「天職よりも想いを優先」開発者が選んだ経営という道
株式会社SOBAプロジェクト 顧問 乾 和志

変化の激しい時代に、新たな価値を創り出し、未来を切り拓こうと挑む人たちがいます。
既存の枠を越え、変革を起こす意志と行動力を持つ“イノベーター”たち。
「イノベーターの視点」は、イノベーションズアイ代表・加藤俊之が、その発想の原点や挑戦の背景、そして変革を支える戦略や思想に迫る対談シリーズです。
大学時代の剣道部での経験が、その後の経営の困難を乗り越える精神的支柱になったという。「ネットワークが無限に速くなる未来」を見据え、産学官共同プロジェクトからSOBAプロジェクトを創業。経営者として赤字の危機を乗り越え、新型コロナウイルス禍のフルリモート体制下ではキャンプで社員の絆を深めた。独自の経営スタイルを貫いてきたが、2025年に「売れるネット広告社グループ」への売却を決断。現在は顧問として会社を支えながら、新たな挑戦に踏み出した。
剣道との出会い、そして就職
――どんな子どもでしたか。
かなりわんぱくで、外で遊び回っているような子どもでしたね。当時はまだパソコンもゲーム機もなくて、毎日のように暗くなるまで外にいました。
そんな様子を見た両親が「運動をさせたほうがいいのでは」と考えたようで、小学3年生の頃から剣道を始めました。ちょうど向かいの家の方が剣道の師範で、その縁で警察の道場に通うようになりました。そこから中学、高校、大学とずっと続けました。
――剣道を通して印象に残っていることは。
一生忘れられないのは、出身地・愛媛を離れて広島大学の剣道部に入ってからの経験ですね。精神的にも肉体的にも本当に追い込まれて、かなりきつい毎日でした。練習後、同級生と一緒に中島みゆきの曲を聴きながら泣いたこともあります。
でも「これだけ厳しい環境を乗り越えたのだから、社会に出たら楽勝だろう」と思えるようになりました。実際、社会人になってからは「楽勝だな」と感じましたね(笑)。
――大学卒業後の進路は。
大学では制御工学の研究室に所属しました。そこの先輩2人が立石電機(現オムロン)に勤めていた影響もあって、「じゃあ自分もそこにしようかな」と。
当時は就職がかなり楽な時代で、面接に行けば受かるような雰囲気でした(笑)。正直なところ、会社のことを深く理解していたわけではなく、受けてみたら通った、という感じでした。
――実際に働いてみていかがでしたか。
配属されたのはコンピューターの研究開発部門で、「これは天職だな」と思いました。担当したのはリアルタイムOS(オペレーティングシステム)で、家電などさまざまな機器に組み込まれるソフトウェアの基盤部分です。炊飯器や冷蔵庫、掃除機、テレビなどに入る、いわば一番下のレイヤーのOSです。とにかく面白くて、どっぷりハマりました。
天職の仕事を手放して挑んだ会社経営

