何があっても前に進むだけ ~日本人初の女子レスリング76kg級金メダルへの挑戦~

「オリンピックの開催が待ち遠しい」――。
7月23日の東京オリンピック開催まであと約1カ月となる中、女子レスリング最重量級の76kg級で日本人初の金メダルを目指すクリナップ所属の皆川博恵選手はいう。前回の2016年リオ五輪は怪我で代表入りを果たせず、一時は引退も決意した。念願だったオリンピック出場に向けて、思いを語る。

 

本番を前にベストの仕上がり

クリナップ レスリング部 皆川博恵選手

クリナップ レスリング部 皆川博恵選手

午前中は、JOC(日本オリンピック委員会)加盟競技団体に所属している選手専用の訓練施設、「味の素ナショナルトレーニングセンター」(東京都北区)で、ウェイトトレーニングやバイクトレーニングに汗を流す。

午後は自宅のある千葉県松戸市内の体育館や自由が丘学園高校(東京都目黒区)レスリング部などで実践練習を重ねる。

「オリンピックの舞台に立つのは初めてなので、試合のことを考えると緊張もしますが、今は本番に向けて、ベストの調整をしていくことだけを考えています」と、住設機器メーカー大手・クリナップのレスリング部に所属するレスリング女子76kg級日本代表の皆川博恵選手が語る。

本番を目の前に仕上がりは上々で、むしろ練習のしすぎによる疲れを体に残さないよう、ペース配分に注意している。

「実践練習でスパーリングをしているときも自分から積極的にポイントを取りに行くことができています。6分の試合時間のあいだに攻め続けるスタミナもできました」と自信を見せる。

心肺機能を高めるために行っているバイクトレーニングの中でも、6分間の試合の場面を想定し、15秒思い切りバイクをこいだあとに15秒のインターバルを置き、また15秒全力でこぐ動作を繰り返す。「ここぞ」というときに思い切って力を出し、着実にポイントを取りに行くという、メリハリのある試合運びを意識してのことだ。

もともと接近戦が得意で、相手に触れながら体勢を崩し、脚を取りに行く従来のレスリングスタイルに、瞬発力を活かした素早い動きも加わり、戦い方の幅がさらに広がった。

自らも高校・大学時代にレスリング選手として活躍し、国体への出場経験も持つ夫の拓也さんも、「先日、たまたま練習を一緒にしてきましたが、仕上がりとしては十分だと思います。半年前や1年前のスパーリングの進め方を見ても、もともと得意だった組み手に、さらに磨きがかかり、相手を崩したところからタックルに入るタイミングなども向上しています。ここから、試合に向けてピークを合わせていく練習に入っていくと思います」という。

UWW(世界レスリング連盟)の2020年1月付けランキングでは、女子最重量級の76kg級で世界第2位。

「もちろん金メダルを目指して練習しています。今まで日本で(女子76kg級で)金メダルを獲った人はいないので、この階級でも(日本人が)活躍できるんだというところを見せたいですね。でも最も大事なのは、自分がやってきたことをすべて出し切ることで、今までで一番良いレスリングができればいいと思っています」

 

ケガも克服し五輪の舞台へ

幼い頃から、レスリングとともに歩んだ人生だった。

レスリング選手だった父の鈴木秀和さんは、体育教師として赴任した京都府の宇治高校(現・立命館宇治高校)でレスリング部を創設したほか、地域の子供たちにレスリングを教えるためにレスリング道場「宇治教室」を設立。皆川選手もそこで、兄の崇之(たかゆき)さんとともに練習するようになった。

「父から練習を強要されたこともなく、小さな頃にものすごく厳しい練習をした覚えもありません」と皆川選手。のびのびと、レスリングを楽しむ教育方針のもとで実力を身につけ、中学選手権、高校選手権を制し、立命館大学時代は日本学生選手権で2連覇も果たした。

2011年に大学を卒業してクリナップに入社し、同社レスリング部に所属。世界選手権等への出場を重ね、オリンピック日本代表を目指すが、2015年に左膝靱帯断裂という全治8カ月のケガを負い、2016年のブラジル・リオデジャネイロ五輪への挑戦を断念することを余儀なくされた。

