当事者になる覚悟がイノベーションを生む
株式会社ハッチ・ワーク 代表取締役社長 増田知平

変化の激しい時代に、新たな価値を創り出し、未来を切り拓こうと挑む人たちがいます。
既存の枠を越え、変革を起こす意志と行動力を持つ“イノベーター”たち。
「イノベーターの視点」は、イノベーションズアイ代表・加藤俊之が、その発想の原点や挑戦の背景、そして変革を支える戦略や思想に迫る対談シリーズです。
内気だった少年が自らの意思で一歩を踏み出した経験をきっかけに、環境に流されない生き方に目覚めた。安定した大手企業を離れ、実力主義の不動産業界へ飛び込んだ。営業として成果を上げたものの、個人の実績より組織の成長を優先する道を選択。社会環境の激変を目の当たりにしたことで、一本の事業に依存する経営の危うさを痛感し、新規事業開発へと舵を切った。生まれたのが「月極駐車場のDX推進」事業で、リスクを背負いながら現場の課題を解決し、中核事業に育て上げた。
内気な少年が自らの意思で踏み出す
――幼少期はどんな性格でしたか。
本当に目立たない子どもでしたね。今でこそ、こうして人前で話す機会も少なくありませんが、幼稚園の頃は自分でソフトクリームも買えなかったくらいです。母に「自分で注文してみなさい」と言われたのに、恥ずかしくて声を出せず、結局買ってもらえませんでした。その時のことは今でも鮮明に覚えています。
そんな性格だったからなのか、小学1年生から水泳を、5年生からバドミントンを続けさせてもらいましたが、「絶対に負けないぞ」と前に出るタイプではなく、どちらかというと後ろのほうで静かにしている、そんな子どもでしたね。
――内気な性格は、いつ頃から変わり始めましたか。
高校3年生のときに体調を崩したことがきっかけでした。それまでは就職しようと考えていましたが、「このまま社会に出るのは不安だな」と思い、大学進学を目指すことにしました。ただ当時の成績では進学は難しく、担任の先生に相談したところ「お前が大学か」と笑われてしまって。それでも諦めきれず、中学1年生レベルの英語教材を買い、基礎からやり直しました。
結果的に進学でき、「やれば変われる」と初めて実感しました。その頃から、自分の意思で道を選び、動くようになった気がします。
――どんな大学生活を送りましたか。
授業よりも働くことへの関心が強く、アルバイトを20種類以上経験しました。職場が変わるたびに出会う人も価値観も違っていて、それがとにかく面白かった。「世の中にはこんな考え方があるんだ」と知ること自体が刺激でした。
実は父も親戚も公務員で、身近に民間企業で働く人がいませんでした。だからこそ余計に、世の中を知りたいという思いが強かったのかもしれません。
アルバイトで貯めたお金は一人旅によく使いました。海外にも行きましたが、日本では当たり前だと思っていたことが、外に出ると全く当たり前ではないという経験が、自分の視野を大きく広げてくれました。
――就職先は。
学生時代に最も多く働いたのがコンビニエンス業界でした。セブンイレブン、ローソン、ファミリーマートなどさまざまな店舗で働きましたが、当時のコンビニは毎週のように新しいサービスが始まり、1年経てばオペレーションが大きく変わるほど進化の速い業界でした。そのスピードに強く魅力を感じ、「これからの日本に欠かせないインフラになる」と確信し、コンビニ業界に絞って就職活動を行い、セブン-イレブン・ジャパンに入社しました。
安定を捨て、あえて未知の業界へ

