48歳法務奮闘記

第1回

48歳IT技術者、法務の道に入る

間庭 一宏 2021年12月27日
 

世界は法律が制している。この厳然たる事実を知るに至った時、私は48歳であった。それまでの私は長らくIT技術者として口を糊してきたせいもあり、世界を制するのはコンピューターであると真面目に思っていた。


ところが違った。世界は法律により、それこそ蟻の入る隙間もなく雁字搦めに縛られているのである。そして、法律を学びこれを身に付けるということは、国家という権力を味方に付けることである。そう言えば、世の所謂支配者達は例外なく法律をば味方に付けているではないか。げにげに、古今東西、権力とは即ち法律であった。「目には目を」のハムラビ法典、ローマ法、ナポレオン法典、ワイマール憲法。我が国日本に於いては、十七条憲法、大宝律令、御成敗式目、武家諸法度、大日本帝国憲法…挙げれば枚挙にいとまがない。


今でこそそのように確信しているが、ではなぜIT技術の畑を渡り歩いて来た私が、法律に目を向けることになったのか。ここINAP Japanで長らく技術部のメンバーとして多数の顧客案件を手掛けた私が、そろそろ花形のIT現場は若手エンジニアに譲り、CEO直下の事業戦略部に異動してからのことであった。役職柄、CEOとの会話が多くなったのであるが、どうも話が嚙み合わない時がある。


どうやら彼は、私が当然と思うことの多くを当然とは思っていない。私の話の途中で何度も「なぜ?」と疑問を差し挟んでくる。その度に私は思考を止めてその質問に答えようとするが、当然のことの筈なのに理由が答えられない。そうすると、彼は私の当然にはまったく気も止めず、私が聞いたこともないような、信じがたい方策を突きつけてくる。私はそんなことをして本当に大丈夫なのかと怖くて仕方がないのだが、彼にとっては、それこそ、それが当然のようで、眉一つ動かさずあっけらかんとしている。この違いはどこから来るのであるか?どうも、我々は思考のベースとするものが違うようである。


彼は大学も法学部を出ており、米国の法科大学院に留学してニューヨーク州弁護士の資格も持っている。国際的なM&Aでの契約交渉経験も豊富のようである。然り、彼の思考は合理性がベースとなっているのである。一方私はと言うと、大学で外国語学部でなぜか日本文学を読み耽った。森鴎外、芥川龍之介、太宰治、葛西善蔵、三島由紀夫…部屋は彼らの全集で埋まった。学問以外の活動ではバンドを組んで日本のあちこちを経巡り、そしてITエンジニアとしてのキャリアを積んできた。そんな私の思考のベースは芸術性であり、私にとって唯一認められうる合理性が、いつの間にか0か1かのデジタルなものとなっていたのは自然な流れであった。よって、我々2人の思考のベースの違いは2人の出す結論に大きな違いをもたらす。そして、驚くことに、正しいのは常にCEOであった。私には身が震えるほど恐ろしく感じられる方策が、彼にとっては至極当然であり、そして上手く行かぬものはないのである。


このままでは、私はもう前には進めない。この状況を打破するには、私が法律に歩み寄り、自身のマインドセットに修正を加えるしかないのではあるまいか。そう思い立った私は、法律とは何かを自分なりに調査したのである。元来勉強は好きな方であり、CEOの経験談を聞かせてもらいなどしながら次第に法律の世界へと引き込まれていったのである。


法律のことを知るに及び、世の中を制している法律の姿が、権力が、朧気ながら見えてきた。願わくは、私も支配者の仲間入りを果たしたい。…さすがに支配者にはなれぬまでも、せめて支配者のお友達のお友達くらいにはなれるかもしれない。そうしたら、恐妻も少しは私を見直して、待遇を改めてくれるのではないか。つまり毎月のお小遣いをアップしてくれるかもしれない。よし、法律を武器とする、法務担当になろう。かような経緯から、私は48歳にしてその身を翻し、法務担当を目指す決心をしたのである。


さて、我が社に目を移すと、ニューヨーク州弁護士の資格を持つCEOが法務担当を兼ねている。過去に法務担当者はいたが、数年前に辞めてしまいその座は空いて久しい。最近、そのCEOが契約書の文字を読むのに大いに難儀しているようで、ある日「もう、法務は引退したいよ…」と珍しく弱音を吐いたのを、私は聞き逃さなかった!


「法務担当、私がやりましょうか!?」と申し出たら、あっさり「あ、そう?じゃあ頼むよ」と言ってくれた。あら?なんとも簡単に、法務の座を確保できたのであった。


法務の座は確保すれども、はて、何から手を付けるべきか。私は文学部出身で、法律は全くの素人なのである。モンテスキューの「法の精神」だろうか。とりあえず前法務担当者が残していった「六法全書」を繙くことにした。初めて六法全書を手に取ると、重い。1kgはあろうかと思われる。試しに郵便物用の測りにかけたら目盛りがぶっ飛んでしまい、冗談ではなく壊れてしまった。凄まじい破壊力ではある。


支配者は、これを全部覚えているというのか!?よく分からぬが、とにかく読もう。法務の道の一歩をば踏み出さねばならぬ。私は業務の合間に、1ページ目から音読を開始した。なぜ音読かというと、私はこの年にもなって、音読しないことにはどうにも活字が頭に入らぬのである。私は小学生の如く元気に六法全書を読み始めた。


「日本国憲法。朕は、日本国民の総意に基づいて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび…」


ううむ、読んでいてまったく実感が湧いてこない。これは大変な道に足を踏み込んでしまったようだ。社内からは早くも「読経の様で気味が悪い」との非難の声が上がった。しかし朕はめげずに読み進めた。


「第二章。戦争の放棄。第九条、戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認。日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し…」


やっと九条か。ややともすると、意識が遠ざかる…寝てはいかん、と私は一層声を張り上げると、電話口で読経が聞こえてしまうから止めてくれろと社内から苦情が出る。耐え兼ねたCEOがタオルを投げ込んだ。「ちょっと何やってるの、憲法なんかビジネスで使わないよ。まずは民法。そして商法と会社法でしょう!」


えっ、第九条まで読んだのにですかい?やはり六法全書を読み出すのは無謀であったようである。何はともあれ本気で法務を勉強する気概は伝わったようで、まずは勉強の作戦を立てよう、CEOも協力してくれる、ということに相成った。AmazonでCEOお薦めの民法入門を購入した。


次回は少し前進した奮闘の模様をご紹介しよう。


イラスト作者: INAP Japan 技術部長 吉川進滋

 
 

プロフィール

インターナップ・ジャパン株式会社
事業開発担当マネージャー 間庭 一宏

獨協大学外国語学部卒業後、ITインフラエンジニアとして多くの現場を渡り歩く。
2012年7月インターナップ・ジャパン株式会社入社。以後、ネットワークエンジニアとして顧客のインターネット開通を手掛ける。
2021年より同法務担当となる。
インターナップ・ジャパン設立20周年ミュージック・ビデオ、『地獄の淵でRock Us Baby!』ではドラムを演奏。


HP:インターナップ・ジャパン株式会社

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