【対談】イノベーターの視点

雇用のあり方を変える“仕組みづくり”に挑戦

株式会社全就連 代表取締役 萩原京二

雇用のあり方を変える“仕組みづくり”に挑戦

変化の激しい時代に、新たな価値を創り出し、未来を切り拓こうと挑む人たちがいます。
既存の枠を越え、変革を起こす意志と行動力を持つ“イノベーター”たち。

「イノベーターの視点」は、イノベーションズアイ代表・加藤俊之が、その発想の原点や挑戦の背景、そして変革を支える戦略や思想に迫る対談シリーズです。

第2回は、働く場所・時間・賃金を従業員一人ひとりが企業と対等に交渉できる革新的な雇用の仕組み「パーソナル雇用制度」を開発した全就連代表取締役で、同制度の普及に取り組むパーソナル雇用普及協会代表理事の萩原京二氏に話を聞いた。

起業するまで紆余曲折の人生を歩んだ。大手企業に就職するものの、父親が3億円規模の詐欺に遭い、家族を守るために完全歩合制の保険営業に転職。顧客価値の向上を目的に社会保険労務士の資格を取得した。その後、36歳で独立し、「顧問先ゼロで年商1億円」という独自のビジネスモデルを確立。日本初の退職金コンサルタントとして全国300社超の退職金制度の改定を支援した。これを機に全国200事務所の社労士ネットワークを構築し、2008年に人事労務支援の全就連を立ち上げた。23年にはパーソナル雇用普及協会を設立、新しい雇用の推進・普及に尽力する。

順風満帆な生活から一転

――大学卒業後、大手企業に就職されました。

実家は工務店だったので、子どもの頃からサラリーマンの世界はどこか別のものという感覚がありました。ただ、家業を継ごうとは思っていませんでしたので、就職する道を選びました。

ただ、大学時代はサーフィンに夢中で、学校にはほとんど行かず、年間100日以上は海に通っていました。そんな生活でしたので、就職活動にも本腰が入らず、かなり出遅れましたが、結果的には大手企業の東芝に就職が決まりました。

――東芝での仕事はどうでしたか。

配属されたのは、パソコンの周辺機器のハードディスクとフロッピーディスク、プリンターを扱う50人くらいの事業部でした。

若くてもいろいろな権限を与えてくれて、好き勝手にやらせてもらいました。最終的には9年半(1986年4月~95年9月)で退職しますが、何もなければ、この会社を辞めずに続けていたのかもしれません。

――なぜ大手企業のキャリアを捨てて、転職したのですか。

東芝での仕事が原因というわけではありません。父親が詐欺に遭い、約3億円を騙し取られてしまったのです。

家族を支えなければならなくなりましたが、東芝の給料だけではどうにもなりません。そんなとき、たまたま私が尊敬する先輩がソニー生命保険に転職していて、「来ないか」と誘われました。平均年収が2000万円くらいという話でしたので、とにかく稼げるならと転職を決めました。

――転職したソニー生命はどんな会社でしたか。

当時は、本当に世の中を変えていくというマインドであふれていました。生保業界を変えるためにアントレプレナーシップ(起業家精神)を持つコンサルティング営業を行うというところにも惹かれました。

営業職ですが単に保険を売るだけではなく、しっかりとお客さまに理解してもらったうえで商品を提供したいと考えました。例えば、親族がなくなったとき社会保障制度を活用して遺族年金をもらうとか、病気になったら健康保険から傷病手当金をもらうとかあるのですが、そういうベースとなる保障があった上で、足りない部分をきちっと保険で補うというのが筋だろうと思いました。

――それで社労士の資格を取ろうと思ったのですか。

たまたまだったのですが、学生の頃のサーフィン部の先輩だった税理士から「お前も保険を売るのだったら、社労士の資格ぐらい取った方がいいのでは」と言われました。

社労士という資格があるなんて全く知りませんでしたが、ある日、自宅に一枚のハガキが届きました。資格試験予備校からで、社会保険労務士講座の案内でした。実は、妻宛てに送られてきたものでしたが、説明会があるということなので行きました。講師の話が非常に上手で、まさに私が考えていた通り、傷病手当金や遺族年金の話もあって「これしかない」と即決。その日に社労士講座に申し込みました。