――就職してみて、どう感じましたか。
入社1年ほどで、キャリアのスピード感に違和感を覚えるようになりました。周囲の先輩を見ると、課長職に就いているのは40代以上がほとんどでした。「ここで頑張っても、権限が持てるのは20年先かもしれない」と感じました。安定した環境ではありましたが、「このままでは自分の成長が止まってしまうのではないか」という危機感のほうが強くなり、転職を決意しました。
――次に選んだ会社は。
あえて、それまで自分とは縁がないと思っていた不動産業界を選びました。学生時代はなじみが薄く、正直なところ自分から飛び込もうとは思っていなかった業界でした。
ただ、行きたいと思って選んだコンビニ業界で壁にぶつかった経験から、「次はあえて未知の領域に挑戦しよう」と考えるようになりました。知らない世界だからこそ、そこに大きな可能性があるかもしれない。そんな気持ちで、不動産会社の門を叩きました。
―不動産業界はどうでしたか。
営業で入社したのですが、すぐに5件の契約を取りました。知識も経験もなかったので、人の2倍は動こうと決めて、とにかく商談数を増やしました。土日も物件を見に行き、行動量で成果を出していきました。
丸3年間は本当に行動量=成果という感じで積極的に動きましたが、ある時点で「自分一人でやれることには限界がある」と気づきました。例えば一人で売上1億円が限界だとすると、どう考えても10億円にはできません。達成するには組織を強化すること。そのためにはマネジメントが必要だと思いました。
――そこで、どのような行動を起こしたのでしょうか。
自分自身をさらに成長させられる環境と、本格的にマネジメントできる場を求め、2006年にハッチ・ワークの前身となるアットオフィスに転職しました。そして翌年に取締役に就任し、マネジメント側にシフトできました。
それからは、メンバーの育成やチームづくりに力を注ぎました。チーム全体で成果を出せるようになるまでには試行錯誤もありましたが、その過程でメンバー一人ひとりが成長していく姿を見ることが何よりのやりがいでした。結果として、組織としての安定感や成果の再現性も高まっていったと思います。
――その後に新規事業開発に取り組むようになったわけですね。
サブプライムローン問題、リーマン・ショック、東日本大震災と、社会の前提が短期間で崩れることが起きました。それがきっかけになりました。
それまでは既存事業の中で組織をどう強くするか、どう効率的に回すかという「マネジメントの最適化」に力を注いできました。ところが、組織としての完成度をどれだけ高めても、社会的な大変動が起こった瞬間に、その土台ごと揺さぶられてしまう現実がありました。
そのときに、一本の事業だけに依存する経営の危うさを強く感じました。どんなに優れた主力事業であっても、それが外部環境の影響を強く受ける構造であれば、会社全体が一緒に傾いてしまう。組織としてあまりにもリスクが大きいと痛感しました。
そこで「新しい柱をつくらなければいけない」と考えるようになりました。既存事業を磨き続けることも大切ですが、それと同時に、未来の新たな収益源を育てることに挑戦しなければ、環境変化のたびに同じ苦しみを繰り返すことになります。
リスクを背負い事業を形にする

――新しい柱として月極駐車場DX事業を立ち上げました。その発想はどこから生まれたのですか。
10年頃、引っ越したマンションに駐車場がなくて、月極駐車場を探したのがきっかけでした。これが想像以上に大変で、最初はインターネットで探してみたのですが、情報がほとんど出てきません。やっと見つかったと思っても古い情報だったり、空き状況が分からなかったりする。結局、実際に街を歩いて「月極駐車場」の看板を見つけては、そこに書いてある電話番号に連絡するという非常にアナログなやり方で探すことになりました。
しかも、ようやく空きを見つけても、契約手続きがまた煩雑です。不動産会社に出向いて紙の書類を書き、保証人の話をして、印鑑を押して…と、時間も手間もかなりかかる。一方でその頃、スマートフォンでホテルや飛行機のチケットを予約するというオンライン予約が当たり前の時代になっていました。
そのギャップに、ものすごく違和感を覚えました。「なぜ駐車場だけ、こんなに不便なのだろう」と。生活に密着したインフラなのに、探し方も契約方法も昔のまま。ここには手つかずの領域があると感じたのが、月極駐車場DXの発想の原点でした。
――どのように事業化していったのですか。
「これは大きなテーマだな」と思いつつも、どこから手をつければいいのか分かりませんでした。まずは情報を集めるためにポータルサイトのようなものを試しに作ってみました。どれくらいニーズがあるのか、オーナーや利用者がどんな反応をするのかを見たくて。最初の数年間は手探り状態でした。正直に言えば「いつか形にできたらいいな」くらいの感覚でした。振り返ってみると、この期間が結果的にはとても大事でした。業界の構造や関係者の立場、現場の実情をじわじわと理解する期間になっていたのです。
――その結果、分かったことは。
利用者にとっても、管理側にとっても「契約はオンラインで完結できるようにすべき」と強く考えていました。そのほうが便利で効率的なのは明らかですから。ところが、不動産会社やオーナーに提案しても「今まで紙でやってきたし、特に困っていない」という反応が少なくありませんでした。そこで初めて、自分はまだ相手の本当の課題を理解できていないのではないか、と気づきました。
「机上のアイデアだけでは前に進めない。ならば当事者になるしかない」と。そこで自分たちで駐車場を借り上げ、貸主として運営することを決断しました。
――貸主としてリスクを取ることへの抵抗はありませんでしたか。
もちろんありました。借り上げる以上、稼働していなくてもオーナーへの賃料は発生します。利用者が集まらなければ、その負担はすべて自分たちが負うことになります。判断を誤れば、資金が一気に尽きてしまう可能性もある。生半可な覚悟では続けられないと思いました。一方で、オーナー側も同じようにリスクを背負って資産を運用しているわけです。
その立場を自分で体験しなければ、本当の意味で寄り添ったサービスを提供することはできない、とも感じました。リスクの中に身を置くことでしか見えない景色があります。私はずっと「リスクを取らない事業は伸びない」と考えてきましたが、この時ほど、それを実感したことはありませんでした。
――リスクを取ったことで見えてきたものは何ですか。
実際に運営してみると、契約がゴールではなく、むしろスタートだと分かりました。例えば、賃料の未払い。悪意があるケースよりも「うっかり忘れていた」という人のほうが多い。でも、それをフォローするには手間も時間もかかる。トラブル対応や問い合わせ、解約手続きなど、表に見えない業務が山ほどあります。これまで私たちが見落としていた「運営の現実」です。
そこで、契約から入金管理、問い合わせ対応まで一体化し、仕組みで支えられる形にしようと考えました。その発想が後のクラウドサービスへとつながり、本格的なサービスとして結実していきました。
成長を止めないために、自ら学び続ける
――自己成長のためにしたことはありますか。
30代半ばで大学院に入り、MBA(経営学修士)を取得しました。会社も安定している時期でしたが、逆に「このままだと自分の成長が止まってしまうのでは」という危機感がありました。役員という立場上、面と向かって厳しく指導してくれる人もいなかったので、だったら自分からあえて外に出て、まったく違う環境に身を置こうと思いました。新しい知識を得るだけでなく、自分の視野を広げるような経験が必要だと感じてのことです。
――大学院に行ってみてどうでしたか。
正直に言うと、本当に大変でした。課題の量が想像以上で、仕事と並行しながらこなすのは簡単ではありません。毎週のようにレポートやグループワークがあり、睡眠時間を削る生活が続きました。でも、その厳しさ以上に得られたものが大きかった。同じように高い目標を持つ仲間と議論し、協力しながら何かをやり遂げる経験は、社会人になってからはなかなか味わえない刺激でした。
知識だけでなく、自分の思考の癖や弱点にも気づかされましたし、「まだまだ成長できる」と実感できた時間でもありました。振り返ると、あの2年間は35歳にしての"青春"でした。
――これまでの人生で影響を受けた人はいますか。

