【対談】イノベーターの視点

「挑戦者を支えるために」 ソフトウェア業界に新しい風を

株式会社フリーウェイジャパン 代表取締役 井上達也氏

「挑戦者を支えるために」 ソフトウェア業界に新しい風を

変化の激しい時代に、新たな価値を創り出し、未来を切り拓こうと挑む人たちがいます。
既存の枠を越え、変革を起こす意志と行動力を持つ“イノベーター”たち。

「イノベーターの視点」は、イノベーションズアイ代表・加藤俊之が、その発想の原点や挑戦の背景、そして変革を支える戦略や思想に迫る対談シリーズです。

第17回は、無料で利用できる会計ソフトや給与計算ソフトなどを提供し多くの中小企業や個人事業主の業務を支えているフリーウェイジャパンの井上達也代表取締役。
幼少期からラジオや無線機、バイク、パソコンなどの仕組みを理解し、自ら作ることに夢中だった。会社員時代は安定したキャリアよりも自らの可能性に懸け、独立後は学習塾やイベント事業など複数の事業に挑んだ。その経験の先に、現在につながるソフトウェア事業があった。自らの苦労から生まれた「お金のない人からはお金を取らない」を信条とし、業界の常識にとらわれない発想で行動する。

技術への好奇心

――どんな子どもでしたか。

とにかく何かを作ることが好きな子どもでした。最初に作ったのは、小学校4年生のときのゲルマニウムラジオです。

裕福な家庭ではなかったので毎日10円もらう小遣いをためて、当時住んでいた東京・品川から秋葉原まで自転車で部品を買いに行きました。ラジオが完成したときは本当にうれしかったですね。

――ラジオの次に夢中になったものは何ですか。

中学ではアマチュア無線に夢中でした。当時のアマチュア無線技士の資格試験はかなり難しくて、中学生なのに高校レベルの数学を勉強していました。無線アンテナの設計に必要なサイン、コサインの計算なんかも出てきますからね。何とか資格を取りましたが、無線機を買うお金がなくて、一度も交信することはできませんでした(笑)。

――高校時代は。

高校ではラグビー部に入りました。運動神経が良くなくても、努力と根性で何とかなるスポーツは何だろうと考えたとき、ラグビーでした。男子校だったので、やってみようと思いました。

一方で、バイクにも夢中でした。動かない中古バイクを解体屋から買ってきて修理し、自分で乗ったりしていました。乗ることよりも直すことが楽しかったですね。

――大学は理系ではなく、文系に進みましたね。

数学は得意でしたし、周囲から見れば理系に進むのが自然だったと思います。

ただ、理系に進んで研究職やプログラマーだけをやる人生は、自分には合わない気がしました。何となくですが、もっと広い世界を見たいと思ったんでしょうね。

それで文系に進みました。受験前の模試では日本史の偏差値が38でしたから大変でしたけど(笑)。

大学に入ってからは、バイク、車、そしてパソコンいじりに夢中でした。

1983年頃に初めてパソコンを買いました。当時はゲームソフトを売っていませんでしたから、本に載っているプログラムを自分で打ち込んでゲームを動かしていました。学ぼうと思ったわけではないのですが、気が付けばプログラミングを覚えていました。

安定よりも、自分の可能性に懸ける

――大学卒業後の進路は。

財務・税務システムを提供するコンピューターメーカーに就職しました。プログラムを組むことはできましたが、プログラマーになると作業員のようになってしまう気がしたので、営業職を選択しました。

しばらくは会社員として働いていましたが、ある時ふと思ったんです。上司の仕事が、自分の仕事と大きく変わらないように感じました。このまま続けて出世したとしても、何の変化もない人生になるのではないか。それは違うなと思ったんです。

結局、7年間働いて29歳で会社を辞めました。ただ、そのときには何をやるかを決めていませんでした(笑)。

――会社を辞めて何を始めましたか。

やりたいことが3つありましたので、それを全部やることにしました。

1つは、塾と家庭教師派遣です。人に勉強を教えることが好きでしたので、子どもたちを対象に始めました。5年くらいは自分でも教壇に立っていました。

2つ目は合コンパーティー事業です。「独立したら結婚できない」と言われて、それなら自分で出会いの場を作ろうと思ったんです(笑)。結局、自分自身の出会いはありませんでしたが、事業としてはかなり大きな規模になり、延べ2万人以上の方に参加していただきました。

