第4回
事業承継計画の「見えざるリスク」――後継者の結婚問題に、親はどう向き合うべきか
FORTUNA GROUP株式会社 村田 弘子
経営者にとり、「最後に成功させねばならない課題」の重要なひとつに、事業承継があります。事業承継は、単なる株式や資産の移転ではありません。それは、創業の精神、経営理念、そして何よりも「家」そのものを次世代へと繋ぐ、壮大なプロジェクトです。
事業承継の成否を分ける要因は数多くありますが、本稿では、ともすれば家庭内のプライベートな問題として敬遠されがちな、しかし事業承継の根幹を揺るがしかねない「後継者の結婚」というテーマについて、あえて踏み込んで論じたいと思います。
沈黙が美徳とされる時代の「対話」の必要性
現代は、個人の価値観が最大限に尊重される時代です。結婚は、かつてのように「して当たり前」のものではなくなり、「するもしないも個人の自由」という考え方が社会の共通認識となりました。このような風潮の中、親が子どもの結婚について口を開くことは、過干渉や価値観の押し付けと見なされかねず、ためらいを覚える方も少なくないでしょう。特に、高い見識と自立心を持つ我が子であればなおのこと、その意思を尊重したいと思うのは当然の親心です。
しかし、その「沈黙」が、かえって子どもの人生に、そして事業の未来に、予期せぬ重荷を課す危険性を内包しています。現代の風潮は尊重するとしても、ファミリービジネスの経営者であれば、大切な会社と我が子の発展のために、あえて「家族を創る」というチームビルディングの重要性を今伝えなければ、後継者教育という事業承継計画の大事な一要素が、片手落ちになりかねません。
結婚という人生選択の意義や価値、適切時期を親として伝えておくことは、お子様と事業の両方にとり、欠かせない要素です。なぜなら、このような個人主義の時代に、結婚の意義を考えないまま過ごし、ファミリー構築がうまくいかずに困るのは、ほかでもないお子様自身であるからです。
10年越しの婚活戦争~放置がもたらす精神的・経済的コスト
「いつか良い人がいれば」・・そう考えていた若者が、気づけば30代後半、40代、50代となり、終わりの見えない婚活に心身をすり減らしているケースは、決して珍しくありません。貴重な休日は婚活に費やされ、自己投資や心身のリフレッシュの時間すら確保できない生活が、成婚というゴールに達するまで延々と続いていきます。
その典型的なプロセスはこうです。大学卒業後は仕事に邁進し、出会いはマッチングアプリが中心となるものの、関係性の深化には至らない。そうこうするうちに30代半ばから40代を目前にし、ようやく危機感を抱いて結婚相談所の門を叩きます。しかし、そこで待っているのは、本人の相手への希望年齢は変わらない一方で、自身の年齢は毎年確実に上がっていくという厳しい現実です。
くわえて昨今は、女性もパートナーとの年齢差にシビアになり、かつてのように経済力さえあれば、50代男性が30代女性と結婚できるという時代ではなくなりました。この傾向が、男性の婚活を一層困難にしています。「令和の婚活」は、男性も若さが重要な要素なのです。婚活の現場では、「加藤茶さんのような年の差婚を目指したい」と語る男性もいますが、それはもはや現実的ではないと諭されるのが実情です。
結果として活動は5年、10年と長期化し、投じる費用は数百万円、場合によっては1000万円を超えることもあります。事実、婚活に1500万円を投じ、10年以上の歳月を経てようやく成婚したという、社会的地位も高い「モテる」はずの男性の事例も存在するのです。これは、もはや自己投資の域を超え、精神的にも経済的にも極めて大きな負担と言わざるを得ません。
特に、男性に見られる一つの傾向として、「子どもが欲しい」という希望を最後まで捨てきれないがために、自身より若い年齢層の女性を求め続け、結果としてマッチングが成立せず、生涯未婚へと至るという皮肉な現実があります。本人は幸せな家庭を築きたいと強く願っているにもかかわらず、その願いが強すぎるがゆえに、かえってその機会を逸してしまうのです。
