エフシージー総合研究所会長・境政郎氏
「肥後もっこす」かく戦えり
今や「くまモン」が熊本の顔である。明るく邪気のないところは熊本らしいが、頑固さが少なそう。著者の父は熊本県八代郡野津村(現氷川町)の出身だが、頑固者だった。周りからは「典型的な肥後もっこす」と言われた。
著者はある時、メディア史を調べていて、電通(旧社名は日本電報通信社)を創業した光永星郎という人が氷川の先人だと識(し)った。その人となりは親父以上の頑固者で、それゆえに電通を日本一のニュース通信と広告の会社に育て上げた。「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」を旨とし、「健根信」をモットーとした。
氷川にはもう一人偉人がいた。明治・大正・昭和の各代で外務大臣を務めた内田康哉である。「外交に軍部の介入を許さない」とする主張は一貫し、光永に劣らず「肥後もっこす」だった。
ただ、リアリストだったので誤解もされた。日露戦争以降、長く満州問題にかかわり、満州事変や満州国建国の時は満鉄総裁だったし、それが原因で国際連盟を脱退した時も外務大臣だった。
その内田が1933(昭和8)年、外交情報戦略のために、光永の創った電通を国家の手で召し上げる事態に至る。光永と内田は同郷人というだけでなく、ともに熊本が生んだ思想家、横井小楠の孫弟子に当たり、畏敬し合っていた仲である。2人の苦悩はいかばかりだったか。
結果として戦前、光永はニュース通信部門を差し出し、電通は広告専業会社となる。しかし、通信部門を放出したことで、電通は戦争責任を免れ、戦後のメディア産業発展の原動力となった。まさに塞翁が馬である。
著者の親父は内田満鉄総裁のころ、満州に渡り、満鉄に入った。そのせいか、執筆中は他人様のことを書いている気がしなかった。ゆるキャラのくまモンには悪いが、肥後の人にはやはり「もっこす(木強子)」がよく似合う。(2160円 産経新聞出版)
【プロフィル】境政郎
さかい・まさお 1940年中国・大連生まれ。戦後、熊本県八代郡野津村に引き揚げ。64年東大法卒、フジテレビジョン入社、2001年常務、05年エフシージー総合研究所社長、12年同会長。著書に『テレビショッピング事始め』(扶桑社)、『水野成夫の時代 社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで』(日本工業新聞社)。
「フジサンケイビジネスアイ」