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東日本大震災から6年――復興への思い新たに顧客満足を創造し続ける

死者1万9533人、行方不明者2585人、負傷者6230人(2017年3月1日現在)という未曾有の大災害となった東日本大震災から6年が過ぎた。

福島県いわき市にある、システムキッチン大手クリナップの主力工場も被災し、ほぼ1カ月にわたって操業停止を余儀なくされた。システムキッチンやシステムバスルーム等の主力製品の受注・生産が可能になったのは同年5月末のことだった。

当時、生産本部長として工場の復旧の陣頭指揮を執ったのが、今年1月に就任した佐藤茂社長執行役員である。佐藤社長のコメントを交えて震災当時を振り返り、クリナップが歩んできた6年間の道のりと、同社が目指すものづくりについてまとめた。

福島県いわき市の主力工場が操業を停止

2011年3月11日に発生した東日本大震災で、死者466名、建物被害合計9万1180棟に加え、福島第一原子力発電所の事故による風評被害等、大きな被害を受けた福島県いわき市。

東日本大震災から約2カ月後の小名浜港(福島県いわき市)。クリナップの主力生産拠点であるいわき事業所も被災した。

東日本大震災から約2カ月後の小名浜港(福島県いわき市)。クリナップの主力生産拠点であるいわき事業所も被災した。

東日本大震災から約2カ月後の小名浜港(福島県いわき市)。クリナップの主力生産拠点であるいわき事業所も被災した。

システムキッチン大手のクリナップ(本社・東京都荒川区)が同市内に置く、いわき事業所も大きな被害を受けた。同事業所は同社の主力生産拠点で、市内に湯本工場、鹿島システム工場、鹿島工場、四倉工場などの8工場がある。

震災を通じて「クリナップという会社は、自分たちの力だけで存続しているのではなく、社会に生かされているということを強く意識した」と語るクリナップの佐藤茂社長 震災を通じて「クリナップという会社は、
自分たちの力だけで
存続しているのではなく、
社会に生かされているということを
強く意識した」
と語るクリナップの佐藤茂社長

「設備の転倒や大型プレス機のずれ、クレーンの不具合といった地震の直接的な被害もありましたが、福島第一原発の事故の影響が大きかったですね」と、2017年1月に就任した佐藤茂社長執行役員は語る。

震災当時、取締役生産本部長を務めていた佐藤社長は、震災2日後の2011年3月13日朝に現地入りし、いわき事業所の復旧の陣頭指揮を執った。

当初、首都圏などから送られた物資がいわき市の近隣に届いても、放射能汚染を心配し、市内になかなか入ってこないため、市内の復旧はなかなか進まなかった。原発事故についての正確な情報もない中、佐藤社長はやむなく、社員たちには自宅待機や避難をするように指示し、工場に残った部門長クラスと一緒に、本社や設備業者と連絡を取り合った。

「原発事故が落ち着き始めた頃を見計らい、社員たちに携帯メールで指示を送り、3月28日から出社してもらいました。社員たちの顔をみたときに『なんとかなる』と思いました」と佐藤社長。

懸命の復旧活動の中で製品を出荷

震災翌日の2011年3月12日に、いわき事業所で行われた危機管理対策会議の模様 震災翌日の2011年3月12日に、
いわき事業所で行われた
危機管理対策会議の模様

社員たちが工場に出社するようになってから、復旧活動が本格化した。

ところが市内ではスーパーもコンビニも、ガソリンスタンドも開いていない。

そこでクリナップでは全国の拠点から送られてきた支援物資を鹿島システム工場に集め、いわき地区の社員に配布した。最低限の食料や飲み水はなんとか確保できたが、工業用水が止まっていたため、設備を稼働することができず、復旧作業は困難を極めた。こうしたなか「すでに受けていた注文をお断りし、受注データベースを真っさらにするところから始めました」と佐藤社長は当時を振り返る。

製造現場では、地震で破損した機械や設備、建屋の修理に加え、強い揺れで転倒したり傾きが生じた機械の再据付や調整作業が続いた。

こうした中で生産設備が順次、規定の精度・品質をクリヤできるところまで復旧したことを確認しながら、まずは震災1カ月後の4月11日に洗面化粧台の受注を再開。資材を調達して組み立てを行い、四倉工場から製品が出荷されたのが同18日のことである。

震災後に初めていわき事業所から出荷された洗面化粧台は、静岡県に向けて旅立っていった。

震災発生から約1カ月後の4月18日に、いわき事業所(四倉工場)から初めて出荷された洗面化粧台 震災発生から約1カ月後の4月18日に、
いわき事業所(四倉工場)から
初めて出荷された洗面化粧台

その日、四倉工場の「MK5号ライン」という洗面化粧台の専門ラインで製品が完成した際、現場の社員たちが集まり1枚の写真を撮った。

「メーカーが注文を受けてモノを作り、お客様にお届けできることの素晴らしさを、この1枚の写真に感じました。モノを作ることができる喜びが非常によく体現されている写真です」と佐藤社長はいう。