個人の自由選択の結果と言えばそれまでですが、もし、もう少し早い段階で、誰かが人生の羅針盤となるような視点を与えていれば、その後の人生設計は大きく変わっていたかもしれません。我が子がこのような「望まぬ孤独」に陥る可能性を前にして、親が「個人の自由だから」とただ傍観していることは、果たして本当の愛情と言えるのでしょうか。
親の責務としての「対話」と「提案」
ここで提唱したいのは、決して「結婚しなさい」と命じるような、一方的な価値観の押し付けではありません。そうではなく、人生の先輩として、また我が子の幸せを誰よりも願う親として、適切なタイミングで「対話」の場を設けることの重要性です。
その最適なタイミングは、子どもが大学を卒業し、社会人としての一歩を踏み出した頃ではないでしょうか。この時期は、まだ固定観念に縛られておらず、親からのアドバイスを比較的素直に受け入れられる最後の好機かもしれません。例えば、「就職おめでとう」と祝う席で、少しお酒も手伝って「将来、家庭を持つことは考えているのか」と、自然に切り出してみるのも一つの手です。
対話は、「これからの人生、どんな風に考えている?」といったオープンな質問から始め、その流れで結婚観について尋ねてみるのが良いでしょう。
その上で、親自身の経験、「結婚して良かったこと」「パートナーがいることの心強さ」などを、飾らない言葉で語ることが大切です。特に、父親が「お母さんには本当に感謝している」と改めて口にすることは、子どもにとって計り知れない影響を与えます。子どもの目には、時にすれ違っているように見えた両親が、実は深く信頼し、満足し合っていると知ることは大きな励ましとなります。結婚や夫婦というものへの漠然とした不安が、前向きな希望へと変わるのです。
そして、20代のうちから結婚を考えることの具体的な利点を伝えてあげるのも効果的です。例えば、キャリアや人生設計において、更年期や親の介護、子育てといったライフイベントが集中する負担を避けやすくなる、といった現実的な視点です。お節介が敬遠される世の中だからこそ、このような情報は有用です。本人がまだ意識していない段階で親がそっと伝えてあげることが、賢明な人生の選択を後押しする貴重な助けとなります。
選択肢の豊富さ: 20代は、男女ともに同世代の未婚者人口が多く、出会いの機会に恵まれ、選択肢が最も広い時期です。
心身の充実: 出産や育児には、想像以上の体力が必要です。若いうちに家庭を築くことは、その後の人生設計において大きなアドバンテージとなり得ます。親世代も、体力的に孫の世話などに関わりやすい時期です。
キャリアとの両立: 若いうちにライフイベントを経験することで、その後のキャリアプランを長期的視点で、かつ着実に描きやすくなる側面もあります。
もちろん、最終的に決断するのはお子様自身です。しかし、これらの情報を知っているのと知らないのとでは、その後の人生の選択肢の質が大きく変わってくるはずです。これは、親にしかできない、愛ある「情報提供」であり、お子様の未来の可能性を広げるための重要な責務と言えるでしょう。
婚活費用は「先行投資」――長期視点で考える経済的支援
対話とともに検討したいのが、具体的な「支援」です。社会人になったばかりの若者にとって、数十万円にのぼる婚活の初期費用は大きな壁となります。仕事に慣れるので精一杯で、そこまで手が回らないのが実情でしょう。
もし、このタイミングで親が「応援したいから」と、婚活費用の一部を負担してあげたとしたらどうでしょうか。これは、単なる甘やかしや過保護ではありません。将来、我が子が10年以上の歳月と数百万円の資金を婚活に費やし、精神的に疲弊することを考えれば、この初期投資がいかに合理的で、親子双方の負担を結果的に軽減する「賢明な一手」であるか、お分かりいただけるはずです。
「私たちは、あなたの人生の選択を全力で応援したい。もし結婚を真剣に考えるなら、そのための支援は惜しまない」・・このメッセージを伝えるだけでも、子どもは安心し、自分の将来について前向きに考えるきっかけを得るでしょう。それは、目先の金銭的支援以上に価値のある、親からの最高の贈り物となり得ます。「資金援助をお願いしたい」と親に遠慮して言えなくて、婚活したいけれどできないと悩む20代は多いです。
事業承継計画における「結婚」という最重要マイルストーン
