第30回
減る「現金利用」と増える「使わない現金」
イノベーションズアイ編集局 経済ジャーナリストA
1万円札の肖像が渋沢栄一、5000円札が津田梅子、1000円札が北里柴三郎に変わってから7月3日で1年になった。切り替え当初は財布の中で新旧の紙幣が入り交じり、買い物時に戸惑うこともあったが、最近は新札ばかり。たまにおつりなどで旧札がくると保存したくなったりもする。
しかし、日銀の発表によれば、5月末時点で流通する紙幣(合計約160億枚)のうち、新札の割合は28.8%(約50億枚)だった。新札への切り替えは想像するよりはゆっくりと進んでいるようだ。前回の紙幣の切り替え時(2004年)は、このタイミングで約6割が新札になっていたらしいので、ペースは半分程度ということになる。
この背景には、キャッシュレス化の進展がある。と、多くのメディアが報じていた。一方で、紙幣の流通量は約170兆円と過去最多に達している。キャッシュレス化が進展すれば、紙幣など現金の利用機会は減るはず。ではなぜこうなっているのだろうか。
理由はいろいあるが、その一つには数十兆円規模とされる“タンス預金”の増加というのがある。日本では、30年とかいう期間にわたって低金利状態が続いている。銀行に預けたところでどうせ大した金利がつかない、となればタンス預金もアリなのだろう。
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高齢者となれば、銀行に行くのも面倒だ。加えて、少しまとまった額を出し入れするときは、手続きも面倒になる。今やどこの銀行でもスマホのアプリでピピッと決済できるのだが、高齢者は概ねそういうのが苦手。オレオレ詐欺とかも怖い。実際にそうした特殊詐欺被害は過去最悪のペースだ。なので、銀行の特殊詐欺対策も厳重になっており、これが手続きをさらに難しくしていく。
ただ、タンス預金も含む現金はかつてなくたくさん市中にある。半面で、銀行など金融機関との間での移動や買い物などの消費行動での利用は減少しているのだろう。この理由はまさしくキャッシュレス化。だから計算上はなかなか新札に切り替わっておらず、でも財布の中の旧札は少なくなったのだろう。
つまり、日常的に動いている紙幣はある程度切り替わった、と。紙幣の切り替えが前回の改刷の半分のペースということは、それだけキャッシュレス化が進んで使う現金が減り、それだけ“動かない現金”が増えているということでもある。
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1万円札の肖像になった渋沢栄一は、明治維新後の日本経済をプロデュースしたともいえる人物だ。日本初の銀行である第一国立銀行(現在のみずほ銀行の前身)の設立も関わった。銀行条例の起草や、各地の国立銀行設立の支援、金融システム構築にも貢献した。そんな渋沢栄一の紙幣がキャッシュレス化やタンス預金でなかなか切り替わらないというのも皮肉な話だ。
一万円札の肖像は、財務省と日本銀行、国立印刷局が協議し、最終的には財務相が決めるという。改刷は、偽造防止や点字の付与といった機能強化が大きな目的とされるが、話題になりやすいのは肖像だろう。
肖像の選定は、「一般的にも国際的にも広く知られており、その業績が認められている人物であること」で、近年は明治以降の人物から選ぶという。当局でそうした議論があったのかは分からないが“渋沢栄一を一万円札の肖像に!”という声はずいぶん前からよく聞いた。
ただ、渋沢栄一は江戸幕府の幕臣出身でもあり、明治維新を推し進めた人物としては選びにくかったのかも知れない。そういう風潮は、江戸幕府最後の勘定奉行だった小栗忠順の歴史的な評価からも感じる。というか、数年前に小栗忠順が幕府をお役御免になってから過ごした群馬県高崎市の倉淵を訪ねたが、歴史から抹消されているとさえ感じた。
江戸時代末期、グローバリズムに巻き込まれた日本は現在と似たような厳しい状況下にあった。小栗忠順はそれこそトランプ関税に対応する交渉団がごとく米国に渡り、不平等条約の改定交渉などに明け暮れた。将来を見越し、製鉄所や造船所建設の素地も築いた。司馬遼太郎は、作品の中で「明治の父」とも評している。この人がいなければ、明治以降の日本はどうなっていたことかとさえ思う。そんな小栗忠順が2027年のNHKの大河ドラマ「逆賊の幕臣」の主人公になるという。
そういえば、渋沢栄一も2021年に大河ドラマ「青天を衝け」で描かれた。そのうち、小栗忠順もお札の肖像になるまでにその功績が認められるかも知れない。そのころ、お札はどうなっているのだろう。日本の将来も心配だが…
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