ところが、ここで思いがけない奇跡が起きる――。

この試合を最後に引退するつもりで臨んだ2017年8月にパリで開催された世界選手権で銅メダルを獲得。これまで、どうしても手が届かなかった世界選手権のメダルを手にしたのだ。

「勝っても負けても、どちらでもいいかな、というぐらいの気持ちで試合に臨みました。あまり自分自身を追い詰めていなかったので力が出せたのでしょう。『負けたくない』という気持ちが、以前は強すぎました」と皆川選手は言う。

パリ世界選手権での成功体験をきっかけに、皆川選手はまたオリンピックに挑戦し始めた。

2019年9月の世界選手権で銀メダルを獲得し、五輪出場内定を勝ち取った

2019年9月の世界選手権で銀メダルを獲得し、五輪出場内定を勝ち取った

「引退しようと思い、そこから考え直して復帰するにあたり、気持ちが吹っ切れました。以前は『負けたらどうしよう』と考えることが多かったのですが、『もう一度やろう』と決めてからは、マイナス思考はほとんどなくなりました」

そして、2019年9月にカザフスタン・ヌルスルタンで開催された世界選手権で第2位に輝き、皆川選手は東京オリンピックの代表選手の内定を勝ち取った。

 

五輪延期も「また1年レスリングを楽しめる」と前向きに

ところが、東京オリンピックでの金メダル獲得に向けて新たなスタートを切った矢先、新型コロナウィルス感染症の世界的な流行に見舞われた。

それにともない、昨年7月に開催されるはずだった東京オリンピックが今年7月に延期されたのだ。その頃、皆川選手はあるインタビューで、「また1年オリンピックを楽しむ時間が増えた」と、前向きな気持ちで頑張っていきたいと答えている。

念願だったオリンピックの延期というショッキングな出来事にもかかわらず、「レスリングをもう1年楽しむ」という発想ができたのはなぜなのか。

「アスリートはたぶん自分を追い込んだ練習をするのが好きな人が多いと思います。私もオリンピックの延期が決まる前には、そういう練習ができていました。それだけに、延期が決まった昨年3月頃には『あと4カ月もすればオリンピックが終わってしまうのか』という寂しい気持ちもあったのです」と皆川選手は振り返る。

感染者数が急増し始めていたその頃には、すでにオリンピック延期の可能性も取り沙汰されていた。実際にオリンピックが延期されたのはショックだったが、「これでまた1年レスリングができるようになる」と思ったことも事実。皆川選手は1年後に延期された本番に向けて、気持ちを前向きに切り替えた。

オリンピック延期を機に、その頃悪化していた右膝も手術した。痛みがひどく、歩くことすらできない日もあった。テーピングを施して本番に臨むことも覚悟していたが、オリンピックが延期されたことで、右膝を手術し静養する時間が取れた。

「それが良い休憩になり、膝の痛みを気にせず、また練習できるようになりました。1年レスリングを楽しめたと思います」と、皆川選手は話す。

 

「家族の力」でますます強くなる

振り返れば、家族の支えがあってこそ実現した夢だった。

日本代表への内定を決めた2019年の世界選手権までは、父の秀和さんも京都から駆けつけ、練習の指導をしていたが、コロナ禍で移動が難しくなり、約2年間、顔を会わせていない。

現在は、男子74kg級で世界選手権9位にも輝いた実力者で、全日本選抜選手権や国体などで優勝経験も持つ兄の崇之さんが週に2、3回練習をともにし、技術指導も行っている。

「私の家族では、主に兄や父がレスリング面で協力してくれています。夫は仕事の合間に一緒に練習することもありますが、月に一度の合宿や試合で長期間、家を空けるとき、家事を全部してくれています」と皆川選手。

拓也さん手作りの朝食で一日が始まり、家族の一員である2匹の愛犬の世話も拓也さんが行っている。

「疲れて帰宅したり、練習がうまくいかなくて落ち込んで帰ることもあります。そんなとき、私が帰ってきたということだけで喜んでくれる愛犬たちにも、ずいぶん助けられていますね」と、皆川選手は微笑む。

