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株式会社横引シャッター 代表取締役   市川 慎次郎

コロナ後の未来を切り拓く、30年先を見据えた長期ビジョン 【後編】

シャッターを上下に開閉するのではなく横に引く「横引きシャッター」の専門メーカー、横引シャッター(東京都足立区)が、将来の事業承継を見据えた「30年ビジョン」を定めた。まず直近10年間で、後継者にバトンを渡せる土台を作り、次の10年間で経営を承継する。コロナ禍で失われたワクワク感を取り戻し、仕事を楽しみながらコロナ後の市場を切り拓いていく。新たなステージを歩み始めた同社が進める組織改革や、同社が守り続ける先代の教えについて市川慎次郎社長に話を聞いた。今回はその後編となる(インタビューの前編はこちら)。

社員が自ら動き出したくなる「機運の熟成」

――新しいステージに向かって全社一丸となって進んでいくために、大切にしていることは何ですか?
今、「社長戦力外通告」も継続している中で、社内で何かプロジェクトを動かしアクションを起こすことは、あくまで「社員が」やるのでなければ駄目だということです。かつてのように、社長の私が錦の御旗を掲げ、「これでやっていくぞ」と引っ張っていってはいけません。社長は裏方に回らなければいけないのです。
そこで私が今、最も力を入れているのが「機運の熟成」。社員たちが盛り上がり、「これをやっていこう」と自ら行動を起こすような機運を作るのです。社内で「これをやりたい」とか「これをやらなければいけない」という声が盛り上がってきたら、頃合いを見計らい、キーマンの背中をポンと押すのです。
機運を熟成させている間、それをやりたくてたまらない社員たちはやきもきして、「社長、どうですか? そろそろもう動きませんか?」というようになります。それでもぐっとこらえて「まだ駄目だ。今、機運の熟成をしているからもうちょっと待て」と声をかける。
社内のあちこちで「社長、もう待てません、やりましょう」という声が、何人からも上がってくるようにならないと、プロジェクトをスタートさせてもすぐに熱が冷めて止まってしまいます。だから「みんながこれをやりたい、こうしたいと思っている。それを止めているのが社長なんだ。社長にイエスさえもらえれば、自分たちはいつでも動き出せる」というところまで機運が盛り上がって初めて、私はゴーサインを出すようにしています。

会社の基盤をなす「幹」と「枝」

――御社には定年がなく、能力に応じて70代、80代、90代でも生き生きと働ける環境を整備されており、60歳以上の社員も昇給します。また市川社長は、ガンを患った社員の方に「治療に専念して、会社には、来ることができる時に来ればいい」と声をかけ、治療を終えて出社した社員を、同僚とともに気遣い、よく笑わせています。さらに、「シャッターもオーダーメイドだが、社員の働き方についても、一人ひとりの事情に応じてカスタマイズしている」とのことです。なぜそこまで、社員の皆さんを思われているのでしょうか。
先にもお話した通り、社長の代わりをしてくれている社員たちだから、それは当たり前のことだと思っています。社長の代わりをしてくれている社員たちが、「たまたま」高齢になったり、「たまたま」ガンを患ってしまっただけなので、何か特別な意識を持ってやっているわけではありません。目の前に起きた課題をどうすれば、みんなが笑顔で乗り切れるかと考えているだけです。それが創業者の思いでもあり、私の思いでもありますから。
会社がこういう姿勢を貫けば、社員たちは安心して働くことができます。モチベーションを高く持ち、お客様はもちろん仕事に全力で向かうことができるようになるので、計算できない費用対効果もそこから得られていると思います。
――会社として大切にしている姿勢があるわけですね
私が代表として会社経営をするうえで必ず守っている「社長ルール」の中に、「創業者の遺志を継ぐ」というものがあります。これを破ってまで、私はこの会社で代表取締役としては働けないと自分自身に課しているルールです。
創業者の遺志という「幹」は残す。ただし、時代の変化にそぐわない部分については、「新しいやり方を通して本質を貫く」という手法を取っています。新しい枝を伸ばしながら古い枝は落とし、幹を大切にするというイメージです。古い枝を落とす前に新しい枝を生やしておくということですね。
やはり、時代に合わなくなった古いやり方は数多くあるものです。それを「今までこうやってきたのだからこうする」とか「先代はこうやってきたからこうでなければならない」というのはおかしいと私は思います。でも、変えてはいけない会社の軸というものもあって、その最たるものが創業者の思いなのです。
――その創業者の思いとは何ですか?
うちの先代社長はとくに、「社員は家族」だという思いが強かったんですね。

