小規模な醸造所で既存製品にはない個性を生み出す「クラフトビール」。さいたま市では初となるその工房「氷川ブリュワリー」が同大宮区にオープンしたのは2年前だ。併設するパブ「氷川の杜」も切り盛りするオーナー、菊池俊秀さん(60)は以前、光学機器メーカー、ニコンの生産技術部門の技術者だった。「ものづくりという意味で、技術者の仕事と醸造は同じ」と話す菊池さんが目指すのは、地域に根差したクラフトビールづくりで「街を活性化し、自分の街を自慢できるようにすること」だという。
タップからクラフトビールを注ぐオーナーの菊池俊秀さん=さいたま市大宮区のパブ「氷川の杜」
脱サラ決意
転機は2013年に訪れた。4月、大宮駅東口のロフトが撤退。エキナカ人気もあり「このままでは駅改札から人が出てこなくなる」と地元商店街などは危惧し、歩行者天国イベントなどを開いて打開策を模索した。
その会合に参加した菊池さんの前で、「街を歩き回る目的があればいいのに」「地ビール(クラフトビール)はどうだろう」「つくるのが大変じゃないか」。そんな会話があった。
「つくること自体は難しくない」。茨城県の酒造会社で醸造体験をしたことがあった菊池さんは助言したつもりだった。
「なら、やってくださいよ」
街中に小さな醸造所があり、地元企業と連携しながら地元産野菜や果物のエキスなどを使ったビールが醸され、市民たちが気軽に寄ってそれを楽しみ、会話を交わす。人と人、会社と会社がクラフトビールを通じて有機的につながっていく。「街を活性化させるためのクラフトビール工房」の構想は「最初は私一人の夢を描いていたが、みんなでそれを回し読みしていろんな意見を言ったりしている間に、みんなの夢になっていった」と菊池さん。
「さいたま市ニュービジネス大賞2013」に応募した事業プランは「コミュニティビジネス賞」を受賞。11月に授賞式が行われ、12月にニコンを早期退職、そして14年1月に氷川ブリュワリーを設立した。
◆定番から漢方まで
パブの脇にはモルトとホップを煮込む釜が醸造所のシンボルのように置かれ、店内の10個のタップから個性豊かなクラフトビールが注がれる。ゴールデンエール「氷川の杜~Hana~」(ハーフ600円)など定番のほか、シナモン、朝鮮ニンジン、クコなど地元企業が調合した漢方を使った「漢万(かんばん)・エール」(同650円)は漢方特有の苦みがビールの苦みと重なるユニークな味わい。さいたま市ヨーロッパ野菜研究会とコラボした製品も人気だ。食事も提供し、地元のパン屋に頼んで水の代わりにビールを使ってホップの苦みを前面に出したパンもある。
ニコンではカメラレンズの自動焦点(AF)に使う超音波モーターの製造装置など生産技術を担当していたという。「自分の好きな物は自分でつくりたくなるという職業病ですね(笑)。30年やった生産技術は、世の中にないものを自分で設計、開発してつくるのが基本で、ビールの味の設計も同じ。いかに安定して安くつくるかという観点で取り組み、条件が振れたら味がどう変わるかを見るのも共通している」
一部のクラフトビールは瓶詰製品を大宮高島屋で限定販売。瓶についたマークには、近くの武蔵一宮氷川神社の社紋「八雲」もあしらわれている。「大宮には土産物がないと言われていたので、自分の街を伝えるための、街を自慢するための一つのコンテンツとして使ってもらえたらうれしい」と語った。(鵜野光博)
【会社概要】
▽本社=さいたま市大宮区東町2の87
▽設立=2014年1月
▽資本金=100万円
▽従業員=1人
▽売上高=2000万円(15年度)
▽事業内容=クラフトビール醸造販売
菊池俊秀・代表取締役
■お客さんと一緒に探す好みの味
--起業前の醸造体験は趣味で?
「2010年に茨城県那珂市の木内酒造で一般向けにやっていたビール醸造を体験できる手作りビール工房に参加した。そこに通いながら、ニコンで生産技術を仕事としていたので『この条件を変えたらどうなるか』『α酸の値がいくつならどうなるか』などとデータを取っていたら、木内酒造の方が『お酒関係の方ですか』と(笑)。いいえ、趣味でやっているんですと答えた。この醸造体験のおかげで、自分のレシピを持っていたことが役立った」
--コミュニティビジネス賞を受賞した氷川ブリュワリーの企画書はみんなで書いたと
「当時はサラリーマンで事業計画書を書くのは慣れていなかったので、みんなで回し読みをしてこういう表現にしたらいいのではと助言をもらった。また、1次審査、2次審査で落ちた人が残った人のサポーターに回ってくれ、最終的にコミュニティビジネス賞をいただいた。みんなとても喜んでくれて、それをきっかけに会社を辞めた」
--開店から2年たつが、クラフトビールの世界は
「奥深すぎる。モルト、ホップ、ビール酵母の組み合わせは無限にあり、その中から自分が好きな味、皆さんが好きな味を『こんなのはいかがですか』とお客さんとディスカッションしながら探している」
--街中に醸造所があることの意義は
「観光地にあっても、一番飲みたい人が運転のために飲めない(笑)。街中で気軽に立ち寄ることができるからこそ、たとえば醸造した日には発酵前の麦汁を飲んでもらい、後日、『これがあの麦汁だったんだね』と楽しんでもらうこともできる。お客さまが気軽に好きなときに来てもらって、クラフトビールを体験できる場所にしたい」
【プロフィル】菊池俊秀
きくち・としひで 名古屋工大生産機械工学修士修了。1983年、日本光学(現ニコン)入社。大井製作所生産技術本部などを経て、2013年早期退職。14年、氷川ブリュワリー創業。60歳。埼玉県出身。
≪イチ押し!≫
ビーツを使った「クラフトビーツ」
■色にこだわり「クラフトビーツ」
氷川の杜で5月から提供を始めた「クラフトビーツ」(ハーフ650円)は、深紅の色合いと西洋野菜ビーツの風味が特徴。野菜農家、シェフ、種苗会社などでつくる「さいたま市ヨーロッパ野菜研究会」と協力して開発した。
菊池俊秀さんによると、開発の動機は「色」。昨年、大宮高島屋の45周年に合わせて数量限定の「Rose」を開発した際、味と香りはバラの花びらから取ったエキスを使ったが、色はバラを再現できなかった。そこでビーツを色づけに使うことを考え、ビーツが主役の商品を開発。ビーツを知らない人からは「すっきりしている」と高評価で、野菜農家からは「ビーツをむさぼっているかのようだ」と評されたという。ビーツ由来の色合いは今後の商品にも生かされる予定。