写真は、本社と各拠点にも送られ、復旧に向けた現場の思いを余すところなく全国のクリナップ社員に伝えた。

震災の2カ月半後に「新クリンレディ」を発売

この洗面化粧台を皮切りに、クリナップは4月11日から一部製品から段階的に受注を再開したが、復旧作業がけっして平穏無事に進んだわけではない。

同年5月上旬に、いわき商工会議所の担当者に市内製造業の復旧状況を聞く機会があったが、「4月11、12日に起きた震度6弱の余震の影響で、施設の復旧を中断せざるを得なくなったところも数多くありました。約1万5000を数える市内事業所のうち、やっと半数が営業や操業を再開した状態です」ということだった。

同社でようやくシステムキッチンやシステムバスルームなどの主要製品の受注・生産が可能になったのは、5月末のことである。

そうしたなかで、同社は6月1日に、主力のシステムキッチン「クリンレディ」のフルモデルチェンジを行った。

じつは「新クリンレディ」の生産ラインは震災前にぼ完成しており、量産に向けた調整が行われていた。本来は同年5月の連休明けに発売を予定していたが、幸いなことに、生産ラインが震災でほとんど被害を受けていなかったので、約1カ月遅れで受注・生産を開始できたのだ。

「従来は木製だったキャビネットをオールステンレスにグレードアップしたのですが、井上強一会長の英断で販売価格を据え置いたこともあり、受注額がモデルチェンジ前の2~3割増しで推移しました。お客様にとっては、かなりお買い得になっていると思いますね」と佐藤社長はいう。

震災からわずか2カ月半後の2011年6月1日にフルモデルチェンジした、同社の主力システムキッチン「クリンレディ」 震災からわずか2カ月半後の
2011年6月1日に
フルモデルチェンジした、
同社の主力システムキッチン
「クリンレディ」

「新クリンレディ」は、クロムやニッケルなどのレアメタルを大幅に削減した新開発のステンレス素材を採用し、清潔・長寿命・エコを実現したシステムキッチンとして話題となり、All about(オールアバウト)主催の「キッチンオブザイヤー2011」で「グランプリ・大賞」に輝いたほか、「第4回ものづくり日本大賞」(2012年)で内閣総理大臣賞を受賞した。

同社は最近、顧客もまだ気付いていない不満を指す「非満」の解消をテーマにした商品開発に取り組んでおり、「クリンレディ」も進化を続けている。2015年5月からは、蛇口から出る水の力だけでシンクのゴミや油汚れを集めて排水口まで流す「流レールシンク」が標準搭載され、大きな話題を呼んだ。

震災を通じて変わったもの、変わらないもの

「新クリンレディ」が発売された2011年6月1日、クリナップは「キッチンから笑顔を作ろう」というブランド宣言を行っている。東日本大震災を通じて、「家族が家族として笑顔あふれる生活を共に送ること、当たり前のことですが、これこそが幸せの原点であると再認識」(クリナップ第59期 第2四半期報告書)したことが背景にある。

同社は家族主義的な社風を大切にしている会社で、創業者の井上登名誉会長(故人)は「一家一族」という創業の精神を唱え、創業60周年を迎えた2009年10月に、同社は「家族の笑顔を創ります」を企業理念に定めた。

最近では「一家一族」や「家族の笑顔を創ります」という考え方をさらに拡張し、クリナップ社員だけでなく株主や取引先、顧客、地域住民に至るまで、同社製品に関わる人をすべて家族と捉え、皆に笑顔になってもらうことを企業活動の基盤にしているという。

全国の拠点から届いた支援物資を鹿島システム工場に集めていわき地区の社員に配布し、懸命の復旧活動が続けられた 全国の拠点から届いた支援物資を
鹿島システム工場に集めていわき地区の社員に配布し、
懸命の復旧活動が続けられた

震災を機に何が変わったかを尋ねたところ、
「井上会長が震災当時から強調している通り、『クリナップという会社は、自分たちの力だけで存続しているのではなく、社会に生かされている』ということを強く意識しました」
と佐藤社長は答えた。

いわき市は同社の主力生産拠点であるだけでなく、創業者の井上名誉会長の出身地でもあり、同社にとってゆかりが深い場所だ。いわき市で毎年2月に開催されている『いわきサンシャインマラソン』への協賛や、地域社会の発展に寄与できる人材の育成を目指す『クリナップ財団』(2012年12月に設立)の活動などを通じて、同社は福島県内における被災地の復興支援を続けている。

「『震災で苦労した』とか『大変だった』といっても何にもなりません。それよりも、当社が今からお客様や社会にどう向き合っていくのかということを大切にしていく必要がある。お客様が使って満足し、感謝していただけるような製品を作り続ける一方、お客様に私たちの声と情報を届け、コミュニケーションを活発化させる取り組みを、全社を挙げて強化していきます」と佐藤社長は、同社のさらなる発展への意欲をにじませた。

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