「マネされる会社」を目指す 兄弟の“磨き切る”経営
株式会社ネオレックス 代表取締役社長 駒井拓央氏
株式会社ネオレックス 代表取締役CEO 駒井研司氏

変化の激しい時代に、新たな価値を創り出し、未来を切り拓こうと挑む人たちがいます。
既存の枠を越え、変革を起こす意志と行動力を持つ“イノベーター”たち。
「イノベーターの視点」は、イノベーションズアイ代表・加藤俊之が、その発想の原点や挑戦の背景、そして変革を支える戦略や思想に迫る対談シリーズです。
共に打ち込んだラグビーを通じて、「一人では勝てない」という感覚を学んだ。社会人として外の世界を経験した後、父が創業したネオレックスへ合流。入社した2000年当時の経営は厳しかったが、「マネされる会社になる」ことを目指し、勤怠管理システム「キンタイミライ」を主力事業に育てていった。
父(会長)からは「仕事を楽しむ姿勢」を、母(マネージャー)からは「人を大切にする価値観」を受け継ぎ、独自開発へのこだわりとメンバーの幸せを追求する経営を貫く。
仲の良い兄弟が出会ったラグビー
――お二人はどんな子どもでしたか。
拓央社長(兄)
私はおしゃべりで、目立ちたがり屋でした。じっとしているのが苦手で、通知表には「落ち着きがない」とよく書かれていました。今振り返ると、ずいぶん動き回る子どもだったと思います。
研司CEO(弟)私も元気で、よくしゃべって、目立ちたがり屋だったと思います。どんなことでも「もっとできるようになりたい」という気持ちは、子どもの頃から強かったですね。
――兄弟仲はどうでしたか。
研司CEO仲は良かったですね。ただ、上下関係はかなりはっきりしていました。私にとって兄は、単に3歳上の存在というより、もっと大きな存在でした。小さい頃は、親に近い感覚だったと思います。よく面倒も見てもらいました。
兄が中学生になると、映画にも連れて行ってくれました。私が音楽好きになったのも、兄の影響が大きいですね。
拓央社長父が私に「研司のことは任せたぞ」と話していたこともあり、確かに当時の私は、弟にかなり偉そうだったと思います(笑)。弟に「あれを取ってこい」と言って、親に怒られたこともありました。
でも、弟が誰かに何かされたときには放っておけませんでした。上級生のところへ怒鳴り込みに行ったような記憶もあります。そう考えると、弟の面倒を見る役割が、自然と身についていたのかもしれません。
――共通して打ち込んだものはありましたか。
拓央社長ラグビーですね。子どもの頃に所属していた海洋少年団で、年上の団員たちがハンドボールをしている姿を見て興味を持ったのがきっかけでした。もっと知りたいと思って図書室へ行き、そこで借りたのがハンドボールとラグビーが一冊にまとめられた本でした。それを通じて初めてラグビーという競技に触れ、強く惹かれるようになりました。
その後、中学へ進学すると、たまたまラグビー部があり、さらに顧問の先生にも魅力を感じたことで、本格的にラグビーを始めました。大学まで続けたので、学生時代の中心にあった競技ですね。
研司CEO最初は、兄がラグビーをしている姿を見て、「怖そうだし、自分には向いていない」と感じていました。そのため、あえて別の競技を選ぼうと思い、中学ではバスケットボール部に入りました。
ただ、思うように打ち込めないもどかしさもあって、「本気で取り組めるものをやりたい」という気持ちが次第に強くなっていきました。そうした中で改めてラグビーへの関心が高まり、中学1年の夏頃にラグビー部へ転部しました。
――ラグビーはどのような競技でしたか。
拓央社長私にとってラグビーは、やればやるほど上達する実感があり、自分に向いていると感じられる競技でした。何より純粋に楽しかったですね。
ラグビーを通じて強く感じたのは、「一人では勝てない」ということです。ポジションごとに役割が異なり、誰か一人が目立てばいいわけではない。全体として機能することが重要です。
それは経営に通じると思っています。全員が同じ役割を担うのではなく、それぞれが異なる役割を果たしながら、一つの方向を目指していく。その感覚は、ラグビーから学んだ部分が大きいですね。
