「やりたいと思ったらすぐ動く」 人の思いに応える会社をつくる
株式会社TSP 代表取締役 小川達也氏

変化の激しい時代に、新たな価値を創り出し、未来を切り拓こうと挑む人たちがいます。
既存の枠を越え、変革を起こす意志と行動力を持つ“イノベーター”たち。
「イノベーターの視点」は、イノベーションズアイ代表・加藤俊之が、その発想の原点や挑戦の背景、そして変革を支える戦略や思想に迫る対談シリーズです。
専門学校卒業後、急成長を続けていた通信会社に就職したものの、自分自身の力を試すため英語も十分に話せないままオーストラリアへ渡った。帰国後は、通信インフラや設備工事の仕事に携わり、仲間との共同創業も経験した。紆余曲折を経てたどり着いたのが、防犯カメラを起点とする映像ソリューション事業だった。「人生は短い。やりたいと思ったらすぐ動く」と語る小川社長に、これまでの歩みと今後の展望を聞いた。
元気な少年が最初に選んだ道
――少年時代はどのような生活を送っていましたか。
外で遊ぶことが好きな元気な子どもでした。かくれんぼをしたり、校庭で合戦のような遊びをしたりしていました。何か一つのことに没頭するというより、友達と一緒に外を走り回っていた記憶があります。
中学校ではバレーボール部に入りました。身長が高いわけではなかったので、今でいうリベロ(守備専門)のような役割を担いました。反射神経は比較的良かったようで、部活動は楽しく取り組みました。
高校でも続けようと思ったのですが、体育館でネットの高さを見たらとても高く感じて、「これは無理だ」と諦めました。新しくラグビー部ができたので入りましたが、練習が厳しく、部員が次々と辞めてしまい、試合をする前に廃部になってしまいました。それからは、比較的自由に高校生活を過ごしていました。
――高校卒業後の進路は。
旅行が好きでしたので、旅行関係の専門学校へ進みました。学生時代は旅行を楽しみながら過ごしていました。
――好きだった旅行会社に就職したのですか。
いいえ。1990年当時、急成長していた通信会社に就職しました。専門学校で学んだ旅行とはまったく異なる業界でしたが、勢いがあって面白そうな会社だと感じました。
当時は社会人として右も左も分からなかったので、「元気がありそう」という雰囲気に引かれた部分も大きかったと思います。業界への知識があったというより、その勢いに興味を持って選びました。
――通信会社では何を担当したのですか。
業務管理の部署に配属されました。希望したというより、たまたま配属されたのがその仕事でした。
営業のように前面に出る仕事ではありませんでしたが、会社全体にものすごい勢いがあるのを感じました。個性的な人が多く、地方から出てきて「ここで一旗揚げるんだ」という気持ちを持っている人がたくさんいました。
昨日まで上司だった人が翌日には部下になっているような、非常に競争も変化も激しい会社でした。結果を出せばすぐに立場が変わりますし、気持ちを切り替えて前に進む人たちのバイタリティーはすごかったですね。
――その環境で感じたことは。

私は比較的、周囲に合わせながらうまくやっていくタイプでしたので、ある程度までは対応できました。ただ、周りの人たちのように、何があってもすぐに気持ちを切り替えて前へ進めるほどの強さが自分にあるのか、疑問を持つようになりました。
「自分にはそこまでのバイタリティーがないのか。それとも、環境を変えればもっとできるのか」。それを確かめたくなりました。
その思いが強くなり、4年ほどで会社を辞めることになりました。
自分を試すため、英語も分からないまま豪州へ
――通信会社を辞めた後、何をしたのですか。
言葉が通じない場所へ行き、自分を試してみたいと思いました。そこで、英語をきちんと勉強しないまま、ワーキングホリデーでオーストラリアへ渡りました。
――最初は苦労されたのでは。
最初の1カ月ほどは本当にきつかったです。知っている人はいませんし、言葉も十分に通じません。英会話学校に通いましたが、寂しさもありました。
ところが、生活に慣れてくると、だんだん面白くなってきました。過ごしやすい気候ですし、1994年当時は物価も今ほど高くありませんでした。学校を卒業した後は、現地で日本人向けの旅行ガイドの仕事を始めました。