――起業を意識し始めたのはいつ頃ですか。
OSの仕事は本当に好きでしたので、次第に「もっと大きな規模のOSを開発したい」と思うようになりました。そこで上司に直談判して、ワークステーションを開発する部署に異動させてもらい、UNIX(高い安定性とセキュリティーを持つマルチユーザー・マルチタスクのOS)のカーネル開発(コードの追加、修正、ドライバー作成など)を担当することになりました。
当時、オムロンは京都大学の研究室を支援しており、その一つに「KABA(京都・アーティフィシャル・ブレイン・アソシエイツ)」というコンピューター好きが集まる団体がありました。日本でもトップクラスのコンピューターサイエンスの研究者や技術者が集まる場で、私もそこに出入りしていました。
そこで仲間たちと「何か面白いことをやりたいね」と話していたことが、起業を意識する最初だったと思います。
――ビジネスのアイデアはどこから生まれたのですか。
1999年か2000年頃、ジョージ・ギルダー(米国のエコノミスト・作家)の本を読んで、「ネットワークは無限に速くなる時代が来る」と強く感じました。
当時はISDN(電話線を利用したデジタル通信技術)で、通信速度が64kbps(キロビット・パー・セカンド)、2回線で128kbpsといった世界でしたが、いずれそんな制限はなくなる、と。
「帯域幅(利用できる通信容量)が無限になったとき、どんなサービスが必要とされるだろうか」と考え、遠隔地にいても時間や体験を共有できるビジュアルコミュニケーションの仕組みが重要になると思いました。それがSOBAプロジェクトの原点です。SOBAには「いつもあなたのそばにいる」という意味を込めました。
――このときに起業を考えたのですか。
いいえ。まずはオムロンの中で実現できないかと考え、いろいろな人に相談しました。ただ「それは難しい」と言われることがほとんどでした。
そこで決済権のある方に直接話そうと、当時の会長にアプローチしました。社内ではなかなか会えない方なので、街で偶然会ったふりをして声をかけました。「あの、オムロンの社員なのですけど」と話しかけたところ、会長は「そうか、頑張れ」と言って去っていきました。それからも会長が京都のイベントに参加するとき、会いに行ったりしました。そうしたことを何度か繰り返していたら、会社から怒られました(笑)。
さすがに「これはまずい」と思って、正攻法に切り替え、技術本部長を説得することにしました。最初は「お前はアホか」と言われて追い返されましたが、何度も何度も資料を作り変え、説明を続け、最終的には理解を得ることができました。
――どのような体制で研究開発を進めたのですか。
01年から京都大学を中心に、東京大学、東京工業大学(当時)、早稲田大学、慶應義塾大学、民間からはオムロンとNTTコミュニケーションズ(当時)が参加。さらに02年には文部科学省の支援を受けて、産学官連携の体制で研究開発を進めました。
04年に商用化の目処が立ち、05年1月にSOBAプロジェクトを設立しました。設立当初はオムロンに在籍していましたが、最終的には専念するため退職しました。
M&Aで想いをつなぐ
――創業当初、苦労はありませんでしたか。
やはり一番は資金ですね。ベンチャーキャピタルなどの出資してくれるところを探しました。これまでは技術畑でしたので、資金調達だけでなく、会社経営は分からないことばかりでした。それでも、いろいろな人に教えてもらいながら事業を進めました。
――経営は順調に推移しましたか。
しばらくは順調でしたが、売り上げが伸び悩み、3年連続で数千万円規模の赤字を出した時期がありました。経費削減には徹底的に取り組みましたが、人員のリストラには一切、手を付けませんでした。この頃は精神的にかなり厳しく、危うさを感じることもありました。
それでも前を向いて、新しいサービス開発に力を入れ、キャッシュポイントを増やしていった結果、なんとか立て直すことができました。
――社内コミュニケーションはどうしていましたか。
技術者が多い職場なので、コミュニケーションをしっかり取ろうと、月1回は社内懇親会を行っていました。ただ、コロナ禍でフルリモートに切り替えざるを得なくなり、それもできなくなりました。さらに地方在住の社員も増え、対面で集まる機会がほとんどなくなりました。
それなら私の趣味でもあるキャンプで集まろうと社内に伝えました。現地集合・現地解散で、平日に実施しています。もう何回もやっています。
――M&Aはいつ頃から考えていたのですか。
2年前の23年、60歳の頃からです。年齢的にも「いつまでできるだろう」と考えるようになりました。本当は65歳くらいまではと思っていたのですが、知人からM&Aの話をいただき、1週間ほど悩んだ末に決断しました。
――不安はありませんでしたか。
社員がこれからも安心して働けるかどうかは気になりました。ただ、M&A経験者から「会社と社員の目指す方向が同じなら大丈夫」と聞いていましたので、その点は問題がないと思いました。そしてナンバー2にも今後の体制についてしっかり話をしました。
――経営を振り返って、課題と良かった点は。

課題は、私自身が得意ではなかった営業でした。営業部隊をつくろうとしたこともありましたが、営業社員が定着せず、途中で断念しました。
良かったのは、自分たちが研究開発した技術をサービスとして世に出し、ユーザーに評価してもらえたことです。それが結果的にストック型ビジネスとなり、経営の安定につながりました。
――SOBAプロジェクトの新社長に期待することは。
M&Aで上場企業のグループの一員になったことで、グループの力を生かしたさらなる成長を期待しています。グループ内にソフトウェア開発会社がなかったので、SOBAプロジェクトの存在がグループ全体の底上げにもつながるはずです。
私もしばらく顧問として関わりますので、引き続き支えていきたいと思っています。
――これからはどのような生活を送っていきますか。
またソフトウェア開発をしたいと思っています。05年の会社設立以降はほとんど開発に携わっていませんでしたので、久しぶりに開発者として何かをつくりたいと思っています。自分で開発し、それをサービスとして世の中に出せたら面白いなあと。それには、「箱」があった方がいいと考え、会社(カーズリンクス)を立ち上げました。1人の会社ですので、儲けようというより、面白いサービスを生み出せたらという気持ちです。
それから、東京から引っ越した千葉の敷地を生かしてプライベートキャンプ場をつくろうと思っています。SOBAプロジェクトのメンバーも遊びに来る予定です。仲間が集まれる場所にしていきたいですね。
株式会社SOBAプロジェクト 顧問 乾 和志
1963年生まれ、愛媛県今治市出身。 広島大学卒業後、立石電機株式会社(現オムロン株式会社)に入社。コンピューター関連の研究所でオペレーティングシステムの研究開発などに従事する。 その後、産学官共同プロジェクト「SOBAプロジェクト」を立ち上げ、2005年に株式会社SOBAプロジェクトを創業。代表取締役として同社を率いる。 2025年に上場企業に売却し、現在は顧問として経営を支えている。
イノベーションズアイ株式会社 代表取締役 加藤俊之
1968年生まれ・茨城県出身。大学卒業後、証券会社、IT企業、物流企業、政府系プロジェクトを経て、2006年にイノベーションズアイ株式会社(現在)を設立し代表取締役に就任。グローバルベンチャー、ローカルベンチャー、大学発ベンチャー、日本のものづくりを卓越した技能で支える中小企業など、多様なイノベーターと向き合ってきた。「未来を創る企業を増やす」を使命に、「発掘×発信×発展」を事業コンセプトとしたビジネスプラットフォームの創造に取り組んでいる。