「使い切る社会」の実現へ 宇宙を夢見た少年が挑む新たな価値創造
株式会社ニューズドテック 代表取締役社長 粟津浜一氏

変化の激しい時代に、新たな価値を創り出し、未来を切り拓こうと挑む人たちがいます。
既存の枠を越え、変革を起こす意志と行動力を持つ“イノベーター”たち。
「イノベーターの視点」は、イノベーションズアイ代表・加藤俊之が、その発想の原点や挑戦の背景、そして変革を支える戦略や思想に迫る対談シリーズです。
毛織物会社を営む家庭に生まれ、会社の繁栄と衰退の両方を見聞きしながら育った。少年時代は宇宙に憧れ、将来は宇宙開発に携わることを夢見た。かなわなかったが、それでも宇宙への思いを持ち続け、起業後も宇宙目線で地球をとらえた事業展開に挑み続ける。
宇宙を夢見た少年時代
――子どもの頃は、どのような環境で育ちましたか。
岐阜県で三人兄弟の長男として生まれました。父は家業である毛織物会社を継いでいて、幼い頃から会社という存在が身近にある環境で育ちました。
私の名前は「浜一(はまかず)」というのですが、創業者だった曾祖父・浜吉の「浜」と、「一番になってほしい」という願いが込められています。弟も「吉」を受け継いで「裕吉」と名付けられ、兄弟で創業者の名前を受け継いでいます。
子どもの頃は、会社に対して二つの印象を持っていました。
一つは、「会社はこんなに儲かるものなんだ」という驚きです。私が生まれる前、会社には100人ほどの社員がいて、毛織物業が最も栄えていた時代でした。「ガチャンと織れば万の金になる」と言われるほど景気が良く、お金をかめに入れて土に埋めたという逸話が残っているくらいです。
一方で、私が物心ついた頃には状況は大きく変わっていました。社員は減り、かつて多くの人が暮らしていた社員寮も使われなくなっていました。会社が衰退していく姿を目の当たりにし、幼少ながら「会社というものは成長することもあれば、衰退することもあるんだ」と感じたことを今でも覚えています。
――どんなことに夢中になっていましたか。

とにかく宇宙が大好きでした。宇宙だけでなく、恐竜や考古学、宇宙人など未知の世界に関するものなら何でも興味がありました。映画「アポロ13」や宇宙開発のドキュメンタリー、そして「機動戦士ガンダム」「超時空要塞マクロス」といったSF作品にも夢中でした。
「いつか宇宙へ行ってみたい」。子どもの頃は、本気でそう思っていました。
小学1年生の頃には、「つくば科学万博」(1985年開催)にも行きました。最先端の科学技術や宇宙開発に触れ、「月の石」も触りました。それまでテレビや本の中だけだった世界が一気に現実味を帯びたことを覚えています。あの時に感じたワクワク感は、今でも鮮明に残っています。
――その後も、宇宙への憧れは変わらなかったのですか。
はい。高校時代は「将来は宇宙開発に携わりたい」という思いが固まっていました。第一志望は東京大学工学部の航空宇宙工学科でした。受験すらできない学力で、残念ながら希望どおりにはいかず、唯一受かった岡山理科大学へ進学しました。
ただ、夢を諦めたわけではありませんでした。「大学院でもう一度挑戦しよう」。そう決めてからは、とにかく勉強しました。授業が終わると先生のところへ質問に行き、ゼミを選ぶ際も「宇宙研究に取り組んでいる先生につながる研究室はどこですか」と、先生方に一人ひとり聞いて回りました。
その結果、筑波大学大学院に進学することができ、念願だった宇宙開発の研究に携わることになりました。
――大学院はどうでしたか。
大きな衝撃を受けました。周りは本当に優秀な人ばかりだったんです。「世の中にはこんなにすごい人たちがいるんだ」と。当時の先生に至っては未だに人生で一番頭が切れる人でした。
自分との実力差を痛感しましたし、「この人たちと同じ土俵で勝負するには、自分の得意なことに集中して、人一倍努力しなければいけない」と強く思いました。
一方で、念願だった宇宙開発の研究に携わることができたのは、本当にうれしかったですね。子どもの頃から憧れていた世界に、自分も少しだけ近づくことができたと感じました。
大きな挫折
――大学院修了後は。
本当は宇宙開発に関わる仕事に就きたかったんです。
JAXA(宇宙航空研究開発機構)や三菱重工業、IHI、NECなど人工衛星や宇宙開発に携われる組織や企業を受けましたが、残念ながら希望はかないませんでした。
一番ショックだったのはJAXAですね。大学院では共同研究にも携わっていましたし、「面接まで行けば大丈夫」と言われていたので、自分自身も期待していました。それが筆記試験で不合格になってしまったんです。
最終的には、大学院の推薦枠でブラザー工業に入社しました。
――宇宙への夢は諦めたのですか。
いいえ。ブラザー工業に入社した後も、宇宙への思いを捨て切ることはできませんでした。
宇宙開発に携わる道を模索しながら、仕事が終わると毎日4時間ほど勉強。朝6時に起きて出勤し、帰宅後は深夜まで机に向かう。そんな生活を続けていました。
ところが、その生活が続いたある日、睡眠不足から居眠り運転で大きな交通事故を起こしてしまいました。「これは、もうこの道はやめろということなんだ」と感じました。
そんな時、テレビで見た堀江貴文さんの姿が目に留まりました。「そうか。ビジネスで宇宙に行けばいいじゃないか」。
その瞬間、「起業して宇宙を目指そう」という新しい目標が、自分の中で明確になりました。
新たな「起業」という挑戦
――どんなビジネスで起業しようと思いましたか。