――専門学校で学んだ旅行の仕事につながったのですね。
そうなんです。ホテルでオプショナルツアーの予約を入れたり、空港へお客様を迎えに行ったりしました。ツアーに同行することもありました。
英語はまだ十分に話せなかったので、現地で困ることもありました。ただ、ここでは日本から来たお客様に頼っていただけます。「ガイドとして来てくれて良かった」「ありがとう」と言ってもらえることが、とてもうれしかったですね。
今振り返ると、人に喜んでもらえることを仕事にしたいという思いは、この頃の経験から生まれたのだと思います。
――そのまま現地に残ったのですか。
勤めていた会社の社長から、現地に残ってビジネスを手伝ってほしいと言われました。周りにも、そのまま残った人はたくさんいました。
ただ、私は苦労するつもりでオーストラリアへ行ったのですが、思っていた以上に楽しくなってしまいました。この環境に慣れてしまったら、日本へ戻ったときに何もできなくなってしまうのではないかと感じました。
本当に楽しかったのですが、だからこそ「今、帰らなければいけない」と考え、日本へ戻りました。
通信インフラの経験を重ね、起業へ
――帰国後の仕事を決めていたのですか。
特に決めていませんでした。そんなとき、通信会社時代の上司から「会社を立ち上げるので、一緒にやらないか」と声を掛けられました。
最初は2人で、PHSのアンテナを設置する工事会社を始めました。当時は単価も良く、事業は順調でした。
しかし、会社が儲かるようになると、社長の周りにさまざまな人が集まり、会社のお金の使い方も派手になっていきました。「このままでは良くない」と感じ、4年ほどで会社を離れることにしました。
――次も通信関係の仕事を続けたのですか。
はい。その後はKDDI系の会社に入り、カスタマーサポートなどの仕事をしていました。
そこでは、それまでの会社とまったく異なるカルチャーに驚きました。仕事の進め方が穏やかで、「これでお金をもらってもいいのだろうか」と感じるほどでした。
そんな環境に長くいると、自分自身が駄目になってしまうのではないかという危機感を覚えました。
厳しい環境だけが人を成長させるとは思いませんが、このままで終わってしまうことが怖かったですね。
――そこで、どうしましたか。
最初に就職した通信会社時代から付き合いのあった仲間から「一緒に会社をやらないか」と声を掛けられました。
そして、その仲間と株式を半分ずつ持ち、通信工事会社を設立しました。
――共同経営ですね。どうでしたか。
難しかったですね。誰が上で誰が下という関係ではないため、意思決定が進まないことがありました。
「彼はこの仕事をやりたくないだろう」と想像して、こちらから話を出さなかったり、自分がやりたいと思ったことでもスピード感を持って進められなかったりすることがありました。
そうした自分自身にだんだん我慢できなくなり、最終的に「それぞれが自分のやりたいことをやろう」と話し、別々の道を歩むことにしました。
共同経営では、明確な意思決定者が必要です。みんなが対等という形は理想的に見えますが、経営では責任の所在が曖昧になってしまうことがあります。
――そして、TSPを立ち上げたのですね。
はい。2008年5月にトータルセキュリティパートナーズ(現TSP)を設立しました。
通信インフラの業界に長く携わってきましたので、その経験を生かした通信工事事業からスタートしました。
お客様の笑顔が、カメラ事業への転機に
――防犯カメラ事業に力を入れるようになったきっかけは何ですか。
ネットワーク構築の工事は、お客様がいない夜間などに行うことが多く、完成しても、お客様の反応を直接見る機会はあまりありません。
一方、カメラを設置すると、最後に必ず画角を確認します。お客様に映像を見ていただくと、「ここまで見えるんだ」「きれいに映っていますね」と喜んでもらえます。
そのうれしそうな顔を見たとき、「これは面白い」と思いました。オーストラリアで旅行ガイドをしていた頃に、お客様から「ありがとう」と言われたときの喜びに近かったのかもしれません。
そこから、防犯カメラの工事だけではなく、販売にも力を入れるようになりました。
――現在は、防犯だけでなく活用範囲が広がっていますね。
