第5回
デザインの可能性
イノベーションズアイ編集局 広報アドバイザー 長野 香
東京都庭園美術館で開催中の「戦後西ドイツのグラフィックデザイン モダニズム再発見」展に行った。展覧会にはデュッセルドルフに住むグラフィックデザイナーのコレクションから約130点のポスターのほか、冊子、雑誌など多くの資料が展示されており、それらは日本初公開だという。
本展の紹介チラシには「1950年代にはGNPが世界2位となり、経済の軌跡と称されるほど、西ドイツは経済的躍進を果たしましたが、その背景には商業と密接な関係にあるグラフィックデザインの存在が挙げられます。」とあり、ポルシェ、ベンツ、BMWなどの自動車を筆頭とした高品質かつ美しいデザインのプロダクツが牽引した戦後西ドイツの発展がすぐに頭に浮かんだ。
展示は、ルフトハンザのロゴや観光宣伝ポスターから始まり、見慣れた山吹色と紺色のチケットや荷物タグ、色鮮やかな機内食パンフレットなど、旅の高揚感を醸し出すデザインに心が躍った。
1972年夏のミュンヘンオリンピックのコーナーには、スポーツの躍動感あふれる宣伝用ポスターやカラフルな公式ガイドなどの資料、そして競技種目や施設を表すピクトグラム(絵文字)が整然と配列されたポスターが並んでいた。どれも青、白、オレンジ、黄色などの柔らかな色彩で統一され、色使いの巧みさと精緻なピクトグラムに感心した。
ミュンヘンオリンピックと言えば、悲惨なテロ事件の印象が強く、ビジュアルイメージの記憶は全く無かったため解説を読んだところ、驚いた。
柔らかいと感じられた色彩は「ナチス・ドイツが主導した1936年のベルリンオリンピックを払拭すべく、新しいドイツをイメージさせるデザインを目指し、テーマカラーはパステル色を基調とするものが使われた」という解説が付されていたのだ。
図録には、メインカラーの水色と白はミュンヘン周辺のアルプスからイメージされ、他に銀、緑、オレンジなどを加えた計8色をテーマカラーとしてビジュアルに展開された、と詳述されていた。
また、様々なピクトグラムは、1964年の東京オリンピックが起源だとあった。非西洋圏で初めてのオリンピックでは、文字に頼らない視覚的情報伝達システムを構築する必要があった。開発されたデザインはその後国際的に広がり、ミュンヘンオリンピックで高度化されたという。
暴力を排し、平和を願う理念と哲学が込められ、言語・国境を超えたコミュニケーションの促進を実現したビジュアルデザインだったことを知り、それとは裏腹なテロ事件にやるせない気持ちが込み上げた。
別のコーナーでは、幾何学的に区分された枠内にイラストや写真でデザインされたポスターが展示されていたので「なんだろう?」と解説を見ると、現在、我々が日常的に使用しているA4やA3などの紙のサイズは、もともとドイツの国家規格で、のちに国際規格になった、と書かれていた。「枠」と思ったのは、A4やA3などのサイズを示すラインだった。
紙のサイズやピクトグラムは、我々の生活に欠かせない社会インフラと言える。
ピクトグラムは、その後も進化し、東京2020大会ではスポーツに焦点を当てた多彩なピクトグラムが制作され、注目された。先日開幕した大阪・関西万博では、食事メニューに使用されている食材をピクトグラムで表示して宗教や食文化に対応している。
言語を用いなくても情報が伝わるピクトグラムは、DEI(多様性・公平性・包括性)の実現に欠かせないデザインと言えるのではないだろうか。
優れたデザインのおかげでヒット商品が生まれたり、斬新なデザインの商品が、我々の生活様式を変えることもある。日々の生活に溶け込んでいる様々なデザインが、社会を形作っている。
そして今、「デザイン」はビジュアルや造形物に対する概念だけでなく、様々な分野に広がる概念と言えよう。
大阪・関西万博のテーマは「いのち耀く未来社会のデザイン」、いのちの考察と多様性の尊重を理念とし、最先端の科学技術で未来を構築することを目指す。
東京大学が2027年9月に開設すると発表した新課程の名称は UTokyo College of Design。世界中からトップクラスの教員を集め、デザインを思考の方法として学び、多様な領域で未来を切り拓く人材を育成する、と謳っている。
万博や高等教育が未来を託す「デザイン」の可能性は、まだまだ広がっていくことだろう。
プロフィール
イノベーションズアイ編集局
広報アドバイザー
長野 香
静岡県沼津市出身。1986年3月立教大学卒業。
立教大学文学部ドイツ文学科資料室、国際センター等を経て2007年6月から立教大学広報課勤務。2013年6月から立教大学広報課長兼立教学院広報室長、2018年6月から立教大学総長室次長を務め、2024年3月退職。
一般社団法人 私立大学連盟での活動のほか、国立・私立大学等で広報業務に関する講演や寄稿、広報業務アドバイス等多数。
2024年5月よりイノベーションズアイ編集局広報アドバイザー。
- 第5回 デザインの可能性
- 第4回 大学入試の舞台作り
- 第3回 ベルリンの壁
- 第2回 旅への願い
- 第1回 不祥事に想うこと