テレワークで「自分が思い描く世界」をつくる
株式会社aubeBiz 代表取締役 酒井晶子

変化の激しい時代に、新たな価値を創り出し、未来を切り拓こうと挑む人たちがいます。
既存の枠を越え、変革を起こす意志と行動力を持つ“イノベーター”たち。
「イノベーターの視点」は、イノベーションズアイ代表・加藤俊之が、その発想の原点や挑戦の背景、そして変革を支える戦略や思想に迫る対談シリーズです。
広告代理店で働きながら子育てと仕事の両立に奮闘していた酒井氏は、娘の病気と東日本大震災をきっかけに「会社勤めの限界」を痛感する。そして、働きたくても働けない人たちが活躍できる仕組みづくりに着手、現在では約300人のテレワーカーが在籍(登録)する組織へと成長させた。
「考えること」が好きだった子ども時代
――幼少期はどんな子どもでしたか。
兵庫県尼崎市で生まれ、大阪府豊中市や兵庫県宝塚市で育ちました。子どもの頃はとにかく元気で、男の子と一緒に外で遊ぶことが多かったですね。
一方で「考えること」は好きだったですね。授業中にぼーっとしているように見えることがよくあると言われたのですが、実際にそうしていたわけではありません。頭の中ではずっと何かを考えていました。漫画の続きのストーリーを自分で考えたり、ドラマの展開を勝手に作ったり。空想することや物語を作ることが好きでした。
今でも一人でずっと考えていられるタイプで、時間があれば何かしらシミュレーションしています。
――家庭の影響も大きかったのでしょうか。

父の影響がかなり大きいと思います。父はカメラマンで、本を読むことがとても好きでした。家にはたくさんの本があって、漫画でも小説でも、とにかく好きなだけ読ませてもらえました。
ドライブにもよく出かけ、車中では宇宙や芸術の話、世界の話など、いろいろなことを話しました。そういう時間の中で、自然と世界の広がりを感じるようになったのだと思います。
母はとてもエネルギッシュで個性的な人でした。思ったことをはっきり言うタイプで、人と衝突することも多かったです。近所の人とも、学校の先生とも、親戚とも……本当に誰とでも喧嘩をするんです(笑)。
そんな姿を見て育ったので、私はむしろ「争いを避ける力」が身についたのかもしれません。クラスでも「中立的な人だね」と言われることが多かったですね。
ビジネスの面白さに目覚める
――大学卒業後のキャリアについて聞かせて下さい。
関西外国語大学に進学しました。英語を使った仕事に興味があったので、最初は大手企業に就職しました。貿易関連の部署で働いていたのですが、正直に言うと、あまり面白くありませんでした。
組織がとても大きく、若手社員が経営の本質に触れる機会はほとんどありません。特に当時は、女性のキャリアパスも限られていました。「このままここにいても、自分がやりたい仕事はできないかもしれない」。そう感じるようになり、3年ほどで転職を決意しました。
その後は輸入家具会社で貿易業務を担当し、約10年働きました。会社の規模は100人ほどで、ビジネスの全体像が見える環境でした。「会社がどう動いているのか」が見えるのは、とても面白かったですね。
――その後は広告代理店へ転職されたそうですね。
もっと企画やマーケティングに関われる仕事に携わりたいと思い、広告代理店に転職しました。
英語を使う仕事から離れることになりました。英語というのは結局コミュニケーションのツールでしかないと思うようになったんです。それよりも、ビジネスの中で「どうすれば売れるのか」「どうすれば結果が出るのか」を考える仕事の方が面白いと感じました。
――ビジネスの面白さを感じるようになったわけですね。
販促企画やマーケティングの仕事を通じて、ビジネスの仕組みを考えることがとても面白いと思うようになりました。自分のアイデアや戦略で結果が変わるというのがすごく刺激的でした。
子育てと仕事の葛藤
――大阪から東京に移ったのはこの頃ですか。
結婚して子どもが生まれた後、夫の転職をきっかけに東京へ移ることになりました。娘がまだ7カ月の頃でした。
仕事は好きだったので、娘が1歳くらいになった頃、以前の仕事関係のつながりから、東京の広告代理店で働くことになりました。
――子育てをしながらの仕事は大変ではありませんでしたか。
仕事はとても楽しかったので、まったく苦ではありませんでした。
ただ、しばらくした後、娘に「周期性発熱症候群」という、毎月1週間ほど高熱が出る病気が見つかりました。40度近い熱が続くので保育園にも預けられません。
仕事は忙しく、残業や泊まり込みも珍しくない業界です。でも私は保育園のお迎えがあるので、毎日「5時ダッシュ」で帰らなければいけません。それでも子育てと仕事を両立させていました。