研司CEOもちろん競技そのものの魅力もありますが、私にとっては「仲間」の存在が大きかったですね。ラグビーは仲間意識の強いスポーツなので、競技が好きというより、ラグビー部という集団、そこで一緒に過ごす仲間が好きでした。
それは今の経営にも通じています。意思決定では、自分が前に出る場面もあれば、支える側に回る場面もある。ラグビーで学んだチームのために自分の役割を果たすという考え方は、兄弟経営にも自然につながっていると思います。
「磨き切る」という経営判断
――大学卒業後の進路は。
拓央社長大学では理系の学部に在籍していましたが卒業後は、富士ゼロックス(現・富士フイルムビジネスイノベーション)に営業職として入社しました。
モノづくりの会社で、その価値をどう届けるのかを学びたいと思ったんです。ベンチャー経営をしていた父の姿を見て育ったこともあり、「良いものを作るだけでは売れない」という現実を身近に感じていました。だからこそ、自社で作ったものを自社で売っている会社で営業の力をきちんと身につけたいと考えました。
研司CEO私はコンサルティング会社に入りました。大学時代は、音楽活動や海外経験などかなり自由に過ごしていたのですが、アメリカ滞在中に参加した日本人留学生向けの就職イベントが、大きな転機になりました。
会場でいくつかの企業を見て回り、帰ろうとしていた出口付近で、外資系コンサルティング会社から声をかけていただいたんです。帰国後に東京オフィスを訪れ、窓から東京タワーが見られることを知って、入社を決めました。
――父親が経営するネオレックスに入社したきっかけは。
拓央社長富士ゼロックス時代の同僚を父に紹介したことでした。すると、その同僚が父と意気投合して、ネオレックスに入社することになったんです。
私はもともと父の会社に入るつもりはありませんでした。ただ、同僚が入る流れの中で、自分自身もネオレックスに入ることになりました。強く決意していたというより、本当に自然な流れだったという感覚ですね。
研司CEO
私は父と兄に誘われたのがきっかけです。
当時、兄はネオレックスも参加するジョイントベンチャーの立ち上げに関わっていて、その流れからの誘いだったと思います。面白そう、関わってみたい、と思い、また自分が外で経験してきたことを生かせるかもしれないという思いもあり、ネオレックスに入ることを決めました。
――事業は順調でしたか。
拓央社長当時(2000年頃)は、父が開発したマイクロバーコード(世界9ヶ国で特許を取得)を利用した新規事業を立ち上げようとしていました。ジョイントベンチャーに出資もしてくれた大前研一さんは、「世界初・日本発のマイクロバーコード」と絶賛し、応援してくれていました
ただ、事業としては非常に厳しい状況で、借入はみるみる増えていきました。
そんなある日、弟と食事に向かう途中で、「なぜ自分たちはこんなに苦労しているんだろう。メンバーは優秀、経営者も真面目で情熱もある。街で普通のラーメン屋さんを始めても繁盛店にできそうなのに・・・」と話をしました。そこで、「誰もやったことがない世界初」を追いかけるのをいったん止めて、「誰にでもできることを誰にもできないくらい徹底的に磨き上げて、事業の柱を作ろう」と、方向転換を決めました。
研司CEOそこから、当時取り組んでいた飲食チェーンストア向けという業界特化の事業ではなく、業務特化へと視点を切り替えました。そして開発したのが「キンタイミライ」の前身となるシステムです。
当時はまだ現在の形ではありませんでしたが、大阪の芸能事務所さんや、名古屋のお寿司チェーンさんなどにも導入していただきました。その後、西武グループさんに採用いただいたことが、大きな転機になりました。
「本当に価値のあるものを磨き切れば(顧客に)届く」という実感を持てました。
経営の価値観
――父親からどんな影響を受けましたか。
拓央社長
父は、仕事で面白かったことや、うれしかったことを自然と家の中に持ち込む人でした。特許を取得すると証書を家に飾りますし、仕事の話も本当に楽しそうにするんです。
そういう姿を見て育ったので、私にとって仕事は「我慢してやるもの」ではなく、「夢中になれる面白いもの」という感覚がごく自然に根づいていました。子どもの頃の将来の夢は、「仕事で徹夜すること」だったくらいです(笑)。