――仕事との両立はうまくできましたか。

仕事がひと段落したあとの夜7時ころから始まる授業を受けることにしました。ただ、保険の営業というのは夕方にお客さまとアポイントを取ることが多いので、授業を優先すると自然とお客さまと会えなくなり営業成績が落ちました。

私の中では社労士資格を取り、それを活用して契約を取っていくというシナリオを描いていました。完全歩合制なので成績が落ちても自分の給料が減るだけなので問題ないと思っていたのですが、支社長から「なんとかしろ」と言われるようになりした。

その後、社労士試験に合格し、シナリオ通りに契約を盛り返していきました。「さあ、これから行くぞ」と思っていたのですが、私と支店長のシナリオが合わず、辞めることにしました。

ビジネスモデルの確立へ

――社労士の資格を取ったので独立を決意されたのですか。

99年に社労士として独立開業しました。しかし、社労士として月額数万円の顧問契約料をもらい、それを積み上げていっても、稼げるようになるには時間がかかるだろうと思いました。最低でも1500万円は稼がなければいけない切羽詰まった状況でもあったので、違うやり方を考える必要がありました。

そこで中小企業の退職金制度のコンサルティングから入ることにしました。ちょうど退職金の積立制度である税制適格退職年金制度の廃止が決まり、10年かけて段階的に廃止になる中で退職金制度を見直すというニーズがかなりあると考えたからです。

退職金の問題は制度設計と資金準備があると思っていましたが、当時両方ともわかっている社労士はほとんどいませんでしたので、「日本初の退職金コンサルタント」を名乗り、新しい領域のビジネスに乗り出しました。

――その後の展開は。

退職金コンサルタントのノウハウを知りたいと、同業者である社労士から相談がありました。そこで、退職金コンサルタント養成講座をつくりました。当時としては結構高価な講座でしたが、かなり多くの社労士が受講しました。

その時に、自分自身が顧客である企業に対してコンサルティングを行うより、同業の社労士を介してビジネスモデルを提供したほうが、レバレッジ(てこの原理)が利くということに気づきました。

これを機に、助成金の情報を一早く伝えたり、マーケティングを教えたり、社労士の顧客企業に役立つためのツールを提供したりしていきました。こうして、全国200の社労士ネットワークを築き上げることができました。個々の社労士事務所を介して、約3,000社の企業への課題解決サービスが提供できる仕組みになっています。

社労士の役割が変わっていく

――現状の日本の労働環境についてどう思いますか。

働く側が、会社のルールに縛られているように感じています。以前は「うちの会社はこういうルールです。これで良ければ雇います」でしたが、近年では労働人口の減少に伴って、働く側が優位になりました。「転勤したくありません」「在宅が可能なら働きたいです」とか、「仕事内容も変わりたくありません」「できれば週3日で働きたいです」といった要望も出てきています。

従来の就業規則に基づき、全社員に同じルールを当てはめる働き方が、もはや合わない時代になってきています。会社と従業員の関係も、プロ野球選手のようにシーズン終了後に球団と1対1で交渉し、双方の条件が合意すれば契約するような仕組みが、これからは必要だと思います。

――そのためには必要なことは。

会社側が取り組むべきことは、従業員一人ひとりのライフスタイルに合った自由な働き方を認めることです。それを達成するために「パーソナル雇用制度」をつくりました。企業と従業員が仕事の内容や働き方、賃金を交渉し、そのうえで無期雇用契約を結ぶという新しい働き方・雇用形態を実現します

