「これまで約1年にわたって上級マネジャーのマネジメントについて教えて頂きました。以前の現場マネジャーのマネジメントと同じく、MCSの考え方に基づいた枠組みです。」
「そうだな。もう、1年になるのか。早いな。」
「そうですね。今まで教えて頂いてきた中、私もいろいろな案を作成してきました。来年度からは、そちらの取組みに集中しようと思います。」
「ぜひ、そうしてくれ。」
「その中で、いま一つ、ご意見を伺いたいことがあるのです。」
「何だ?」
「MCSをベースにしたマネジメント・システムを導入するに当たっての注意点です。上級マネジャーのマネジメントを考えるに当たって役割と方法を明らかにするというアプローチ、とても理解できます。しかし・・・。」
「しかし、何だ?」
「MCSはやはり、海外から持ち込まれた概念ですよね。なので日本に、特に我が社のようにコテコテの日本企業に持ち込むに当たっては、うまく行かないところがあるのではないかと思うのです。」
「中川部長は、そう思っているのか?」
「いや、実は思っていないのです?」
「思っていないのに、なぜ心配しているのだ?」
「だって私は、長い間、三上取締役から教えを乞うている間に、西洋かぶれになってしまったような気がするのです。だから、特段おかしいとも感じないのではないかと。」
「ははは。俺に染まってしまったというのか?中川部長は、そんなことは言わないと思っていたがな。」
「いえいえ、時間というのは恐ろしいものです。長い時間、漬かっていると、染まってしまいます。」
「その質問の答えを俺に求めるのも、どうかしていると思うが、まあ、ご期待に添えるように考えてみよう。」
日本の風土に合うか?
「中川部長からの申し出が面白すぎたので、少し整理していこう。中川部長は、MCSに基づいたマネジメントを日本に持ち込むに当たっては、注意すべき点があるような気がすると言っている。しかし、それが何かは思い当たらない。実は、おかしいとも思っていない。そういうことだな。」
「そういうことです。」
「じゃあ、一つの答えを言おう。『それは思い過ごしだから』だ。」
「いや、それはちょっと言い過ぎでは。何か注意すべき点がありそうだということには、自信があるのです。それを否定されると、ちょっと・・・。」
「そう。だらかもう一つの答えを言おう。『それは潜在意識の問題だから』だ。」
「うーん、そうなんでしょうか?いずれにしろ、よく分かりません。教えてください。」
マネジメントの目的が変われば、当然の変化
「では一つ目の答え、『それは思い過ごしだ』について考えてみよう。」
「はい、お願いします。」
「中川部長は、ステーキを食べるのに箸を使うか?」
「いいえ、ナイフとフォークを使います。」
「どうしてだ?日本人なのだろう?ナイフとフォークではなく、箸を使うべきなのではないか?」
「でも、ステーキを食べるには、箸よりもナイフとフォークの方が適しています。その方が合理的とでも、言いましょうか。」
「そうなんだ。それと同じことが、マネジメントにも言えると思う。」
「何やらさっぱり分かりません。」
「今となってはもう2年ほど前のことだ。現場マネジャーのマネジメントについて説明する冒頭で、マネジメントのあり方の違いについて話したことがある。自分の命令に部下を従わせるマネジメントか、部下をサポートして成果を出させるマネジメントか、についてだ。」
「はい、それは思い出します。」
「残念ながら、日本のマネジメントは、前者のスタンスが残っていないか?時には色濃く。」
「そうですね。残念ながら、そう感じることがあります。」
「しかし、これからは成果にフォーカスして考える必要があると思う。すると、マネジメントは自然に、部下をサポートして成果を出させるものに変わっていくのではないかな?」
「たぶん、そうですね。」
「そういうスタンスのマネジメントについて、長く検討しているのは欧米の方だと思う。もちろん完璧なものができている訳ではないが、少なくとも一日の長ははある。」
「悔しいですけど、そうでしょうね。」
「悔しいなんて、思う必要はない。欧米は、マネジメントを発展させるに当たって、日本をモデルにしていた。ドラッカーも、日本のマネジメントに魅了されていた一人だ。」
「そういう話、聞いたことがあります。」
「そうやって日本の知恵も盛り込みながら、欧米は、パフォーマンスをあげるためのマネジメントをMCSとして築き上げてきた。それを取り入れることを、はばかる必要はあるだろうか?」
「ない、というべきでしょうね。」
「今までのマネジメントとはアプローチが違うので、違和感はあるだろう。それは今まで箸を使って肉を食べてきた日本人が、初めてナイフとフォークを使うときに抱く違和感と同じではないかと思われる。でも、牛丼を食べるのではなくステーキを食べるなら、ナイフとフォークを使った方が合理的なんだ。」
「それと同じように、部下をサポートして成果を出させる組織を作りたいなら、MCSに基づくマネジメントを採用した方が合理的だと、三上取締役は仰りたいのですね。」
「そう言うことだ。」
人々の特性が異なる
「でも、何か注意すべき点がありそうだという私の実感には、賛成されるところもあるのですね。それについて『潜在意識の問題』と仰りました。」
「そうなんだ。人間の特性が異なる、とでも言おうか。」
「何か、仰々しいお話になってきましたね。」
「いや、言ってみれば、単純なことだよ。例えば欧米は『契約社会』と言われている。その点で日本は『文脈を読めよ』という言葉がある。」
「欧米では何でも言語化して明文化するのが当たり前になっているけれど、日本ではそうではない。曖昧な感覚が幅を利かせているということですね。」
「そうだ。それからもう一つ、欧米では目標数字にフォーカスするのは当然のことだが、日本では違和感を持つ人が多いだろう。」
「私もそう思います。だからMCSを導入するに当たっては、曖昧さを避けて言語化・明文化を進めるべきだ、数字をベースにしたマネジメントにも慣れてもらわなければならないと仰りたいのですね。」
「うーん。それについては、半分当たっているが、半分間違っていると言いたいところだ。」
「どういうことですか?」
「成果を出すことを目指して、突き詰めて考えてみると、確かに言語化・明文化がポイントになってくると思う。数字にフォーカスすることも必要だろう。」
「はい。」
「しかし、MCSに基づくマネジメントを導入するに当たって、今までのやり方を『曖昧なのは不適切だ』と断罪して『言語化・明文化を進めるべきだ』と命令すると、どうなるだろう?『いつも数字を気にしておけ』と強く言っていたら?」
「反発があるでしょうね。それもかなり強い反発があると思います。」
「そうなんだ。何でも、極端な強制には反発がある。極端とは、度を越したという意味ではない。今まで慣れ親しんだものとは『かなり違う』と相手に感じられるということだ。紹介しようとするマネジメントがいくら的を射たものでも、相手が『これは今までよりも、かなり違う。違いすぎるので、馴染めない』と認識してしまうと、反発が生じてしまう。そして反発により組織内に悪い雰囲気が生じてしまったら、それを拭い去るのは容易ではないのだ。数ヶ月、時には数年も、目指すマネジメントが実現できなくなる。」
「はい。そうなると思います。」
「そうならないよう配慮が必要だという意味でならば、中川部長の心配は、まさにその通りだと俺も思う。」
軸を合わせる
「ならば三上取締役は、どうすれば良いとお考えなのですか?」
「軸を合わせることだろうな?」
「どういうことですか?」
「MCSの導入が、関係者全てにとって望ましいことだと納得してもらうということだ。」
「これまた、言うは易し、行うは難しの命題ですね。」
「そうだな。」
「何か良い方法を、お持ちなのですか?」
「そうだな。次回はその話をすることとしよう。」