「社員は家族」、「家族的経営」の本当の意味

――「社員は家族」は御社の創業者理念です。「社員は家族」だと誰もがいいますが、「社員は家族」や家族的経営とは一体どういうことだと思いますか?
中小企業向けに講演をしているとき、社長さんたちに質問すると「社員は家族」だとみんなが答えます。でも社長さんがいないとき、社員の方に「社長さんは『社員は家族』だと話していましたが、実際はどうですか?」と聞くと、みんな質問には答えず苦笑いをします。私はこれが現実だと思うんですね。
だから当社は「家族的経営を地でやろう、格好いいじゃないか」。というぐらいの気持ちで取り組んでいます。実際、社員と本当の家族のようにつき合えるほうが楽しいですし。
先日も、社員のお子さんが入院したという話がありました。お子さんの具合がどうもよくないという話を聞いていたので、「仕事はいいから、ちゃんと病院に連れていってあげなさい」と私も声をかけていたのです。ところが検査の結果が思わしくなく、縁をたどってある大学病院に入院し手術をすることになりました。
本人も定期的に病院に通院していて、1、2カ月に1度平日に休みを取らなければなりません。今度はお子さんの入院、手術などでさらに時間を取られてしまいます。「社長、最近、休みをたくさんいただいていて申し訳ありません」と、社員は私の席に来て申し訳なさそうに謝っていました。でも家族なのだから、そんなかしこまった話をするようなことでもないと私は思います。
社員自身や家族の病気で休みが多くなったからといって、給与を減らすわけでもないし、仮に有給休暇が法定の付与日数を超えても、社員に有給休暇を与えています。「いいんだよ、大丈夫だから、早く職場に行って頑張って」で、話は終わりです。家族で会話をしていたら、そんな感覚でしょう。
――家族に対してなら、そうするのが当然でしょう、ということなんですね
そう、当然なんですよね。当社では、がんを患った社員も、治療を続けながら働いています。こうした取り組みが評価され、東京都が実施する「がん患者の治療と仕事の両立への優良な取組を行う企業表彰」の中小企業部門で優良賞も受賞しました。でも、だからといって、私たちには、あまり特別なことをやっているという感覚はありません。高齢者雇用もべつに特別なことではなくて、「家族に対してはそうするでしょう?」ということを、社員に対して普通に行っているだけなのです。

「30年ビジョン」――未来を描き戦略・戦術を考えることが楽しい

――2023年から2053年までの「30年ビジョン」を定めたそうですね
これからの30年を見据え、その間の10年ごとのおおまかなビジョンができあがっています。それぞれの10年に設定した目標が確実にクリアできるように、具体的なプランを1つずつ詰めていきます。このゾーンに入ると私は強いので、やる気が出ますね。

・2023-2033年:将来、次の世代へバトンタッチができる会社の土台作りの期間

・2033-2043年:次の世代へバトンを渡していく期間

・2043-2053年:バトンを受け取った人が、バトンを落とさずにきちんと進めていけるかどうかを、木の上に立って見ている期間

このビジョンを定める前に、私は自分の人生を振り返ったんですね。やんちゃだった私は17歳でパパッ子になり、27歳で会社の「暗黒時代」に手を入れ始めたのです。
――「暗黒時代」とはどんな時代だったのですか?
私が新入社員当時、当グループで起こっていた出来事です。商品開発をしてもヒットせず、借金が膨れ上がり、給与の遅配や仕入先への代金未払いなどが続きました。ところが社長や経理部長ですら借金の全容を把握していない。そこで私が一念発起し、会社の借金を1から洗い出す作業を1人で続けた結果、借金の総額は9億円に上ることがわかったのです。
借金9億円の暗黒時代をようやく乗り越えた矢先、父が突然倒れて他界。当時総務部長と経理部長を兼任していた私が実務を動かしていたのですが、経営の承継をめぐって内紛が起こります。多くの社員が去っていく中、2代目社長に就任した私を含め、残った11人で会社を建て直した「史上最大の混乱期」が、36、7歳の頃にありました。
昨年12月で、私が社長になってから丸10年経ちました。今年47歳になってコロナ禍が開けて、新しいステージに入っていく。本当にやりたいことに向かっていくというのも、人生の大きなターニングポイントだと思います。