さて、ここまでの話は、一般家庭にも通じる話ですが、事業承継を控えるファミリービジネスにおいては、その重要性が格段に増します。後継者の結婚は、もはや単なるプライベートな問題ではなく、事業の未来を左右する経営マターそのものなのです。
1. 事業の安定と後継者の精神的基盤
経営とは、終わりのない決断の連続です。その重圧に耐え、事業を力強く牽引していくためには、経営者自身の精神的な安定が不可欠です。私生活が安定し、安らげる家庭を持つことは、後継者が経営に集中するための強固な基盤となります。逆に、後継者が独身のまま年齢を重ね、プライベートな悩みを抱え続けているとしたら、現経営者として、そして株主や従業員、取引先は、心から安心して事業の舵取りを任せることができるでしょうか。
2. 世代交代のタイミングと承継計画
後継者の結婚や出産は、現経営者が勇退し、次世代へバトンを渡すための、極めて分かりやすく、かつ自然なマイルストーンとなります。結婚が遅れれば遅れるほど、この世代交代のタイミングもずれ込み、事業承継計画全体に遅延が生じます。現経営者が心身ともに元気なうちに、後継者の家庭が安定し、孫の顔を見ることができれば、より円滑に、周囲からも祝福される形での承継が可能になります。
3. 社会の公器として永続した発展へ
創業家にとって、事業は単なるお金儲けの手段ではなく、代々受け継いでいくべき「家というのれん」そのものでもあります。事業をさらに次の世代へと繋いでいくためには、後継者に子がいることが、一つの理想形であることは間違いありません。もちろん、血縁にこだわらない承継の形もありますが、創業の精神を絶やさず、事業を永続させていくという観点において、後継者の家庭形成は極めて重要な意味を持ちます。
創業経営者の皆様は、会社の資産や株式だけでなく、この「事業と家族を守るための知恵」をも承継していく責務を負っています。後継者の結婚が遅れていることは、承継計画における「見えざるリスク」なのです。
結論:愛ある対話こそが、未来を拓く第一歩
本稿で述べたことは、現代の風潮とは少し異なる視点かもしれません。しかし、私たちは、世間の声に惑わされることなく、物事の本質を見つめる必要があります。子どもの幸せを願い、事業の永続を考えるならば、「個人の自由」という言葉の裏で思考停止に陥るのではなく、勇気をもって一歩踏み出すべきではないでしょうか。
それは、価値観の押し付けではありません。人生の先輩として、経営の先達として、そして何よりも深く愛する我が子への想いとして、選択肢を示し、いつでも支援する用意があることを伝えることです。
価値観不透明なこの時代、若い世代は指標を示してくれる大人の不在に、惑っています。人の人生に関わるような重要なことを、若者にフランクに話せる立場のがいるとしたら、それは、今となっては「親」以外にないのです。
まずは、週末にでも、ゆっくりと時間をとって、お子様と未来について語り合ってみてください。その対話こそが、不確実な時代において、大切な事業と家族を守り、輝かしい未来を拓くための、最も確実な第一歩となるはずです。
プロフィール
FORTUNA GROUP株式会社
代表取締役 村田 弘子(むらた ひろこ)
一般社団法人事業承継結婚推進機構代表理事
FBAAファミリービジネスアドバイザー資格認定証保持者
創業70年の老舗会計事務所の2代目妻として、3代に渡る顧問先との深い信頼関係の中で、事業承継における婚活支援の必要性を実感。マッチングアプリ全盛の中、伝統的な「お見合い」の価値を再認識し、事業承継の専門家と協力して、日本のファミリー企業の親族内承継を支援。「個人の幸せと事業承継の両立」をミッションに、全国に専門仲人を養成し、家業の永続した発展と地方創生に尽力している。事業承継学会、海外シンポジウムでは、少子化の中での事業承継の解決策を毎年発表し、各地の経営者の会では、経営者が知っておくべき後継者の婚活事情について講演。著書に「事業承継結婚という家族戦略」「絶対に間違ってはいけない経営者の妻選び」「娘が大学を卒業したら親がすぐに読むべき婚活の教科書」他
Webサイト:FORTUNA GROUP株式会社
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