第18回
「目に余るトランプ政権の大学圧迫」「“知の集積地”を破壊する愚行」
イノベーションズアイ編集局 編集アドバイザー 鶴田 東洋彦
目に浮かぶ映画「いちご白書」のラストシーン
1968年に米コロンビア大学で起きた学園闘争を体験した、ジェームス・クーネンのノンフィクションを映画化した作品「いちご白書」は1970年に公開され、カンヌ国際映画祭で審査委員賞を受賞するなど日本でも話題となった。泥沼化する当時のベトナム戦争を背景に、闘争に無関心な学生が活動家の女学生に惹かれていくこの作品は、警察官がデモで座り込む学生達に殴り掛かるストップ・シーンで終わる。公権力による大学弾圧を象徴する場面でもある。
米の名門ハーバード大学に対し、トランプ政権が「外国人研究者や留学生を受け入れるための認可を取り消す」という発表を聞いて、すぐに昔見た映画のこのシーンを思い出した。公権力による“暴挙”としか言いようがない政策である。大学側は直ちに司法に提訴し、連邦地裁は当面の差し止めを認めている。大学側が「政権の行動は違法だ」と即座に声明を出したのは当然だろう。
ただ、さらに深刻なのは政権がターゲットとしているのはハーバード大だけではない事だ。コロンビア大学など他の有力大学に対しても入学の選考や、教育課程、さらには職員の雇用などにも直接、関与しようとして対立している。実際、コロンビア大学では約4億ドル(570億円)の助成金を停止されたことにより、180人の研究者が解雇を余儀なくされている。
ハーバード大も既に90億ドル(約1・3兆円)に上る助成金や契約の見直しを迫られ、助成金を巡っては政権と係争中だが、もし今回の措置がトランプ政権の思惑通り認可されれば、海外からの留学は不可能になり、在校中の外国人学生も転校か国外退去を迫られる。理不尽な弾圧という意味では、ベトナム戦争時に米国から日本にも広がった学園闘争の比ではない。
不可解な圧迫理由、説得力無き反ユダヤ主義教育
名門大学をターゲットに助成金凍結などの措置を打ち出したことについて、トランプ政権は「中東のガザ紛争の停止を求める学生の抗議デモが頻発している背景に、大学の反ユダヤ主義の教育や中国共産党との関係があり、それが学内での暴力を助長させている」と説明している。
だが、学生側の主張はガザ地区で罪もなく殺されている何万人もの市民の流血という事態の阻止であり、それはまたジェームス・クーネンがコロンビア大学で経験したベトナムでの流血阻止のための行動と同類のものだ。そもそもハーバード大は学生数の3分の1近くが留学生で、イスラエルからも含めてユダヤ系留学生も多い。
そのような場で、トランプ政権が主張する「反ユダヤ主義」や「行き過ぎた多様性・公平性・包摂性(DEI)」を学生に教育しているというのは、半ば言いがかりに近い。確かに米国では近年、ユダヤ系住民に対する差別が強まり、ビジネス上の摩擦も増えているとされる。米国社会の根深い病理もうかがえるものの、大学教育が特定の人種差別を促していると考える方が不可解だろう。
透けて見えてきた反民主党政策
そう考えると、政権の狙いはおのずと透けて見えてくる。もともと、トランプ政権の支持層、共和党の一部の人たちにはハーバード大はじめ学費が高額でエリートが集まる名門大学への批判が根強いとされる。しかもこれらの大学は多くの知性が集まるため、発信力が強くリベラル色つまり民主党色が強いことが共通している。
例えば民主党で最も知名度のある35代大統領ジョン・F・ケネディはハーバード、初の黒人大統領となった44代大統領バラク・オバマはコロンビア大学の出身である。そうした状況を踏まえると、民主党の発信力を弱めるための直接的手段として「政権の意に反した大学」に財政基盤から揺さぶりをかけるという今回の政策の狙いがはっきりする。
もちろん、今回の政権の決定が最終的にどうなるかは司法の判断に委ねねばならない。ただ、仮に「学問の自由を脅かす」という理由で、今回のトランプ大統領の思惑が覆ったとしても、これらの大学を委縮させることは間違いない。すでにトランプ政権は複数の大学で、研究予算の削減等を一方的に進めており、コロンビア大学が研究員を解雇せざるを得なくなったような事態は今後も起こりえるのだ。
このトランプ政権の措置について、ハーバード大で研究を続けノーベル化学賞を受賞した野依良治氏は「世界から優秀な人材を引き付けて国力を高めてきた米国と世界の重大な損失」と憤りを隠せない。まさにその通りと思う。極端に言えば、「知の集積地」であった米国が、その地位を投げ出すに等しい行為でもあるからだ。
「いちご白書」の時代、まさにジェームス・クーネンがコロンビア大に入学したその年、1968年3月末に当時の政権を担っていたリンドン・ジョンソンはベトナム戦争に対する国内外の強い反発で大統領選挙に再出馬しないことを表明、政治の舞台から退いた。その引き金となったのが、全米の大学に広がった反戦闘争であり、国民の反対を押し切って、多くの犠牲を払いながらも戦争拡大に走ったジョンソン政権への強い批判である。
日本からも多くの留学生。司法の判断に期待
こうした前例があるにもかかわらず、トランプ政権の国土安全保障省のノーム長官は、トランプ政権のハーバード大学に対する措置の後、今回の措置については「他の大学に対して“きちんと行動しろ”との警告である」とFOXニュースで発言している。世界中から優秀な人材を引き付け、国力を高めてきた米国の指導者層の言葉とは思えないような恫喝的な発言である。
現在、ハーバード大には世界の約140か国から7000人近い研究者・留学生が在学しており、文科省によると日本人も260人が在籍中という。例年、日本からの留学生も200人から300人に上るという。もちろん、ハーバード大以外にも多くの留学生、研究者が日本から米国の大学に留学している。
それを踏まえると、今回のトランプ政権の政策は、日本にとっても深刻な問題である。日本そして世界の知能を守るためにも、この問題は日本政府も真剣にとらえるべきだと思う。そして、何よりも期待したいのは、トランプ政権の圧力に屈しない連邦地裁の、司法の冷静な判断である。
プロフィール
イノベーションズアイ編集局
編集アドバイザー
鶴田 東洋彦
山梨県甲府市出身。1979年3月立教大学卒業。
産経新聞社編集局経済本部長、編集長、取締役西部代表、常務取締役を歴任。サンケイ総合印刷社長、日本工業新聞(フジサンケイビジネスアイ)社長、産経新聞社コンプライアンス・アドバイザーを経て2024年7月よりイノベーションズアイ編集局編集アドバイザー。立教大学、國學院大學などで「メディア論」「企業の危機管理論」などを講義、講演。現在は主に企業を対象に講演活動を行う。ウイーン国際音楽文化協会理事、山梨県観光大使などを務める。趣味はフライ・フィッシング、音楽鑑賞など。
著書は「天然ガス新時代~機関エネルギーへ浮上~」(にっかん書房)「K字型経済攻略法」(共著・プレジデント社)「コロナに勝つ経営」(共著・産経出版社)「記者会見の方法」(FCG総合研究所)など多数。
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