20年先の事業承継に備える

――この「30年プラン」は事業承継を大きな目的にしたものですね
私は将来、息子に会社を継がせたいと思っているんです。今、息子は17歳で私と30歳離れていますが、彼が小学校のときから「将来お父さんの会社を継ぎたい」といって、ずっと頑張ってくれています。彼に会社を継げる能力があったとしても、私と同じような経験はできないでしょう。むしろ、同じような問題を2度と起こさせはしないし、起こさないように、彼がスムーズに会社を継げるような土台を作らなければならないと私は考えています。
これから10年が経ち、彼が27歳になる頃には、仕事もある程度1人でできるようになっていて、会社の流れも一通り理解し、もっと力をつけていこうとしているでしょう。後継者組みに入るとしたら、27、8歳は、周囲の人より頭が1つも2つも抜きん出ていなければいけない年齢。それがちょうど10年後ですね。
一方、私は10年後は57歳になっていますが、現役の経営者としてまだまだバリバリ飛び回っていられるはずです。だからこの10年の間に、息子が会社を継いでもやっていけるような体制を作っていこうということです。
――その次の10年で経営のバトンを渡していくわけですね
私は、36歳のときに父が亡くなり、会社を継いでいるんです。その4、5年前から会社の経営実務はやらせていただいていました。今振り返ると、私自身は30代前半から経営にも参画していたわけです。だから27、8歳までに仕事を覚えてもらい、身につけた知識を活かし、経営に入っていってもらうのが、今から11年後以降ということになりますね。
私の代には、父が亡くなってから会社を引き継ぎましたが、息子の代には、彼にバトンタッチしたあと、しっかり会社を経営できているかどうかを、「木の上に立って見る」ようにして見守っていきたい。それが、その先の10年です。私自身は経営に口出しはせず、アドバイスするだけにとどめます。その一方で、本業以外に手がけていきたいと思っていることを、どんどん進めていくのだろうと想像すると、ワクワクします。

横引シャッターは、30年先の未来に向けて新たなステージを歩み始めた

社員が家族に「会社に行くのが本当に楽しそうだね」といわれる会社にしたい

――その頃、横引シャッターさんはどんな会社になっていると思いますか? 市川社長が「木の上に立って見て」いる頃には
そうですね、その頃には、私にはやりたいことがたくさんあって。でもそれは、ご縁やタイミングというものもあるので、まだオフレコです(笑)。
私は売上や会社規模の拡大、製品戦略よりむしろ、どうすればみんながもっと楽しく働けるようになるのか。みんなに「会社に来るのが楽しい」といってもらえるにはどうしたらいいのか、ということを考えるほうが得意です。
社員の家族が「お父さん、会社に行くのが本当に楽しそうだね」といわれる会社にすることが、私が今取り組んでいる大きなテーマです。
思い起こせば、コロナ禍の少し前、週休3日制を採用する企業が出てきたり、本業はお金を稼ぐところ、自分の夢を追うのは副業でと本当にいわれていました。ある意味、働くことは何かいけないようなことで、嫌なこと、辛いことだと思われていたような気がします。
ところがコロナ禍になって、われわれが経験したのは、仕事があることはいかにありがたいかということでした。仕事をあれだけ休まなければならない、仕事がなくなるということは、とても辛いものだということを改めて知ったわけです。
仕事の大切さを身にしみて感じたのなら、仕事を楽しむことを大事にすべきではないかと私は思います。仕事を楽しみながらやるということが、これからの時代にはもっと必要になってくるでしょうし、ワクワク感がなければ日本経済は復活もできないでしょう。勢いのある会社は、どこでもワクワク感があります。
――これまで以上にワクワク感を持って、みんなが働けるようになることを願うばかりです
日本人と欧米人の労働観は決定的に異なります。欧米人にとっての労働は罪に対する罰であり、だから労働はできるだけ少ないほうがいいというのが欧米型の労働観です。一方、日本人にとって労働とは「働く」、すなわち「傍(はた)を楽にする(自分のそばにいる人を楽にする)」ことであったり、自己成長や夢を叶えるための機会。加えて、周囲の人たちから「ありがとう」といわれ、感謝の気持ちを受け取る場という意味も含まれたうえで、「働く」なのです。私は、これはとてもよいことだと思います。
そういう日本的なよいものが失われ、なくなってきているのが現実かもしれません。だとすれば、せめて、この小さな私たちの会社の中で、自分たちが大切だと考えていることを守り伝えていこうと思います。
私はこのやり方で結果を出し、それを見てくれている誰か1人の心にでも火がついてくれたら嬉しいと思う、それぐらいの野心は持っています。小さな野心かもしれません。でもそうすることが先代社長の教えであり、私たちがそういう姿勢を貫き、結果を出すことが、「先代の証明」にもつながっていくと思います。

 

「取材・構成 ジャーナリスト 加賀谷 貢樹」
市川 慎次郎(いちかわ・しんじろう)
株式会社横引シャッター 代表取締役
国士舘中学校・高等学校を卒業後、中国の清華大学へ留学し、北京語言文化大学の漢語学部、経済貿易学科卒業。 2000年横引シャッター入社。
入社後は父の運転手兼秘書として、直接創業者精神を叩き込まれる。 総務部部長・経理部副部長を兼務した後、父の急逝を受けて2012年12月より代表取締役に就任。
現在に至る。

Webサイト: https://www.yokobiki-shutter.co.jp/

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