ただ、従業員側も自分が何をしたいのか、どのような働き方をしたいのかを明確にする必要があります。これがないと、そもそも交渉ができません。

――社労士の業務は今後どうなっていきますか。

今までのような書類作成や提出代行などの業務から、もう1段も2段もうえの、最終的には企業を人事面からサポートする役割にならなければいけないのではないでしょうか。そのためには経営をしっかりと理解し、そのうえで組織や人材育成をどうするかなどを考えるということです。

将来的には社労士がCHRO(最高人事責任者)のような立場で、中堅・中小企業の人事戦略に関わっていくのが望ましいと思います。

Life grapher(人生を描き続ける人)になる

――今までの人生やビジネスで楽しいと思う瞬間は。

仕事にしても人生にしても、自分でデザインして将来を思い描き、その通りに実現していくということを大切にしています。

サーフィンに例えると、波は崩れてくるわけですが、自然のものなので完全にコントロールできません。でも、持っている技の中から、崩れ方を予測して「ここだったらこういうふうに崩れるから、この技を使おう」と考え、それが思った通りになる。その瞬間が無茶苦茶楽しい。普通は波が来たら突っ込んでやれとか、波が大きいから天辺から滑り落ちたら爽快だと。そういう人が多いですが、それよりもやっぱり、先を予測してその通りになることが大好きです。

――ロジカルに物事を考えて行動するタイプですか。

ロジカルな思考が強いですけど、どちらかというと直感的な人間です。直感を理屈で、きちっと筋道を立てて説明するみたいなのが割と得意なのですかね。

――最後に、目指していることを教えてください。

今取り組んでいるのは、ビジョンと理念を明確にしていくということ。これは相手が会社でも個人でも、本質は同じです。会社であれば「なぜこの会社は存在するのか」という存在意義。個人であれば「何のために生まれてきて、何を残して死んでいくのか」という人生の目的や理念。これをまず明確にしていくことです。

実は、こういうことができている人や組織は少ないと思います。多くの人は目の前のことに追われて、自分が本当にどこへ向かいたいのかを見失っている。

だから私は、ビジョンと理念を明確にし、それに向けて着実に実行できる人や組織を増やしていきたい。そのために大切なのは、一人ひとりが「Life grapher(人生を描き続ける人)」になることです。

人生は一度きりです。誰かが決めたレールの上を走るのではなく、自分で描いた未来に向かって進んでいく。波は思い通りにはならないけれど、崩れ方を読んで最適な技を当てることはできる。人生も同じです。

「やらないで後悔する」より「やって後悔する」ほうがいい。これに尽きます。

株式会社全就連 代表取締役 萩原京二

一般社団法人パーソナル雇用普及協会 代表理事

1963年、東京生まれ。早稲田大学法学部卒。株式会社東芝(1986年4月~1995年9月)、ソニー生命保険株式会社(1995年10月~1999年5月)への勤務を経て、1999年社労士として開業。顧問先を1件も持たず、職員を雇わずに、たった1人で年商1億円を稼ぐカリスマ社労士になる。そのノウハウを体系化して「社労士事務所の経営コンサルタント」へと転身。現在では、200事務所を擁する会員制度(コミュニティー)を運営し、会員事務所を介して約4000社の中小企業の経営支援を行っている。2023年7月、一般社団法人パーソナル雇用普及協会を設立し、代表理事に就任。「ニッポンの働き方を変える」を合言葉に、個人のライフスタイルに合わせて自由な働き方ができる「パーソナル雇用制度」の普及活動に取り組んでいる。

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イノベーションズアイ株式会社 代表取締役 加藤俊之

1968年生まれ・茨城県出身。大学卒業後、証券会社、IT企業、物流企業、政府系プロジェクトを経て、2006年にイノベーションズアイ株式会社(現在)を設立し代表取締役に就任。グローバルベンチャー、ローカルベンチャー、大学発ベンチャー、日本のものづくりを卓越した技能で支える中小企業など、多様なイノベーターと向き合ってきた。「未来を創る企業を増やす」を使命に、「発掘×発信×発展」を事業コンセプトとしたビジネスプラットフォームの創造に取り組んでいる。

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