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公益財団法人川崎市産業振興財団 理事長   三浦 淳

オープンイノベーションで川崎の価値高める

川崎市は首都圏の中央に立地する利便性を生かし、人・モノ・金・情報の経営資源を呼び寄せ、大企業と中堅・中小・ベンチャー企業などの集積の強みを活用し、産学官が協働・連携により地域課題を解決し地域価値を高めてきた。こうしたオープンイノベーション施策「川崎モデル」に取り組んできた川崎市産業振興財団の三浦淳理事長は「川崎はいつの時代も、次を生み出してきた」と指摘、持続的成長に向けて「川崎モデル」を磨き上げながら全国発信を目指す。

――川崎市を取り巻く経済の現状について
川崎市は今年、市制100年を迎えるが、昨年9月に臨海部で稼働していた鉄鋼大手、JFEスチールの製鉄所の高炉が止まった。100年余り前に前身の日本鋼管が高炉を使って鉄の生産を開始、日本の高度経済成長を支えてきただけに川崎にとってエポックであり、転換点といえる。「元気がなくなる」といわれるが、そうではない。これが新陳代謝を呼び、次の牽引役が生まれる。いつの時代もそうだった。
――その中で川崎市産業振興財団が果たしてきた役割は
財団は1988年に川崎市により設立。モノづくりの町を支える市内中小・ベンチャー企業の成長支援という大きなミッションを掲げて地域経済の活性化に取り組んでいる。特徴的なのは、窓口業務中心の「待ちの姿勢」でなく、「出張キャラバン」といって積極的に現場に出向くなど各種経路から働き方改革・生産性向上、人材不足、事業承継といった課題を入手し相談に応じてきた。
――どんな相談が多いのか
海外展開、知財戦略、産学連携、マッチング、人材育成、資金調達など様々で、我々は応えられる機能を強化拡充するため、2021年4月からは各施策を縦割りではなく横串に刺して「総合的な支援サービス」の提供をスタートさせた。例えば総合病院ではがん患者を救うため、内科、外科、放射線科など、どのような医療行為が最適なのかを、カンファレンスを開き決めるように、海外展開を目指す中小企業から相談を受けたら、単にその方向でアドバイスするのではなく、その企業を成長に導くにはどうしたら良いか、国内市場を狙うほうがいいとか、そのためにパートナーを探すといった提案を行っている。そうしたことが、我々職員のスキルアップ、人材育成にもつながってくると考える。
――ビジネスマッチングにも注力してきた
01年9月にスタートした「かわさき起業家オーディション」は23年12月で137回を数えた。「全国の起業家の登竜門」として創業や新分野進出につながるビジネスプランを所在地などの制限を設けず募集。専門家が事業可能性を評価し、優秀なビジネスプランには発表機会を提供するほか、販路開拓や資金調達、事業パートナーとのマッチングなど継続的・多面的な伴走型支援を徹底的に行ってきた。
――これまでの成果は
これまでに2400件以上のビジネスプランから800件を超える受賞者が生まれてきた。さらに起業家支援を一段と強化するため、オーディション事業を、起業家と多様な企業・団体との「協業のプラットフォーム」として事業転換を図ってきている。協賛企業を増やしており、22年度当初の18社より多様な企業の参画により20社増えて現在38社になった。早期に50社まで増やしたい。また23年度から協賛企業の名称を「パートナー企業」に改め、発表者との協業を増やす機会を創出している。発表者は熱い思いと技術はあっても人、カネ、場などに乏しいので、我々が協業相手を紹介する。パートナー企業も起業家の技術などを生かすことで自らのビジネスの再構築につながるのでウイン・ウインの関係を作れる。モノづくり企業とオーデション受賞企業との協業が進めば川崎のモノづくりも強くなる。
――オープンイノベーションについては
首都圏の中央に立地し、交通や生活、商業、教育、文化といった利便性に優れ、産業も集積する。この強みを生かしオープンイノベーションを加速する。狙いは重厚長大型産業から研究開発型都市への転換であり次世代産業への進化だ。さらにオープンイノベーションにつなげる。1989年開設の「かながわサイエンスパーク(KSP)」は、日本初の都市型サイエンスパークとして整備され、そして順次、「新川崎・創造のもり」「殿町キングスカイフロント」というインキュベーション拠点が整備された。さらには、それらの拠点間連携も進む。
――新川崎・創造のもりとは
インキュベーション拠点で、入居のスタートアップと企業や大学が集い交流することで研究開発のオープン化を促し、積極的にイノベーションを創出する世界水準の研究開発拠点を目指している。慶應義塾タウンキャンパス(2000年開設)、川崎市の施設であるかわさき新産業創造センター(KBIC、03年)、ナノ・マイクロ産学官共同研究施設(NANOBIC,12年)、産学交流・研究開発施設(AIRBIC,19年)と段階的に整備されてきた。IBMにより21年にアジア初となる量子コンピユーターも設置され、東京大学との連携により市の「量子イノベーションパーク」形成に向けた取組も進展し、関連するスタートアップや大学の研究室も集積されつつある。
――殿町キングスカイフロントは
羽田空港の対岸という絶好のロケーションにあり、ライフサイエンス分野を中心とした企業、研究機関などが集積した世界をめざすオープンイノベーション拠点だ。新川崎とともに日本を代表するインキュベーションクラスターである。我々財団が運営するナノ医療イノベーションセンター(iCONM)では、「医工看の共創が先導するレジリエントな健康長寿社会」を目指す「CHANGEプロジクト」もスタートした。従来のモノづくりとも連携したい。世界にも例のない取り組みといえる。
このほかにも臨海部エリアでは、マテリアル(素材)から世界を変える産業拠点として「南渡田地区」整備も動き出した。また、高炉停止に伴い220ヘクタールほどの広大な土地を抱える「扇島地区」の整備も、次世代エネルギーである水素などの脱炭素や高度物流整備に向けた計画が動き出した。
――川崎市の魅力とは
グローバル都市には3つのシンボル的な機能が必要といわれるが、川崎は、①インターナショナルエアポート(羽田)②プロサッカーチーム(フロンターレ)③クラシックホール(ミューザ川崎シンフォニーホール)と、その機能を備える。加えて、アユが遡上する多摩川や多摩丘陵という自然にも恵まれる。中でも羽田空港から至近という好立地は国際化の大きなポテンシャル。生活者にとっても暮らしやすい環境である。世界的企業も多く拠点を構え、市内製造業も研究開発拠点へ転換し500超の研究開発機関が立地するとともに、モノづくりも残る。そうした産業・文化・自然・生活などトータルな魅力が川崎にはある。
――川崎モデルとして発信していきたい
モノづくりは川崎市の強みであり、今後もその重要性は変わらない。加えてITや医療・福祉、環境といった産業も伸びており、モノづくりと他の産業との掛け算で強くなることが大切だ。スポーツや音楽などエンターテインメントも成長産業だ。だから人も集まる。外国人も多い。人口減少が避けられない日本にあって、川崎市は多様でサステナブル(持続可能)な町を目指せる。川崎モデルとしてオールジャパンに発信したい。

