「日本人として何を遺すか」 理解し合える世界を目指す
WIPジャパン株式会社 代表取締役社長 上田 輝彦

変化の激しい時代に、新たな価値を創り出し、未来を切り拓こうと挑む人たちがいます。
既存の枠を越え、変革を起こす意志と行動力を持つ“イノベーター”たち。
「イノベーターの視点」は、イノベーションズアイ代表・加藤俊之が、その発想の原点や挑戦の背景、そして変革を支える戦略や思想に迫る対談シリーズです。
中学生の頃の衝撃、就職するも退職、そして留学
――海外に関心を持つきっかけは。
幼い頃から、世界地図を眺めるのが好きで、母がよく見ていた海外の旅番組を一緒に観ていました。今振り返ると、それが海外に興味を持つ最初の原体験だったのかもしれません。
一方で、中学生の頃に強い衝撃を受けた出来事があります。世界では飢餓で苦しんでいる人がいるという報道の一方で、日本では食べられるパイを投げて遊んでいるというテレビ番組があって、その落差に強い社会矛盾を感じました。
そのとき、「いずれ世界と日本が理解し合えるような仕事がしたい」「世界と日本をつなぐ役割を担いたい」と漠然ながらも強く思うようになりました。

――大学を卒業して就職した住友銀行(当時)では思ったような仕事ができましたか。
就職についても相当悩みましたが、当時はバブル期で、銀行なら海外業務に携われる可能性が高いと考え都市銀行を選びました。
ただ、大企業の人事ですので、個人の希望が簡単に通るわけではないことが次第にわかり、海外勤務の機会を得られるかどうかわからないので、「それなら自分で海外に行こう」と決断し、退職しました。
銀行員として海外には行けませんでしたが、銀行での経験にはとても感謝しています。今では想像しにくいかもしれませんが、ある意味、「軍隊のような」職場で徹底的に鍛えられました。そのおかげでとても自信がつきました。これくらい働けるなら絶対自分は一人になっても食べていけるだろうと。非常に曖昧な自信というか、根拠のないすごい自信ですが(笑)。
――銀行を退職後、ケンブリッジ大学大学院へ留学された目的は何ですか。
世界を知り、英語力を鍛えるには、留学が最も近道だと思ったからです。
しかし、いざ行ってみると英語力が絶対的に足りないことと痛感しました。ただ幸いにも、教授とのマンツーマン授業であり、課題中心だったので、何とか食らいついていくことはできましたが、正直かなりしんどかったです。
実は銀行を退職してから結婚したので、この留学では妻に一番苦労をかけてしまいました。本当に感謝しかありません。
起業の瞬間「米はあるから一緒にやろう」から事業拡大
――帰国後、すぐに起業したのですか。
いくつかビジネスのアイデアみたいなものはありましたけど、「これをやろう」という確固たるビジネスはありませんでした。ただブレなかったのは「海外」というキーワードでした。
そのような状況でしたが、帰国後すぐにビジネスを進めるため、2人の仲間を誘いました。
――2人はまだ固まってないビジネスに参加してくれましたか。
実家は農家なので、「米はある。多分、私を含めて3人くらいなら何とか食べていけるだろう」と誘いました。それでよく来てくれたなと思います(笑)。