身内になってしまいますが、やはり大竹弘(ハッチ・ワーク会長)の存在は大きいですね。私の人生観や経営観を大きく変えてくれました。大竹から学んだことは大きく二つあります。
一つは「ストックビジネス」という考え方です。20代の頃に、「単発で終わるフロー型の収益だけを追いかけるのではなく、積み上がっていくストック型のビジネスをつくることが企業の安定と成長につながる」という話をしてくれました。その言葉が、今の事業をつくるベースになっています。
もう一つは、人との向き合い方。本来であれば、創業者である大竹がすべての主役になってもおかしくない立場です。でも、あえて共同経営という形を選び、「一緒にやろう」と本気で言ってくれました。そして会社が成長していく過程でも、前に立つ役割を私に託してくれました。自分が同じ立場だったら、そこまでできるだろうかと考えることがあります。感謝してもしきれない存在です。
――今後目指すところは。
私たちハッチ・ワークのパーパスは「社会に、可能性の卵を。」です。
「ハッチ(HATCH)」には、卵が孵化するという意味があります。特別な卵である必要はありません。当たり前の日常の中に眠っている価値が、ある気づきやきっかけによって孵化し、社会を動かす力になる。私はそう信じています。最先端の技術や大発明だけが世の中を変えるのではなく、「当たり前の使い方を変えること」や「見過ごされていた価値に気づくこと」が、新しい可能性を生み出すことはたくさんあるからです。
だからこそ企業として、諦めずに挑戦を続け、常に新しい可能性を探り続けていきたい。簡単に結果が出るものではありませんし、うまくいかないことのほうが多いかもしれません。それでも、当たり前の中に眠る価値を孵化させようとし続けること自体が、企業の成長力を支えているのだと思います。
この姿勢は仕事だけでなく、人生にも通じるものだと感じています。誰の中にも、まだ孵化していない可能性がある。私自身も、そして関わるすべての人にも、自分の中に眠る可能性の卵を孵化させ続けてほしいと願っています。

株式会社ハッチ・ワーク 代表取締役社長 増田知平
1978年生まれ 神奈川県出身。大学卒業後、株式会社セブン‐イレブン・ジャパンに入社。その後、株式会社グラントコーポレーションを経て2006年、当社へ入社、2007年に取締役、2018年に代表取締役社長に就任。自身の実体験を基に、月極駐車場検索ポータルサイト「アットパーキング」をリリース。その後、不動産会社向けの月極駐車場オンライン管理支援サービス「アットパーキングクラウド」を開発。2024年3月に東京証券取引所グロース市場への上場を果たす。
イノベーションズアイ株式会社 代表取締役 加藤俊之
1968年生まれ・茨城県出身。大学卒業後、証券会社、IT企業、物流企業、政府系プロジェクトを経て、2006年にイノベーションズアイ株式会社(現在)を設立し代表取締役に就任。グローバルベンチャー、ローカルベンチャー、大学発ベンチャー、日本のものづくりを卓越した技能で支える中小企業など、多様なイノベーターと向き合ってきた。「未来を創る企業を増やす」を使命に、「発掘×発信×発展」を事業コンセプトとしたビジネスプラットフォームの創造に取り組んでいる。