好角泡を飛ばす。

第8回

たたき上げ VS エリート㊤ 中卒を心身ともに鍛え、相撲道を叩き込む 求められる人への投資

イノベーションズアイ編集局  編集局長 松岡健夫

 

大相撲の世界は番付、つまり実力がすべてだ。年功序列とは無関係で、同学年でも大学卒がもてはやされるわけでもないし、中学卒で先に入門した”古参”が闊歩できるわけでもない。だからこそ、中卒たたき上げと大学・社会人相撲で実績を積んだエリートの対戦は面白い。ポテンシャルの新人と即戦力の中途の出世争いといってもいい。「かたや下積み時代から相撲道を徹底的に叩き込まれた気概、こなたアマチュアの頂点に君臨し鳴り物入りで乗り込んだプライド」がぶつかり合うライバル対決に好角家は熱い視線を送る。

たたき上げは中卒(高卒)での入門になるので相撲経験が浅く、厳しい稽古を積み重ねながら実力を蓄えて関取を目指す。下積み時代に待ち受けているのは、「寝て起きたら強くなっている」といわれるほど過酷な稽古だけではない。大部屋での共同生活もつらいはずだ。プライベートはなく、掃除、洗濯といった雑用からちゃんこ番、先輩力士の世話(付け人)までこなさなければならない。力士としての体つきになっていないため「食べる稽古」も力を抜けない。


「ちゃんこの味が染みる」ほどの精進

相撲界には「ちゃんこの味が染みる」という言葉がある。それだけの長い時間をかけて稽古を積み、上下関係を乗り越えることで肉体だけでなく精神面でも鍛え上げられ、角界に馴染んでいくのだ。

部屋の親方は、中卒なら15歳の大切な子供を親に代わって預かるのだから責任をもって育てなければならない。体を大きくして強くするだけでなく、寝食をともにする大部屋での生活を通じて人間教育にも徹底的に取り組む。挨拶に始まり、礼儀作法、社会人としての常識も教える。

部屋の将来を担うという意味では人への投資の重要性を理解しているといえる。部屋によってちゃんこの味が違うように、部屋の伝統、文化・慣習も違う。部屋での稽古と生活が心身に染み込んだたたき上げ力士が部屋の持続的成長を担うともいえる。

たたき上げ力士は入門時から苦労を重ねてきたので強い精神力を持つ。口数は少なく、不器用ながら実直に相撲道に打ち込む姿から「武骨で昔気質」と表現されることが多い。取り口も何となく泥臭い。それが魅力で、たたき上げ力士を贔屓にするファンは多い。土俵を盛り上げる元大関の高安や三役経験者の隆の勝、平戸海がそうだ。いずれも平成生まれだが、昭和の雰囲気を漂わせる職人といっていい。


秋場所新十両はたたき上げ力士

9月13日に初日を迎える秋場所で新十両昇進を決めたのが時不動と丹治だ。ともに中卒で角界入りしたたたき上げ力士だ。念願だった関取の座をつかんで「心技体を鍛えて強い力士になり、番付を上げる」と心に誓ったに違いない。

ただ、中卒たたき上げ力士は減少の一途だ。卒業生が集まり就職場所と言われる3月場所の新弟子検査合格者は26年に、20人と過去最低を記録した。このうち中卒は10人と5割を占めるが、数的には「ほんの一握り」といっていい。少子化と高学歴化が進んでいるからだ。「次代を担う人材が集まらない」と嘆き声も聞かれる。


金と地位と名誉は土俵に埋まっている

しかし、「金と地位と名誉は土俵に埋まっている」と言われるのが大相撲の世界。稽古を重ねて実力をつけ番付を上げて関取、そして大関、横綱に昇進すれば高収入とともに名誉も得られる。

力士の励みになるグッドニュースが飛び込んできた。27年1月の初場所から幕内優勝賞金が1000万円から2000万円に倍増、三賞賞金も200万円から300万円に増額される。各段優勝も十両300万円(現在200万円)、幕下70万円(同50万円)、三段目50万円(同30万円)、序二段30万円(同20万円)、序ノ口20万円(同10万円)に引き上げられる。月給もおおむね1割上がる。稽古に力が入るのは間違いない。待遇改善が大相撲の世界に飛び込む若者、つまり次代の角界を背負う「金の卵」が増えることを期待したい。


奪い合う新人

「金の卵」と言えば、高度経済成長期の1950~60年代に地方から都市部に集団就職した中卒が思い浮かぶ。当時の高校進学率は約5割に過ぎず、都市部に比べもっと低い地方から「集団就職列車」に乗って働きに出た。主にブルーカラーの労働力不足を補う貴重な戦力として期待され、重宝されたのだった。ここでも給料を受け取りながら、上司や先輩から社会人としてのマナーを叩き込まれたはずだ。

産業界にとって少子化による人手不足は深刻だ。慢性的といっていい。このため就職戦線は「売り手市場」が続き、新人の奪い合いは激しさを増している。補うために生成AI(人工知能)の活用が進みつつあり、先行する米国では大手テック企業がシステムエンジニアやホワイトカラーの削減を進めている。ブルーカラーへの転職で収入を増やす人も現れ、「ブルーカラービリオネア」という新語も生まれた。


かつての3K、今や稼げる職場に

一方、生成AIで代替しにくい職種では、専門スキルをもつ人材が引っ張りだこだ。その代表が現場に携わるブルーワーカーだ。「就職して間もないのに月収40万円も稼げる仕事はない」と笑う入社1年目のタクシー運転手がいる。とび職や配管工など建設現場で欠かせない職人は引く手あまただ。その多くはたたき上げだ。下積み時代から親方の匠の技を見様見真似で習得してきた。腕を磨いて独立の機会を得れば「一人親方」として年収1000万円超えも可能だ。

かつての「3K(きつい、汚い、危険)職場」は、今や「稼げる職場」に変わった。スキルが認められれば高収入につながる。こうした働き甲斐に加え、3K排除という働きやすさも備わってきたのだから、若者に選ばれる職場になったといえる。


選ばれるには人材教育が肝心

AIの発展・普及で若者が選ぶ仕事先は、エリートが競い合う高級サラリーマン(ホワイトカラー)ではなく、専門的で高度なスキルを持つ職人(ブルーカラー)の世界に移るかもしれない。その先の起業も視野に入れて働けば、金も地位も得られるはずだ。名誉だって入手可能だ。

それでも忘れてならないのは、企業にとって人は財産ということ。人への投資こそが価値創出や競争力強化を生み出す。従業員の能力開発に重きを置いた教育、つまり人的資本経営こそがAI時代の勝ち残りにつながる。若手教育が肝心なのはいつの時代も変わらず、角界も産業界も同じだ。

 

プロフィール

イノベーションズアイ編集局
編集局長
松岡 健夫

大分県中津市出身。1982年早稲田大学卒。

同年日本工業新聞社(フジサンケイビジネスアイ、現産経新聞社)入社。自動車や電機、機械といった製造業から金融(銀行、保険、証券)、財務省や国土交通省など官公庁まで幅広く担当。デスク、部長などを経て2011年から産経新聞経済部編集委員として主に中小・ベンチャー企業を幅広く取材。次代の日本経済を担える企業の紹介に注力する。

著書は「ソニー新世紀戦略」(日本実業出版社)、「K字型経済攻略法」(共著・プレジデント社)「コロナに勝つ経営」(共著・産経出版社)など多数。

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