見学を最後に、およそ2時間のツアーを終えた。案内してくれた担当の方はとても親切で、工場内で働く従業員たちはテキパキと仕事をこなしていたが、どことなく寂しげな表情のように感じたのは、気のせいだろうか。帰り際に正門から振り返ると、青々とした芝生や植栽を前景にした工場は、静かに佇む城塞のようにも見えた。
再び戻った追浜駅前には昭和の香り漂うアーケード付き商店街が広がっているが、昼時の割に賑わっている様子はなく、駅に向かう中高生の姿ばかりが目についた。都心に向かう京急電車内も制服姿の生徒たちであふれていた。
5月以降、一度は追浜工場存続の報道が出て安堵したものの、7月になって一転、27年度末での車両生産終了が公表された。工場の一般見学は中断となっている。
2,400人の従業員とその家族はどうなるのか。生産移管先となる九州の工場に移るのか、それとも転職するのか。追浜工場に部品を供給してきた関連企業は新たな納入先を開拓できるのか、いろいろと気になる。城下町と言われる横須賀の街への打撃は?できたばかりの野球部は?あの日見かけた制服姿の若者たちにも影響があるかもしれない・・。
時代に先駆ける数々の名車を産み出してきた日産。子供の頃「ケンとメリーのスカイライン」に憧れ、大人になったらこんな車で綺麗な土地にドライブを、と夢見た。
自動車だけでなく魅力的な文化までも創出してきた大企業の苦境に心を痛めているのは、私だけではないだろう。
プロフィール
イノベーションズアイ編集局
広報アドバイザー
長野 香
静岡県沼津市出身。1986年3月立教大学卒業。
立教大学文学部ドイツ文学科資料室、国際センター等を経て2007年6月から立教大学広報課勤務。2013年6月から立教大学広報課長兼立教学院広報室長、2018年6月から立教大学総長室次長を務め、2024年3月退職。
一般社団法人 私立大学連盟での活動のほか、国立・私立大学等で広報業務に関する講演や寄稿、広報業務アドバイス等多数。
2024年5月よりイノベーションズアイ編集局広報アドバイザー。
- 第6回 日産追浜工場見学記
- 第5回 デザインの可能性
- 第4回 大学入試の舞台作り
- 第3回 ベルリンの壁
- 第2回 旅への願い
- 第1回 不祥事に想うこと