鳥の目、虫の目、魚の目

第36回

広報力を鍛える。危機への備えは万全か

イノベーションズアイ編集局  経済ジャーナリストM

 

5月6日に東京ドームで行われたプロボクシングのスーパーバンタム級4団体タイトルマッチを制して王座を守った井上尚弥選手の試合に感動した人は少なくないと思う。プロ初のダウンを開始早々の第1ラウンドに喫したにもかかわらず、冷静さを失うことなく立て直して6回TKO(テクニカル・ノックアウト)勝ちを収めた。

勝因の一つは倒された後、ひざまずいたまま8カウント(10カウントでKO負け)まで聞いたことだ。焦らずにダメージの回復を待ったことに、観戦した元王者の一人は「ボクサーは倒されるとダメージが残っているにもかかわらず本能的に立ち上がろうとする。その結果として、その後にピンチを招くことが多い」と感心していた。

翌日の新聞には「最悪の事態を想定し準備してきた」というコメントが載っていた。プロ初のダウンも、その際には8カウントまで休むのも想定していたわけだ。イメージトレーニングができていたからこそ、冷静な試合運びで逆転勝ちにつなげることができた。事前のリスク管理が功を奏したといえる。王座を守る極意でもあろう。

勝ち続けるとは、そういうことなのだーー。

そう感じた。ちょうどそのとき、「「広報力を鍛える」というテーマで話す機会があり、そこで企業・組織が生き残るには危機管理がいかに重要かを話した。

SNS(交流サイト)の発達で誰もが記者になりうる今、あっという間に情報は拡散する。逃げたり隠したりはとんでもないことだが、対応が遅れるといった稚拙な広報は企業の命取りになりかねない。まさに広報は経営そのものであり、広報力を鍛え、高めることが企業成長に欠かせないのだ。

にもかかわらず、残念と思える広報は少なくない。経済ジャーナリストとして企業取材を重ねてきて感じる。広報は経営そのものとは、言い換えると広報のトップは経営者のはずなのだが、広報の重要性を本当に理解している経営者はどれほどいるだろうか。

後を絶たない不祥事(不正)への対応で首をかしげたくなる事例は少なくないからだ。危機への備えが足りないからで、他社の不祥事を他山の石にすべきなのに、「われわれには関係ない」「大丈夫だ」と高を括る。最悪のシナリオを想定して動くべきで、その役回りを担うのが広報だ。

不祥事が相次ぐが。「不祥事が増えているのではない。不祥事の発覚が増えている」といわれる。不祥事を隠し通すことはできない。隠そうとすればするほど、発覚した時のリスクは大きい。

なぜ不祥事が発覚するようになったのか。一つは先述したようにSNSの発達だ。内部で隠せていた問題がSNS経由で発覚する。内部告発も増えている。企業のステークホルダー(利害関係者)もメインバンクから株主に替わった。前者は問題を水面下で内々に処理したがるが、後者は情報開示を求める。加えて社会やメディアも不祥事に厳しい目を向けるようになった。

紅麹原料を含む機能性表示食品による健康被害をめぐる小林製薬の対応はお粗末と言わざるを得ない。発表があまりにも遅すぎた。健康被害を把握してから公表(記者会見)に至るまで2か月を要した。対応の遅れは消費者に致命的な被害を与えかねない。

紅麹が原因かどうか分からず調査に時間がかかったというが、会見での不十分な説明が混乱を拡大させた。記者は情報を隠されることを嫌う。同社は役員・幹部クラスのリスク管理研修などにも積極的に取り組んできた。広報態勢もしっかりしていた。迅速な情報開示が求められることを熟知していたはずで、症例を把握した翌日に説明機会を設けていたら事態は変わったに違いない。

放置リスクは大きい。初動が遅れると、社内で情報共有できず、取引先や消費者に伝わらない。リスクへの感性が乏しいといえる。どんな企業でも問題は起きる。それを隠すのではなく、原因を探り完全に治すことが求められる。そのために社内外の衆知を集め、トップが決め、全員で実行することが肝心だ。その推進役が広報だ。

では、広報の役割とは何なのだろうか。広報は社会との懸け橋であり、企業の窓にあたる。つまり社会や消費者と最初に接するのが広報といえる。企業は製品・サービスを通じ社会を豊かにすることが使命だ。そのためには社会に知ってもらう必要があり、情報発信を通じて社会と信頼関係を築く。その役割を担うのが広報というわけだ。

社会との継続的なコミュニケーションを図るための情報発信だが、新製品発表やSDGs(持続可能な開発目標)への取り組みといった良いニュースを発信する「攻め」だけではない。「守り」にあたる不祥事対応も担う。良いニュースを連発しても、不祥事対応がまずければ一発退場もありうる。広報の失敗で会社はつぶれるともいえる。

だから広報は危機管理であり、経営そのものなのだ。ステークホルダーとのコミュニケーションをいかに緊密にしていくかが問われるわけだ。重要なのは情報を社内外に的確、かつ効果的に発信する広報力だ。下手な広報は信頼を失いかねない。企業イメージを良くも悪くもするのが広報なのだ。

トップは最大の広報マンといわれる。にもかかわらず、不祥事に気づいてもばれなければいいと思ったり、見て見ぬふりをしたりするトップは辞めたほうがいい。トップは不祥事が発覚したとき、謝罪会見に「行かない」「行かなくていいよな」ではなく、自ら率先して「会場はどこだ、どこに行けばいい」と企業を守るための行動を取るべきだ。しぶしぶ会見に出ても失態をさらすだけだ。失態は事態を深刻化させ、企業の存続にもかかわってくる。

そのためにも会見で「言うべきこと(ぜひ表明したい、言わないと信頼を失う)」、「言えること(聞かれたら言うこと、説明責任に応える)」と「言えないこと(言う立場にない、言う状況にない、制限があって言えない)」を整理しておく必要がある。その時点でどこまで開示できるか(確認できている事実、原因と責任)を決めておく。

危機はいつ起こるか分からない。クレーム対応の原則は「逃げない、待たせない、ごまかさない」というが、広報の原則は「逃げない、隠さない、嘘をつかない」ことだ。

そのためには広報は「換議大夫」になるべきだ。不祥事が起きたらトップに謝罪(説明)会見を開くよう直言し、トップの保身に「ノー」と容赦ない意見を言う胆力が求められる。広報が守るべきはトップではなく、企業でありステークホルダーにほかならないからで、トップの間違いを諫めることで独善を防ことができる。企業の存続にもつながる。

広報はとにかく、トップにとって耳の痛い情報を素早く伝えることに尽きる。徳川家康は「諫めてくれる部下は一番槍より手柄」と話したという。それほど諫議大夫役を果たすべき広報の重要性を理解していたわけだ。徳川の世が長く続いたのも頷ける。

それだけに広報部門にはトップの分身を担える人材は置くべきだ。経営方針・戦略を理解しておくだけでなく、リスクを想定して事前に動くことも求められる。

他社の不祥事を他山の石にできるかかも問われる。根拠のない「大丈夫」ほど危ないものはなく、「たいしたことではない」と放置するととんでもないことになる。最悪のシナリオへの対応を怠るわけにはいかない。

 

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