――両立を続けることはできましたか。
いえ。2011年の東日本大震災がきっかけでした。私は虎ノ門のオフィスにいたのですが、横浜の保育園まで歩いて迎えに行きました。保育園に着いたのは深夜1時でした。
周りの子どもたちは祖父母が迎えに来ていましたが、私の親族は近くにいません。その時に思ったんです。「この働き方は続けられない」。それが会社を辞める決断につながりました。
経営者になる覚悟
――子育てに専念したのですか。それとも次の仕事を探したのですか。
家で働ける仕事を探しました。最初は翻訳など在宅でできる仕事をしていましたが、単価が低かったので在宅勤務が可能な他の仕事を探しました。
そして見つかったのが、経営者向けのコーチングや研修を行う会社でした。ここで、経営者をサポートする仕事をしました。
その仕事をしているうちに思ったんです。「働きたくても働けない人がたくさんいる。その人たちが企業を在宅で支援できる仕組みを作れないだろうか」。それが今の事業の原型です。
――最初から経営者になるつもりだったのですか。
そのつもりはまったくありませんでした。この会社は経営者をサポートするために、私を含めて何人かのテレワーカーが所属していましたが、テレワーカーを使うのが本業ではありません。私は事業責任者のような立場で関わっていただけです。
ただ、担当した事業が大きくなるにつれて組織の問題が出てきました。その頃、私自身が乳がんを患い、二度手術を受けることになりました。
――そして経営者になる覚悟を決めたのですね。
そうですね。その時に、体調や事業のことで継続的に相談していた恩師から「腹をくくれ」と言われました。
私は最初、体を守るためにこの仕事を辞めようと思いました。でも辞めようとした時に、テレワーカーが100人近くになっていて、クライアントもたくさんいました。
「この人たちの仕事はどうなるのか」。そう考えた時に、逃げるわけにはいかないと思いました。そこで、自分が独立して、経営者としてこの事業を引き受けることを決めました。
「楽しく自由に働く」社会へ
――現在は約300人のテレワーカーが在籍(登録)していますが、気をつけていることはありますか。

「人に依存する会社」を作らないことです。特定の人がいないと仕事が回らない会社は危険ですので、最初から徹底して仕組み化に取り組みました。
まずは私がすべての業務を行い、それをマニュアル化し、マネージャーを育てることにしました。最初は10人くらいでしたが、その人たちが次の人を育てるという仕組みにしました。
さらに会社の判断基準として、ミッション・ビジョン・バリューを明確にしました。会社には行動方針書があり、そこにすべてが書かれています。私はメンバーにこう伝えています。「経営者よりも、この方針書の方が上位です」。迷ったら理念に戻る。それが会社のルールです。
――現在は地方創生にも取り組まれていますね。
最近力を入れているのが、地方でのテレワーク人材の育成です。自治体から依頼を受けて、テレワーカーの養成講座を開催、地域の企業と結びつける仕組みづくりを進めています。
私たちが東京から仕事を持っていくだけではなく、地域の企業がテレワーク人材を活用できるようにする。さらに地域ごとにパートナー企業を募り、コミュニティーリーダーのような役割を担ってもらいます。
理想は、日本全国にそうした拠点をつくることです。まずは都道府県単位で広げていければと思っています。
――最後に、働くことについての考えを聞かせてください。
嫌な仕事を我慢することはできても、長くは続きません。結局、人は幸せになるために働いています。ですから「どうすれば楽しく自由に働けるか」。それを考え続けています。
働き方はこれからますます多様になります。テレワークはその一つの選択肢です。働き方の自由度が高い社会はきっと、もっと豊かになることができると思っています。
この仕事は私の使命感というより、自分が思い描く世界をつくっているという感覚に近いです。
株式会社aubeBiz 代表取締役 酒井晶子
兵庫県出身。繊維メーカー、外資系企業、広告代理店勤務を経て、これまで3000名以上の研修企画、採用・人材育成に携わる。
2011年に全員がフルリモートで働く組織構築に携わり、様々な事情で外勤が難しい人が在宅で起業家をサポートする「在宅秘書サービス」を展開。
2022年 株式会社aubeBiz設立。サービス名称をMy Back Office®に改め、秘書業務に限らず、あらゆるバックオフィス業務や各種サポートをワンストップで提供。
著書に、電子書籍「女性を活かす組織作りの教科書」「リモートワークで人も組織も伸びる」「0から始める地方創生テレワーク」等。
イノベーションズアイ株式会社 代表取締役 加藤俊之
1968年生まれ・茨城県出身。大学卒業後、証券会社、IT企業、物流企業、政府系プロジェクトを経て、2006年にイノベーションズアイ株式会社(現在)を設立し代表取締役に就任。グローバルベンチャー、ローカルベンチャー、大学発ベンチャー、日本のものづくりを卓越した技能で支える中小企業など、多様なイノベーターと向き合ってきた。「未来を創る企業を増やす」を使命に、「発掘×発信×発展」を事業コンセプトとしたビジネスプラットフォームの創造に取り組んでいる。