家族の絆が皆川選手の強さの源。夫の拓也さんと愛犬のレイアちゃん、マハロちゃん(写真左から)との団らんが、癒しのひととき

家族の絆が皆川選手の強さの源。夫の拓也さんと愛犬のレイアちゃん、マハロちゃん(写真左から)との団らんが、癒しのひととき

拓也さんと結婚したのは2017年11月。その翌年はアジア選手権(インドネシア・ジャカルタ)2位、世界選手権(ハンガリー・ブダペスト)3位、2019年はヤリギン国際大会(ロシア・クラスノヤルスク)1位、世界選手権2位、2020年はアジア選手権(インド・ニューデリー)1位。国内でも全日本選手権、全日本選抜選手権で優勝を続けるなど、結婚を機に、さらに強さを増しているように見える。

「1人だったら、練習のことなどをずっと引きずってしまうと思いますが、家に帰ってリラックスできていることが大きいですね。家ではレスリングのことはあまり言わないほうですが、夫に愚痴を聞いてもらって(ストレスを)解消している部分があるかもしれません」

 

何があっても前を見て走り続けるだけ

レスリングは格闘技であり、試合で相手に勝つことが何よりも大事で、結果がすべてという厳しい世界。だが、日々の練習の中では「自分自身に負けないこと」を何よりも大切にしているという。

「練習で苦しくなったりしたときに、『もうこのぐらいにしておこう』と思うときもあります。でも『ここで、もうひと踏ん張りしよう』というように、弱い自分に負けないことを意識しています」と皆川選手。

実際の試合では、時と場合によってはあえて自分からポイントを取りにいかないことも戦術の1つ。だが実践練習のスパーリングの中では、自分がポイントでリードしているときでも、「あともう1点、2点取りに行こう」という強い気持ちを持ち続けることを意識している。

これまで数々の逆境を乗り越えてくる中で、何があっても動じないメンタル面での「耐性」もできた。

「2015年に左膝靱帯断裂のケガを負ったときもそうでした。ケガをしてしまったという事実はもう変わらないので、落ち込んでいても仕方がない。できるだけ早く復帰できるように頑張っていくしかないのです。結局は、前に進んでいくしかないということを学びました」

「コロナ禍も、自分たちの力が及ばないところで起きているので、ある意味、仕方がないことかもしれません。でも、生きていくしかないのです。前を向いて――」

 

女子最重量級で日本人が活躍するきっかけを作る

東日本大震災の発災翌月の2011年4月にクリナップに入社し、社会人としてレスリングに向き合い始めてから10年が経つ。

「あっという間の10年でした。震災直後の大変なときに入社しましたが、子供たちのレスリング指導のために福島を訪れたときも、震災間もない頃でみんなが辛い思いをしていたはずなのに、『頑張って下さい』と声をかけていただいて、私のほうが勇気づけられました。会社の皆さんはもちろん、本当に多くの方に支えられたと思います」

オリンピックへの挑戦を通じて「1つの目標に向かい、自分自身を追い込み、ここまでできていることは大きな自信になっている」という皆川選手。「生きている中で、自分が本当に夢中になって頑張れるものがあるというのは素晴らしいこと」とも語る。

女子76kg級で日本人初の金メダルという、前人未踏への挑戦だが、気持ちはいたって平静だ。

「この階級で頑張っていくことに対して、重圧はそれほどありません。ここで私が良い結果を出せば、日本としても最重量級のカベを打ち破ることができ、後輩たちもまた頑張ってくれるでしょう。私がそのきっかけを作ることができればと思っています」と抱負を語る。

オリンピックを無事に終え、コロナ禍も落ち着いたら、愛犬を連れて、家族で旅行を楽しむことが、ささやかな夢。

ここにきて東京オリンピック開催に反対論も出ているが、「こういう時代だからこそ、みんなを勇気づけたり元気づけたりできる」と、スポーツの持つ力を信じる。

本番で持てる力をすべて出し切り、ベストの試合をすることだけを考え、皆川選手は一歩一歩、前に進み続けている。

 

「取材・構成 ジャーナリスト 加賀谷貢樹」

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