――最初に手がけたビジネスはどういったものでしたか。
最初は、自分自身が読みたいと思った、世界の新聞とか雑誌の日本語要約版を日本の経営者に配信しようと考えました。当時は、すでにメールはありましたが、日本ではあまり使っている人が少なかったので、ファックスで配信するというビジネスでした。
ただ最初は、顧客がいなかったので、深夜に道路警備のアルバイトに行ったりしていました。
――その後、事業はどのように広げていったのですか。
英国留学から帰ってきたこともあったので、知人経由で「翻訳をやってくれないか」「海外調査をやってくれないか」という話をもらいました。とりあえず何事も断らずに全部受けました。
最初は、自分たちで翻訳をしていましたが、仕事が増えるにつれ、全てを自分たちで受けていたら寝る時間がなくなるので、他の人に頼まなくてはいけないと思いました。それでタウンページを見て、同業他社に発注しました。それまでは単価や見積もり方法を知らなかったのですが、同業他社に学ぶことができました。
その後も複数の同業他社に翻訳をお願いしていきましたが、納品された翻訳の質に問題があり、最終的には自分たちで修正して直して納品するケースが増えていきました。そこで方針を変え、個人のフリーランサーをとにかく集める、しかもネイティブの人たちを直接集めるということにしました。
パブや書店の洋書コーナーに行って、「こういう仕事があるけど手伝ってくれないか」というチラシを配りました。それが事業を広げるスタートでした。さらに、翻訳や調査活動を手伝ってくれる人をインターネットで米ニューヨークや英ロンドン、仏パリといった色々な国・都市で検索して「翻訳や調査などの仕事を頼むことがあったら手伝ってくれませんか」とお願いし、スタッフ登録してもらいました。これを徹底的にやりました。
――AIの普及が事業に与える影響については。
私たちの事業は多言語を扱うので、どうしても属人的になってしまいます。それをもっと「仕組み」として提供できる余地があると考えています。キーワードは「多言語」「人」「AI」です。
AIとは戦うのではなく、AIと何をするか。それを軸に、新しいソリューションをとにかく生み出していこうと思っています。
もっと理解しあえる世界をつくりたい
――「もっと理解しあえる世界をつくりたい」という理念は、どういう想いからですか。

世界を相手にするということは、相手のことを理解しなくてはいけないし、同時にこちらも理解してもらわなくてはなりません。それをコツコツやらないと、戦争や飢餓といった問題は絶対になくならないと、ずっと思っています。
私たちの事業は「互いに理解しあえる世界」を作るための、まさにど真ん中の仕事です。社員にもそう言っていますし、私自身も強くそう感じています。やはり理解しあうことが大切だと思っています。
ただし、それは「意見を一致させること」ではありません。今の日中関係もそうかもしれませんけど、意見は違っていてもいい。「あなたはそう考えるのですね」ということを理解しなくてはいけないですし、「私はこう考えます」ということをしっかり言わなくてはいけない。その姿勢そのものが重要だと思っています。
それが今、世界に対してできているか、世界全体でできているかというと、正直まだ十分でではないですね。
――上田さんの活動を支える上で影響されたものはありますか
私の座右の銘は「人生二度なし」です。最も影響を受けた本が、内村鑑三著『後世への最大遺物』です。その中にある「人は生を受けて死ぬまでに何を遺すべきか」という問いが強く心に残っています。
始めて読んだ時、本当に感動しました。「自分はこの一生で何を遺せるだろうか」と考えた時に、「あの人でもそういうことができた(遺した)んだ」といわれる人生こそが、一番価値があると思いました。
私は、地方の兼業農家の出身で決して裕福な家庭ではありませんでしたし、起業してビジネスを拡げていけるような環境が最初から整っているわけではありませんでした。
でも、「こんな私でもそういうことができたんだ」という何かを遺せるのであれば、それ自体が次の誰かの励みになる。そう思うと、「頑張ろう」という気持ちが自然と湧いてきます。
――日本の人や企業には今後どうなってもらいたいですか。
もっと多くの日本の人や企業に、海外に出ていってほしいと思っています。日本には本当に良いものがたくさん眠っていますから、それをもっと世界で売ってほしいですね。
私たちの事業は、日本企業が「ビジネスとして」世界に出ていくことを支援する仕事です。ですから、私自身もそうですし、皆さんも「日本人として」というか、別に日本人であることにこだわらなくていいのですが、「自分らしさ」というものを生かしながら、「人生の証として何を遺すのか」というテーマを持ってほしいです。