研司CEO学生時代、父とともにアメリカを訪れた際の出来事が、今でも強く印象に残っています。
現地で著名な方と面会する予定だったのですが、先方の都合で、急きょ面会時間が5分しか取れなくなってしまいました。
相手は非常に多忙な方で、改めて時間を確保するのも難しい状況でした。そんな中、父はその場で「では明朝、(外出先まで)お送りしましょうか」と提案し、自ら次の接点を作り出したのです。結果として、車で移動する約1時間を共に過ごすことができました。
諦めず、その場で考え、すぐに行動へ移す。そうした父の姿勢から、私は「諦めない、案を考える、即座に行動する。そうやって結果を出す」ということを学びました。
――母親から受けた影響は。
拓央社長母は、家族や周囲の人たちとの関係を自然とうまくつなぐ存在でした。家族の中でも最も影響力のある存在だと思います。
言葉遣いにも厳しく、子どもの頃に弟を連れて友人の家へ遊びに行くと、弟が友達に敬語で話していて驚かれることもありました。
研司CEO
ネオレックスが掲げる「人を大切にする経営」は、何か特別な出来事をきっかけに後から生まれたものではありません。私たちの中にもともと自然に根づいていた価値観です。
母は、「関わりを持った人はみんな、幸せでいてほしい」という人です。父もその考えに深く共感しており、母から受けたその価値観が、今の経営の土台になっています。
――最後に、一番大切にしていることは何ですか。
拓央社長「マネされる会社になりたい」と考えています。
会社の規模を大きくすることを目指すより、今の規模でも本当に良い経営ができれば、それを参考にしてくれる会社が現れると思うんです。日本には、私たちと同じくらいの規模の企業が数多くあります。そうした会社に少しでも良い影響を届けることができれば、世の中を少しずつ良くしていけるのではないかと思っています。
研司CEO私にとっての軸は、「ネオレックスはメンバーの幸せのためにある会社だ」ということです。
究極、お客様にどれだけ喜んでいただいても、働くメンバーが幸せでなければ、会社として存在する意味はないと思っています。
そのメンバーには経営陣も含まれます。誰かだけが無理をするのではなく、全員を一つのチームとして捉える。その考え方が、経営判断のバランスを取るうえで大切だと思っています。

株式会社ネオレックス 代表取締役社長 駒井拓央
1971年生まれ。1994年、東京学芸大学教育情報科学科卒業後、富士ゼロックス株式会社に入社。1996年に株式会社ネオレックスへ入社し、2000年には大前研一氏、凸版印刷株式会社、ネオレックスの支援を受け、株式会社ネオセルラーを設立、代表取締役に就任。2003年、ネオレックスとネオセルラーの合併に伴い、存続会社であるネオレックスの取締役社長に就任。2020年より同社代表取締役社長を務める。社外では、2012年に特定非営利活動法人ASP・SaaS・クラウド コンソーシアム(現・一般社団法人日本クラウド産業協会、通称ASPIC)の理事に就任。中学から社会人まで続けたラグビーと、子どものころから父に連れられて親しんだヨットが現在の趣味。
株式会社ネオレックス 代表取締役CEO 駒井研司
1974年生まれ、名古屋市出身。信州大学人文学部卒業。
1996年に大学を休学、渡米。University of San Franciscoに通いつつ、原丈人氏のもとNPO法人Alliance Forumにて1年間インターン。
1998年プライスウォーターハウス コンサルタント(PwC)入社。2001年よりネオレックス。2010年副社長、2015年より現職。
イノベーションズアイ株式会社 代表取締役 加藤俊之
1968年生まれ・茨城県出身。大学卒業後、証券会社、IT企業、物流企業、政府系プロジェクトを経て、2006年にイノベーションズアイ株式会社(現在)を設立し代表取締役に就任。グローバルベンチャー、ローカルベンチャー、大学発ベンチャー、日本のものづくりを卓越した技能で支える中小企業など、多様なイノベーターと向き合ってきた。「未来を創る企業を増やす」を使命に、「発掘×発信×発展」を事業コンセプトとしたビジネスプラットフォームの創造に取り組んでいる。