そして3つ目がソフトウェア関連の事業です。この事業が現在のフリーウェイジャパンにつながっています。

――ソフトウェア関連の事業では何をやりましたか。

最初は会計ソフトの販売代理店でした。ところが、同じ商品を扱う販売店同士で値引き競争が始まったんです。安売りを続ければ利益はなくなる。

そこで「だったら自分で作ればいい」と思いました。そうして98年頃から会計ソフトの開発を始めました。このソフトには他社製会計ソフトとのデータ変換機能もありました。データを自由に移行できるようにする仕組みです。

今でこそ当たり前のように聞こえるかもしれませんが、当時は業界内で反発を受ける可能性もありました。そこで、ある税理士に相談しました。「私はこれからどうしたらいいでしょうか」と。人生で初めて、人に相談しました。

すると先生はこう言いました。「井上君がやっていることは正義だ。データを自由に行き来できるようにすることは社会にとって良いことなので、愚直にその旗を振り続けなさい」。

その言葉は今でも忘れられません。

挑戦者を支えるために

――無料でクラウド会計ソフトを提供するのはなぜですか。

私自身がお金に苦労したからです。起業したとき、会計ソフトを買うだけでも大変でした。ソフトは数万円から十数万円しますし、毎年保守料もかかります。

起業したばかりの人にとっては、その費用負担すら重い。だから、お金のない人からは、お金を取らなくてもいいのではないかと思ったんです。ただ、稼いでいる税理士らからはお金を取っていますが。

起業したばかりの会社の中には、残念ながら途中で事業をやめる会社も出てきます。でも、その一方で成長していく会社も必ず生まれます。まずは挑戦する人を増やすことが大事だと考えています。現在では利用者が66万人以上になりました。

――競合他社とも積極的に交流されていますね。

そもそも会計ソフトなんて、日本に1本あればいいと思っています。みんなが似たようなものを作るのは非効率ですし、顧客を囲い込むような考え方も好きではありません。だから他社の経営者とも普通に会いますし、会計ソフト業界の交流会も開催しています。

競争はもちろん大切ですが、それ以上に業界全体が良くなることの方が重要だと思っています。

――最後に、今後の挑戦についてお聞かせください。

日本のソフトウェア業界そのものを、もっと面白くしたいですね。

閉塞感のある世界は昔から好きではありません。だから無料ソフトを作ったり、競合同士が交流する場を作ったりしてきました。

最近はAI開発にも取り組んでいますが、それも同じです。新しい技術を一部の人だけのものにするのではなく、より多くの人が活用できるようにしたい。根底にある考え方はずっと同じです。

今でも、あの税理士に言われた「正義の旗を振り続けなさい」という言葉通りにやっているだけなんです。挑戦する人が少しでも前に進めるように。そのために、これからも愚直に活動を続けていきたいと思っています。

株式会社フリーウェイジャパン 代表取締役 井上達也

Jフロートプロジェクト プロジェクトリーダー
日本デジタル研究所を経て1991年にフリーウェイジャパンを設立。国内最大級の66万ユーザーを超えるクラウドシステムメーカーに成長。
18歳からプログラムを製作。コンピュータ歴は46年を数える。

◯YouTube 起業を考えたら必ず読む本(動画版)
◯特許 バランスシートレンディング
◯著書 『起業を考えたら必ず読む本』『【決定版】小さな会社の社長の戦い方』(明日香出版社)他多数。

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イノベーションズアイ株式会社 代表取締役 加藤俊之

1968年生まれ・茨城県出身。大学卒業後、証券会社、IT企業、物流企業、政府系プロジェクトを経て、2006年にイノベーションズアイ株式会社(現在)を設立し代表取締役に就任。グローバルベンチャー、ローカルベンチャー、大学発ベンチャー、日本のものづくりを卓越した技能で支える中小企業など、多様なイノベーターと向き合ってきた。「未来を創る企業を増やす」を使命に、「発掘×発信×発展」を事業コンセプトとしたビジネスプラットフォームの創造に取り組んでいる。

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