第4回
“ママカリ”の群れが躍る遣唐使の港
イノベーションズアイ編集局 編集アドバイザー 鶴田 東洋彦
1500年前から続く日本最古の漁港
福岡市の博多と言えば、天神や中洲といった有名な繁華街を抱える大都会である。上海から定期的に大型のクルーズ船も入港、最近はイタリアからの客船も寄港するなど欧州からの観光客も多く、インバウンドに人気の街だ。そんな博多の中心街から離れた西のはずれ西区の宮浦という場所に、唐泊(からどまり)という小さな漁港がある。
天神の喧騒から離れて車で20分ほどの場所だが、糸島半島の北東部にあるこの港は、約1500年も前の奈良時代から続く日本最古の漁港のひとつという。「からどまり」と言う地名の由来も、遣唐使が順風を待って宿泊や停泊をして栄えた場所であったことから、そう呼ばれるようになった。
玄界灘からの北風を避けられる入江になっているこの場所は、透明度も高く実に多種多様な魚が釣れる。防波堤の足元や岩礁廻りではカサゴやメバル、外側ではメジナ、冬場にはカレイと、とても福岡市内とは思えない釣り場である。サビキ釣りで小アジがかなり釣れるという話を聞きこんで、さっそく波止の内側に釣り座を構え、サビキを落とし込んでみる。
子アジの群れを期待しながら待っていると、集まるのはほんの5、6センチのメジナの子供やクサフグばかり。それでも30分ほど待つと、ようやく子アジらしい群れが。「待ってました」とばかりにアミエサを撒いて群れを寄せると、即座に当たりが。針掛かりしたきらきらと輝く魚体を期待一新で上げてみると、獲物は子アジではなくサッパ。木の葉のように平たい、まぎれもなくサッパである。
瞬く間にクーラーボックスがいっぱいに
竿を上げるたびに、このサッパがひらひらと銀色に輝きながら1、2匹づつ上がってくる。サビキにオキアミを3分の1ほど入れて、仕掛けを下ろしただけでも食いは止まらない。そのうち4匹、5匹と鯉のぼりのような状態になって、クーラーボックスは瞬く間にいっぱいに。いつの間にかスズキか鯖の群れでも近づいてきたせいだろうか。あっという間にサッパたちは散ってしまった。

60代だろうか。いかにも釣り好きらしく、日焼けした釣り人が波止の外海側に竿を置いてこちらの様子を見に来て、「これはハダラだね。酢漬けにしたら骨ごと食べれるし、美味いよ」と笑いながら言う。聞くと、熊本の天草から来たらしく、熊本や佐賀ではサッパの事をハダラと呼ぶらしい。魚の方言名というのは本当に分かりにくいのだが、実を言うと本命の子アジが釣れるよりも、このサッパが釣れた方が嬉しかった。
江戸時代の文献にも登場する美味の魚“ママカリ”
何といってもこの魚、瀬戸内に行ったら名前を変える。そう「ママカリ」である。とくに酢漬けにしたママカリ料理は岡山県の郷土料理として有名だ。隣の家から飯(まま)を借りて食べるほど美味しい、という意味で「飯借」という字が充てられ、酢漬け以外でも焼き漬けや丸ずし(姿寿司)にも料理される地元の名産である。
子アジを南蛮漬けにして晩にはビールでも、と考えて出かけた唐泊だが、サッパとなると話が違う。早速、クーラーボックスを抱えてマンションに戻り、酢漬け作りに取り掛かる。とは言っても実は簡単で、鱗と内臓を取り除いて塩を振り、ショウガ、唐辛子と一緒に酢につけるだけ。これで一晩寝かせれば、最高の酒の肴の出来上がりだ。小ぶりなものは、3時間ほど寝かせるだけで十分に酒肴になった。

まだ中学生の頃だろうか。今ではその面影すらなくなったが、千葉の浦安や行徳あたりは当時、ハゼ釣りの本場で、チョイ投げすると、必ず外道として掛かってきたのがこのサッパだった。そのころは皆、雑魚の代表くらいにしか思わず捨てていたが、今思うと、何と勿体なかったことか。
この酢漬けの美味しさについては、江戸時代中期の記録文献である「岩藤林弥茶」の文化14年(1817年)の記述の中に、引き肴(膳に添えて出す酒の肴)として「ままかり酢漬け」と記されており、200年以上も前から粋人にその美味が知られていたことがわかる。
江戸末期の文学者、成島柳北(なるしまりゅうぼく)も、著作「航微日記」の中で「漁師が隣の船から飯を借りてくるほど美味しい魚だ」と記している。雑魚と片付けてしまうような魚ではなかったわけだ。
今なお残る港湾都市の原形

ということで歴史も深く、釣れる魚も美味しいこの唐泊だが、奈良時代から続く港だけに栄西禅師が開いたと伝わる東林寺をはじめ名勝や文化遺産も多い。そして何よりも貴重なのは、日本の港湾都市の原形が今なお残る貴重な場所ということだ。九州大学に問い合わせてみると「港から浜をつなぐ道を中心に居住区、田畑、水源(川)が繋がっている港の形は奈良時代から変わっていません。港湾都市を研究する上で非常に貴重な場所です」という返事が返ってきた。
玄界灘の荒波、厳しい北風を避けられる海の要衝だったこの港の高台からは、博多湾を往来する船や、井上陽水の歌で有名になった能古島をはじめいくつかの島々が見渡せる。そして、山裾に広がる町並みをみると、はるか奈良の時代に遠く海を渡ってやっと唐の国から訪れた人、そしてこれから決死の覚悟をもって唐に向かう人たちの姿が目に浮かぶ。そんな古(いにしえ)の空気を感じさせるような港を見下ろしてみると、釣り人達が出す竿が防波堤に並んでいた。
プロフィール

イノベーションズアイ編集局
編集アドバイザー
鶴田 東洋彦
山梨県甲府市出身。1979年3月立教大学卒業。
産経新聞社編集局経済本部長、編集長、取締役西部代表、常務取締役を歴任。サンケイ総合印刷社長、日本工業新聞(フジサンケイビジネスアイ)社長、産経新聞社コンプライアンス・アドバイザーを経て2024年7月よりイノベーションズアイ編集局編集アドバイザー。立教大学、國學院大學などで「メディア論」「企業の危機管理論」などを講義、講演。現在は主に企業を対象に講演活動を行う。ウイーン国際音楽文化協会理事、山梨県観光大使などを務める。趣味はフライ・フィッシング、音楽鑑賞など。
著書は「天然ガス新時代~機関エネルギーへ浮上~」(にっかん書房)「K字型経済攻略法」(共著・プレジデント社)「コロナに勝つ経営」(共著・産経出版社)「記者会見の方法」(FCG総合研究所)など多数。
- 第4回 “ママカリ”の群れが躍る遣唐使の港
- 第3回 秋の若狭でチャリコと遊ぶ
- 第2回 ギンポを味わいながら秀吉の野望を思う
- 第1回 那覇港で熱帯魚を釣って食べる