ネットワークカメラの登場によって、カメラは単に映像を記録するものではなくなりました。カメラ自体がコンピューターのような機能を持ち、さまざまな分析ができるようになっています。
人やモノの動きを把握したり、異常を検知したり、マーケティングに活用したりすることもできます。カメラを一つのセンサーとして捉えれば、人手不足や無人化対応、安全・安心といった社会課題の解決につながります。
現在は、カメラを売ることそのものではなく、映像やデータを活用して課題を解決するソリューション事業として展開しています。
――TSPの強みはどこにありますか。

カメラを販売する会社や、映像を活用したソリューションを提供する会社はほかにもあります。ただ、提案、設計から実際の工事まで、一貫して対応できる会社はそれほど多くありません。
ソリューションに強い会社は工事ができず、工事会社はシステムやデータ活用まで踏み込めないことが多いと思います。当社は、ネットワーク構築の経験を生かしながら、カメラ(映像)、セキュリティー、工事まで幅広く対応できることが強みです。
――市場の変化をどのように見ていますか。
当初、カメラは防犯目的で導入されるものが中心でした。しかし現在は、人手不足や無人化対応、安全管理、マーケティングなどと求められる役割が広がっています。
将来的にはカメラやIoTセンサーなどの情報を一元的に管理できるプラットフォームをつくりたいと考えています。
その仕組みを使えば、防犯だけではなく、マーケティングや設備管理など、さまざまな目的に活用できます。企業ごとに必要な機能を組み合わせ、自由に操作できるようなものを実現したいですね。
行動力が切り拓く次の挑戦
――自身の行動に影響を与えた出来事はありますか。
父の影響が大きいと思います。
父は、私が15歳のときに病気で亡くなりました。その経験から、人生は思っているほど長くないと感じるようになりました。「やりたいことがあるなら、やるべきだ」という思いは、そこから強くなったと思います。
父は「成せば成る」という言葉をよく口にしていたことを覚えています。何かをやりたいと思ったら、考えているだけではなく、行動すること。その考えは、今も自分の中に残っています。
オーストラリアへ行ったことも、会社を辞めたことも、起業したことも、すべて「やりたいと思ったらすぐ動く」という生き方の延長にあります。
――最後に、今後挑戦したいことは何ですか。
外国の人を相手に商売をして、海外から日本へお金を生み出す仕事に挑戦したいと思っています。
インバウンド事業というより、海外に日本の製品やサービス、文化を届けるような仕事です。TSPの事業をそのまま海外へ展開するのか、まったく別の事業になるのかは分かりません。極端に言えば、飲食店でもいいと思っています。
私自身は海外で、日本人であることを好意的に受け止めてもらえました。それがとてもうれしかったのです。だからこそ、これからは日本の文化や価値を世界へ届ける仕事に挑戦し、少しでも日本に貢献できればと思っています。
株式会社TSP 代表取締役 小川達也
1969年東京生まれ。情報通信の分野において、回線の販売営業・通信設備工事・施工管理等の経験を経て、2008年に独立。
自社に施工部門をもつ「現場に強い」会社として、提案から設計・設置工事、アフターフォローまでワンストップでスピーディーな対応を実現。近年は、防犯・監視カメラの性能向上やネットワーク化とともに、新たな市場形成に注力。防犯にとどまらず、店舗の売上増に直結するマーケティングや工場における無人化に向けたソリューションの提案など、新たな価値の創造に挑戦している。
趣味は旅行、スポーツ観戦(特にラクビーやラクロス)。
イノベーションズアイ株式会社 代表取締役 加藤俊之
1968年生まれ・茨城県出身。大学卒業後、証券会社、IT企業、物流企業、政府系プロジェクトを経て、2006年にイノベーションズアイ株式会社(現在)を設立し代表取締役に就任。グローバルベンチャー、ローカルベンチャー、大学発ベンチャー、日本のものづくりを卓越した技能で支える中小企業など、多様なイノベーターと向き合ってきた。「未来を創る企業を増やす」を使命に、「発掘×発信×発展」を事業コンセプトとしたビジネスプラットフォームの創造に取り組んでいる。