「ビジネスで宇宙へ行く」と決めたものの、まずは何を事業にするのかを考える必要がありました。そこで、思いつくビジネスを片っ端からノートに書き出したんです。30~50個くらいは考えたと思います。
今では当たり前になっていますが、当時はペット保険もほとんど普及していませんでしたので、そうした事業も候補に入れていました。一方で、「パン屋をやろうかな」と考えたこともありました(笑)。本当に、思いつくものは何でも書き出していました。
その中で、毎日のように新聞を読みながら、「これから世の中がどう変わっていくのか」を考えていました。事業を選ぶというより、自分が本当に挑戦すべき市場を探していた感覚でした。
そうした試行錯誤を重ねる中で、「携帯電話は通信インフラであり、宇宙ともつながっている」という考えにたどり着きました。だったら、まずは携帯電話に関わる事業から始めよう。そう決意し、中古携帯電話の販売事業を立ち上げるため、2009年1月に会社を設立しました。
――事業は順調に進みましたか。
いいえ。むしろ苦労の連続でした。
私はずっと研究職でしたので、領収書や請求書を作ったこともありませんし、商売の進め方もまったく分かりませんでした。会社を経営するとなると、すべて一から学ぶ必要がありました。
その中でも一番困ったのは、中古携帯の仕入れができなかったことです。起業したばかりで会社としての信用がありませんでしたから、商品を仕入れたくても取引してもらえませんでした。
――どうやって乗り越えましたか。
そこで考えたのが、「この業界で一番詳しい人になろう」ということです。
商品を仕入れて売る前に、まずは知識と情報で誰にも負けないことを目指しました。全国の市場動向を徹底的に調べ、環境問題やリユースに関する業界誌へのコラム寄稿やコメントなど、積極的に情報発信を続け、コラムは最終的に11年間で100回書きました。
そうした活動を続けるうちに、「中古携帯電話のことなら粟津」と認知され、業界からも信頼されるようになりました。すると全国からさまざまな情報が集まるようになり、市場の動きや、どこに商品があるのかも見えるようになっていきました。
その情報力を生かして、一般消費者から買い取るのではなく、全国のリサイクルショップなどから仕入れる独自の流通モデルを構築しました。その結果、安定した仕入れが可能となり、事業の基盤を築くことができました。
宇宙から見た地球、そして「使い切る社会」へ
――宇宙を目指してきた経験は、今の事業にどのようにつながっていますか。
私は、「もし宇宙から地球を見たら」という視点で事業を考えています。宇宙から見れば、地球の資源は限られています。だから新しいものを作り続けるだけではなく、今あるものを再生し、長く使うことが大切です。
イーロン・マスク氏は人類を火星へ移住させることを目指しています。一方、私は「まだ地球は長く住める。だからきちんと再生しながら使い続ける」という考えです。
私が目指しているのは「モノを再生し、使い切る社会」の実現です。これは単なるリユース事業ではなく、地球全体を長く使い続けるための取り組みだと思っています。
――今後の展開は。
日本だけではなく、海外にも同じような課題があります。ですから、これまで日本で積み上げてきたノウハウを海外にも展開していきたいと考えています。
もちろん簡単なことではありません。国が違えば文化も市場も違います。それでも、モノを長く使うという考え方は世界共通の価値だと思っています。
ニューズドテックの仕組みを世界へ広げ、新しい循環型社会づくりに貢献していきたいのです。
――そのためになすべきことは何ですか。
我が社は中古品を販売しているのではなく、「モノの使われ方」をデザインしている会社です。
日本では、まだ十分に使えるモノであっても、新しい製品へ買い替えることが当たり前になっています。これまでの社会は、大量生産・大量消費・大量廃棄によって成長してきました。しかし、本当にこれからもそのあり方で良いのだろうか、と以前から考えていました。
スマートフォンも、少し古くなっただけで価値がなくなるわけではありません。きちんと整備すれば十分使えますし、新たな利用価値を生み出すこともできます。
私は、「モノの寿命」と「価値」は別のものだと思っています。だからこそ、捨てるのではなく、もう一度価値を生み出し、長く活用できる仕組みをつくってきました。
人も年齢を重ねると、健康に気を配りながら長く人生を歩んでいきます。それと同じように、スマートフォンも適切なメンテナンスや管理を行えば、まだ十分に活躍できます。
これからの時代に必要なのは、大量生産・大量消費・大量廃棄ではなく、必要なものを必要なだけ生み出し、価値を最大限に活かしながら長く使い続ける「最適生産・最適利用・長期使用」という考え方です。私は、「使い捨てる社会」から「使い切る社会」へ、その価値観を広げていきたいと思っています。

株式会社ニューズドテック 代表取締役社長 粟津浜一
2004年筑波大学大学院理工学研究科を卒業後、ブラザー工業株式会社に入社し、新商品・新技術の研究開発に従事。
2009年に株式会社アワーズ(現:株式会社ニューズドテック)を設立し、代表取締役に就任。
2017年には業界団体「リユースモバイル・ジャパン」の立ち上げを主導し、理事長として業界の健全化と普及促進に尽力。
現在は、「モノを再生し、使い切る仕組みで、最後まで使われる社会を実現する」を掲げ、循環型ビジネスの推進に取り組んでいる。
イノベーションズアイ株式会社 代表取締役 加藤俊之
1968年生まれ・茨城県出身。大学卒業後、証券会社、IT企業、物流企業、政府系プロジェクトを経て、2006年にイノベーションズアイ株式会社(現在)を設立し代表取締役に就任。グローバルベンチャー、ローカルベンチャー、大学発ベンチャー、日本のものづくりを卓越した技能で支える中小企業など、多様なイノベーターと向き合ってきた。「未来を創る企業を増やす」を使命に、「発掘×発信×発展」を事業コンセプトとしたビジネスプラットフォームの創造に取り組んでいる。