三浦 淳(みうら・あつし)
公益財団法人川崎市産業振興財団 理事長

1952年 川崎市生まれ。横浜国立大学経済学部卒業 1975年 川崎市役所に入所。

財政局や総合企画局等において、行財政改革、予算編成、総合計画策定等の役職を歴任。2010年に副市長に就任し、「音楽のまち・かわさき」や「映像のまち・かわさき」等文化・芸術のまちづくり、臨海部におけるライフサイエンス、エネルギー拠点形成、川崎駅や武蔵小杉周辺地区再開発等、産業施策・まちづくり分野を幅広く担当。 宮崎県、世田谷区等との自治体間広域連携協定の締結、民間事業者や NPO 法人等、 多様な主体との協働・連携のまちづくりを推進。

2018年6月から(公財)川崎市産業振興財団理事長に就任。

財団においては、中小企業・ベンチャーの成長支援に向けて、各種施策を横串に刺した「総合的な支援サービスの提供」をスタートさせ、中小企業の事業再構築支援などを進めている。

また、川崎市と連携し、新川崎地区における新川崎「かわさき新産業創造センター(KBIC)」を中心としたオープンイノベーションを進めるとともに、殿町キングスカイフロントにおいては、世界水準のライフサイエンスクラスターの形成に向け、体内病院の実現をめざす「ナノ医療イノベーションセンター」の運営や、医工看共創が先導するレジリエント健康長寿社会の実現に向けたCHANGEプロジェクトの取組をスタートさせ、同エリアにおけるクラスターマネージメントを展開している。

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