――中小企業が海外市場をあまり見ていないように感じています。理由は何だと思いますか。
日本のマーケットが中途半端に大きいからだと思います。特に東京を中心とした関東圏は世界最大のマーケットですし、都市圏だけでもなんとか飯を食えてしまう。
ただ、これからは国内マーケットだけでは確実に厳しくなります。何もしなければ本当にジリ貧になります。
その点についてもっともっと啓発しなくてはいけないと思いますが、まだなかなかピンときていない感じが、非常にもどかしいです。
――現在の日本が抱える課題は何ですか。
日本がこれから迎える最大の変化は、恐ろしく人口が減ることだと思います。現在、人口が増えているのは今、東京と埼玉だけです。しかも単純に地方から引っ越しして来る社会増にすぎず、自然増の都道府県は日本に一つもありません。
しかも地方では5年で7~8%の人口減少がすでに始まっています。私の生まれた福井県の人口は70万~80万人ぐらいですが、今日本全体では毎年同じ規模の人口が減っている。つまり福井県の人口相当分が毎年消えているわけです。
これは地方にとって深刻な危機です。このままでは、あっという間に人口が半分ぐらいになってしまう地域も出てくるでしょう。
日本にとっての最大の課題というのは、とにかく日本の人口が減ること。つまり日本語を話す人が減ることです。私はそれこそが最大の課題だと思っています。
日本語のままで世界と取引できる世界へ
――どんな社会を実現したいですか。
とにかく私が実現したいのは、日本語のままで世界と商談や取引ができる社会です。そうなったら誰もが簡単に海外と関われるようになる、と本気で思っています。
そして、それが特別なことではなく「当たり前」になる。そういうコミュニケーションができるようになったら、それこそ文化の違いを過度に意識することことも次第に少なくなっていくでしょう。
おそらく2~3年後には、AIが通訳を全て担う世界が来るのではないでしょうか。ただ、言葉の意味がわかっても、言葉に合わせた仕草や文脈から感じ取ったり、その人の背景や文化からくみ取ったりするのはまだ難しいかなと思います。
――異文化との接点はどのように図っていくのがいいですか
今、日本に外国人観光客がたくさん来ていますが、文化の違う人との接点が増えることは、個人的には日本のためになると思っています。一見すると「自分たちとは違う」「常識が通じない」と感じる行動に、腹が立ったり、逆に面白さを感じたりすることがあります。外国人との接点が増えれば増えるほど、ドキドキ、ハラハラ、ワクワクする。
この「ドキドキ・ハラハラ・ワクワク」って心臓にあまりよくないかもしれませんが、実は脳にはとても良いんです。「ドキドキ・ハラハラ・ワクワク」って恋愛感情と一緒なんです。
異文化との接点が広がることは、日本全体の活性化につながります。

WIPジャパン株式会社 代表取締役社長 上田 輝彦
福井・兼業農家出身。中・高では卓球選手。数学・世界史・世界地理を愛好。上智大学(法学部)在学中、欧州各国や中国等を跋渉、その後、住友銀行(現・三井住友銀行)、英国ケンブリッジ大学大学院留学(歴史学部)を経てWIP創業。オリンピック関連調査を端緒として、多言語および海外市場を対象にした事業のみに特化し現在に至る。「グローバルビジネスほど面白いものはない」が信条。
一般社団法人クールジャパン協議会 代表理事
イノベーションズアイ株式会社 代表取締役 加藤俊之
1968年生まれ・茨城県出身。大学卒業後、証券会社、IT企業、物流企業、政府系プロジェクトを経て、2006年にイノベーションズアイ株式会社(現在)を設立し代表取締役に就任。グローバルベンチャー、ローカルベンチャー、大学発ベンチャー、日本のものづくりを卓越した技能で支える中小企業など、多様なイノベーターと向き合ってきた。「未来を創る企業を増やす」を使命に、「発掘×発信×発展」を事業コンセプトとしたビジネスプラットフォームの創造に取り組んでいる。