京都を中心に画商として活躍するアークコーポレーションの山中満子さん。「はんなり」という言葉がぴったりな語り口からはうかがいにくいが、海外を含めて豊富な人脈を持つやり手経営者だ。そうした人脈を駆使し、国内外の魅力的な作品を発掘する一方、民間外交官として日本のアートを海外に紹介している。
一枚の絵に一目ぼれ
画商としての人生は、一枚の絵との出合いから始まった。
25年ほど前のあるとき、当時交際中だった夫が海外出張のお土産に一枚の絵を買ってきてくれた。熱帯の自然や動物を生き生きとカラフルに描いたその作品を見て、文字通り一目ぼれした。当時はほとんど知られていなかった豪州の女流画家、ジョアン・フックさんの作品だった。
「良いものに巡り合ったら教えずにはいられない性分」。感動を“おすそ分け”しようと周囲に紹介して回り、気に入った友人たちのためにまとめ買いするほど入れ込んだ。 大量購入する熱心なファンの存在は、やがてフックさんの耳に入った。来日時に面識を得ると、直々に頼まれ、日本での代理店を務めることになった。
会社設立は1992年。バブルが崩壊し、景気が悪化するなか、「閉鎖的なこの世界でやっていけるのだろうか」と不安が募った。しかも、そのとき妊娠7カ月だった。だがあえて、「自分流で、わがままに」というモットーを貫いたことが奏功した。「人に恵まれ、友人や顧客がどんどん魅力的なアーティストを紹介してくれた」
東京、大阪にサロン
8年前には、二条城に近い京都市上京区にギャラリーカフェ「ランデヴーギャラリー&カフェ」をオープンした。90年前に建てられた町家を、和モダン風に改装。落ち着いた雰囲気の中で、お茶を飲みながら作品を鑑賞できると評判だ。もともとこの町家の家主で、店子(たなこ)がいなくなった際に「芸術家との出会いを提供したい」と考え、思い切って飲食業にも進出することにしたのだという。
現在は、芸術に関するイベントも企画するほか、東京と大阪では予約制のアートサロンを運営。海外にも進出し、2012年にパリ、昨年9月にはロサンゼルスにオフィスを構えた。その一方、社団法人「アジャッパ」を運営し、日本のアートを海外に紹介する仕事にも携わる。 もともと絵が好きだったとはいえ、画商になる気はさらさらなかった。仕事しながら3人の子供を育てるのも大変だった。しかし、やめようと思ったことは一度もない。仕事で出会ったさまざまな「人」という財産を得られたからだ。むしろ今は、画商を天職と思えるようになっている。(井田通人)
≪Q&A≫「周りを幸せに」が生きがい
--経営状況は
「もうかって仕方ないとはいかないが、何とか黒字を続けている。過度に投資しないようにしてきたのでその分、事業リスクも少ない」
--絵画との縁は
「大学で服飾デザインを専攻し、自分でスタイル画を描いていた。ほかにも週に1度ぐらいは美術館に通っていた。ただ、まさか画商になるとは夢にも思わなかった」
--画商は難しいビジネスという印象がある
「どうやって絵を売るんだろうというところから出発した。ちょうどそのころ、ある大手百貨店が開催した豪州フェアに誘われて参加し、作品の売れ行きが好評だったことで上昇気流に乗れた。正直言って、運だけで仕事をしているところがある」
--子育てとの両立も大変だったのでは
「実は、会社を設立したのが最初の子供を身ごもって7カ月目だった。出産当日も仕事をしていて、客に見送られて病院に向かった。出産後も打ち合わせしやすいよう、会社近くに入院した。出産後1カ月は(会社関連の)書類を見るなといわれていたが、裏ではこっそり見ていた。ただ、それは仕事がおもしろかったからだ」
--成功の要因は
「『ゆるい』感じで経営していたのがかえってよかったのかもしれない。苦労もしたとは思うが、鈍感なのであまり気にならなかった。素晴らしい作品を見て感動したり、顧客が(好きな絵を手に入れて)喜ぶ顔をみたりするのを生きがいにしてきた。(事業の成功は)周りを幸せにしたいと思ってきた結果だと思う。自分の姿を見て、高校1年生の娘が自発的に継いでくれるといってくれているのがうれしい」
【プロフィル】山中満子 やまなか・みつこ 京都芸術短大(現京都造形芸術大)卒。1992年アークコーポレーション設立。54歳。京都府出身。 【会社概要】アークコーポレーション ▽本社=京都市上京区下立売通智恵光院西入ル中務町486 ▽設立=1992年4月 ▽資本金=1000万円 ▽従業員=5人 ▽事業内容=絵画卸売り、ギャラリーカフェ運営など
「フジサンケイビジネスアイ」